■普通に押し付けてくる

私、常楽は医師ではなくコーチなので

アスペルガー症候群っぽい人を

あすぺるがー風な人と呼んでいます。

 

略して「A風な人」です。

 

A風な人にとっては、

この世界に人は自分しかおらず、

他者は人ではなく”物”です。

 

他者は”物”なので、

自分の優越感を得るための道具として

便利に使う他に発想を持ちません。

 

そのため、

気持ちの通い合いや

合意の形成、という、

通常のやりとりができないのです。

 

やりとりの目的はすべて

自分の優越感を得ること、

言い換えると、

自分が安心できること、です。

 

とくに自分の子どもは、

「自分の持ち物」として

自分の安心のためであれば

好きなようにできる、

くらいに思っています。

 

つまり、

子どもには人権を認めていないのです。

 

支配者と奴隷の関係では、

どちらも”人”ですが、

A風な人と子どもでは

”人”は自分だけで

子どもは”物”ですので、

なおひどい感じです。

 

例えば、

家族の予定を立てるときは、

子どもの意志や都合に関係なく、

「参加するのが当然」の前提

立てるのです。

 

典型的な例としては、家族旅行です。

 

家族それぞれの了解を得る前から、

家族は旅行に参加する前提で

計画を立て始めます。

 

計画を立てた後になって、

子どもの都合が悪いとわかっても

子どもの都合をなんとかして

旅行に参加させようとします。

 

子どもがいくら

参加できない旨を説明しても、

「なんでダメなの?」

「何度も一緒に行こうって言ってるでしょ?」

「行かないなら○○を取り上げるよ?」
みたいに話すばかりで、

子どもが参加しない状況を

なんとしても避けようとします

 

なぜなら、

子どもが参加する前提で

旅行が計画されているので、

子どもが参加しないことになったら

どうしてよいのか

わからなくなってしまうからです。

 

どうしてよいのかわからない状況は、

安心できない状況です。

 

自分が安心するためには、

何としても子どもを旅行に

参加させなければならないわけです。

 

それはA風な人にとっては

死活問題くらいに大きな問題です。

 

大人が本気の力で子どもに向かえば、

子どもはどうにもできないでしょう。

 

そうして子どもは、

A風な人が計画したことに

必ず参加させられてしまうのです。

 

それは「押し付け」と同じです。

 

本人が目の前で

「それは嫌だ」と言っているのに、

「お前は嫌じゃないよ」みたいに

おかしな説得をする感じです。

 

唯一、家族外の人が見た時に

それは親としてひどい行為だ

みたいにA風な人自身が悪い評価を

受けてしまう状況となると、

「押し付け」をやめます。

 

社会的に悪い評価を受けると、

自分の立場が悪くなって、

何が起きるか不安になるからです。

 

その不安を抱えるくらいなら、

「押し付け」をやめた方が

まだマシと感じるのです。

 

■私、常楽の幼い頃の状況

私の父親はA風な人ですが、

「押し付け」については

もう何度もやられました。

 

「親を悲しませてはいけない」

という信念があったため、

幼い私は父親の「押し付け」を

普通に受け入れていました。

 

しかし、

父親が我慢しないで

思う通りにできることを、

私が我慢をすることで実現できている状況に

巨大な違和感を感じていました。

 

父親の言う通りにしなければ、

いつもモメます

 

モメる、とは、

私が「それは断ります」と言っても

父親が認めずに、

おかしな説得活動をし続けることです。

 

父親は自分が安心したいから、

私に犠牲を払え

本気で迫ってくるのです。

 

母親も、

父親の機嫌を悪くさせたくないし、

自身の立場も守りたいがために、

父親に加勢すべく

横から私に犠牲を払うように説得してきます

 

両親から、

お前が犠牲を払えば

すべて丸く収まるんだから、

とっとと犠牲を払え、と

説得されるのです。

 

そうして

親から見て、

親2人が善で、

私1人が悪、という構図が

ととのうわけです。

 

そのうち私の心には

モメる=私だけが悪

みたいな回路ができて、

モメる兆候を感じるだけで

自ら犠牲を払いにいくようになりました。

 

どうせ親に言っても

わかってもらえるはずがない」と諦めて。

 

今、思っても、

ずいぶんとひどい状況だと感じます。

 

こんなひどい状況で、

家族旅行をして楽しそうにしている

父親と母親を見て、

「この人たちは気が狂っている」と

幼いながらに蔑んでいました。

 

それくらいしか、

やり返すことができなかったので。。

 

頭が燃え上がるのではと

思うくらいに巨大な怒りを

感じることもありました。

 

それでも、

親に見捨てられたら生きていけないと思うと

親の要求通りにする他ありませんでした。

 

 

中学生から高校生にかけて

私は父親に性的な被害を受けます。

 

