■生存本能から意識的な活動へ

私たちは、意識的な活動をしないと

感じるしあわせを増やしながら

生きられないようになっています。

 

「生命」としての”生き延びること”

を実現するには、

生存競争に勝てれば実現できます。

 

それは生存本能に従って

生きることとなり、

意識的な活動をしなければ

こちらが優先されることになります。

 

それは、

自分に勝利できる者がいなければ

自分が支配者となれますから、

自分の生存可能性は最大になる、

と見る、ということです。

 

しかしそれでは、

自分が生き延びるためには

他者の敗北」という

他者の犠牲が必要となります。

 

他者は犠牲を払いたくありませんから

他者の犠牲を必要とする自分とは

距離を置くことになります。

 

そうなると、

一生懸命に”生き延びる”をすればするほど

他者の犠牲を求めることとなり、

他者は自分から離れていきますから、

結果、自分は孤立していくことになります。

 

アルフレッド・アドラーは

孤立とは、社会的な死」と

指摘しています。

 

つまり、

「生命」としての”生き延びる”を

一生懸命に頑張っても

「社会的な生」としての”生き延びる”は

実現できないのです。

 

一生懸命に生きようとして

「社会的な生」は増えず、

「社会的な死」へと向かうだなんて

悲しいです。

 

■社会的な生とは

「社会的な生」とは

対人関係の中において

「自分は生きている」と感じること、

すなわち、自分の居場所がある感覚を

感じることです。

 

感じるしあわせを増やしながら生きるには、

「社会的な生」としての”生き延びる”を

実現するような活動をすることです。

 

しかし、

アルフレッド・アドラーは、

この「社会的な生」としての”生き延びる”を

実現するような活動について

我々の時代において、

このための機会はほとんどない」と

指摘しています。

 

それは、

「社会的な生」としての”生き延びる”の

実現する方法を知る機会がほとんどない、

ということです。

 

つまり、

普通に生きている限りは、

感じるしあわせを増やしながら生きることは

とても困難なことなのです。

 

そのため意識的な活動の

第一にあがるのは、

「社会的な生」としての”生き延びる”の

実現する方法を知ることです。

 

それは言葉にすると

あっけないくらいに簡単なことです。

 

「他者への関心」を養うこと

これだけです。

 

■他者への関心

アドラーは、

「社会的な生」のことを

共同体感覚と言っています。

 

アドラーの母国語はドイツ語ですが、

アメリカで活動するようになってからは

英語を使っています。

 

その英語における

共同体感覚は

social interest

という言葉を使っています。

 

これは日本語にすると

社会的関心」となります。

 

社会的とは、

対人関係上の、とか、

対人関係における、とか、

人と人との間、みたいに読み取れます。

 

つまりは

「他者への関心」が共同体感覚

と理解してもよいのです。

 

ただ、

このあたりは”概念”なので

言葉の域を越えた「感覚」として

感じるような領域です。

 

だから、

言葉通りに、

単に他者に「何やってんだろう?」と

関心を持ったところで、

自分の感じるしあわせは増えません。

 

アドラーの言う「関心」とは

他者の目で見て、

他者の耳で聞いて、感じること」です。

 

ただ意識を向けるだけにとどまらず、

そこにある感覚そのものを

詳細に感じようとすることです。

 

その「関心」を通して

何が役に立つのか」を

知ることができるのです。

 

もちろん、

生きるのに役立つもの

という意味です。

 

依存症の人の依存を

促進