高校生のときに、

本気でこの状況が嫌になって、

もうこんな親に見捨てられてもいいから

この状況をやめたい」と思いました。

 

そこで「見捨てるぞ」と脅す父親に

私が言い放ったのが、

見捨ててみろよ」でした。

 

これは父親には予想外であったようで、

とにかく怒りまくってました。

 

怒れば私が折れると

本気で信じているからです。

 

しかし、このときばかりは、

これ以上、自分を犠牲にしてたまるかと

怒りに屈せず、さらに大きな怒りで

見捨ててみろよ」と言い続けました。

 

どのくらいの時間、

やり合ったのかは憶えていませんが、

最後は父親が私に怒鳴られるのが

怖くなったようで、

母親に仲裁に入らせる形で

このやりとりは終わりました。

 

父親は、

私とのやりとりで不安になったら

「見捨てるぞ」と言うだけで

安心できていたのが、

今後はできなくなったと

さぞ悲しくなったことでしょう。

 

その後、

父親は「見捨てるぞ」と

言わなくなりましたから。

 

■成功した押し付け撃退法

しかし、父親が

私を「自分の持ち物」のように

扱うことが終わったわけでは

ありません。

 

その後も、

父親の立てる予定は

「私も参加する」前提で立てられており、

事前に私の許可をとることは

ありませんでした。

 

そして、それは、

今も変わりません。

 

頭の機能が、どこか壊れているのか?

本気で思えてきます。

 

例えば、

金属探知機の金属を探知する機能が

壊れていたら、金属があっても

「ないもの」となる感じに似てます。

 

「私の都合」があるのに、

どうしても父親はそれが

わからないのです。

 

つい先日も、

勝手に予定を立てて、

「お祝いを〇〇日にすることに決めたから」

と言われました。

 

この言葉だけでは

私にそれがどう関係するのかわかりません。

 

そこで、

「ああ、そうですか。」とだけ言って

終わろうとしました。

 

すると父親は、

「〇〇時に集合だから、いい?わかった?」

と言ってきました。

 

ん?また私が参加する前提ですか?

事前に何も聞かされていないのですけど。

 

「その日は都合が悪いから、行けませんよ」

と答えました。

 

すると父親は、

「そんなこと言うなよ。

せっかくお祝いしようっていうのだから、

来てよ。」と言ってきます。

 

「だから、行けないって言ってるでしょ」

 

「おかあさんにも、お前が来るって

話したんだよ?」

 

「行きませんよ」

 

「どうして?」

 

「だから都合が悪いって先ほど答えました」

 

こんな押し問答が続きます。

 

以前なら、

この押し問答で、

押し切って父親を言い負かすようにして

ようやく断る形で終われてました。

 

でも今回は、

A風な人は「人聞きの悪いこと」に

敏感であることを思い出して、

こう言ってみました。

 

「断らせてくれないんですか?」

 

「断らせないなんて言ってない」

 

「それじゃ、断らせてくださいよ」

 

「一生懸命に予定を考えたんだから、

来て欲しいっていってるでしょ」

 

「やっぱり断らせてくれないんですか?」

 

「断る断らないじゃない!」

 

「じゃ、何ですか?」

 

「せっかくお祝いしようっていうのだから

来てよっていってるんだ」

 

「断らせてくれないなら、押し売りと同じですよ」

 

「押し売りなんかしてないよ」

 

「それでは断らせてくれるんですね?」

 

「.......」

 

押し売りじゃないなら、断らせてください。

はい、終わり

 

「......」

 

 

こんなに力を使わずに

やりとりを終えられたのは、

初めてかもしれません

 

感情的なやりとりの後は、

なんかすごく疲れます。

 

でも今回は

”普通の話し合いのようなやりとり”

となったので、

あまり感情的にはなりませんでした。

 

今までは、

自分の都合ばかりを押し付けてくる父親が

自分は正しいこと、善いことをしていると

信じていることに、

取り付く島がないと感じる中で、

断るために自分の力である感情を

たくさん使ってましたが、

 

今回は父親の

「人聞きの悪いことはしたくない」

すなわち今回の場合であれば

自分は押し売りなど決してしない

という父親の力を利用して

断ることができた、という感じです。

 

まるで合気道のようです。

 

父親は、

自分を自分自身の力で締め付けて

どうすることもできなくなっていました

 

アクセルとブレーキ全開みたいな感じです。

 

私は、私の力を

以前ほど使わなかったために

とても楽」でした。

 

父親はその後、

母親にこの出来事を

報告するでしょう。

 

まるで、幼い子どもみたいに。

 

父親自身の力を利用するとは、

思いつきませんでしたが、

今後は押し付けてくる父親を

断ることが楽になりそうだと

希望を感じています。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

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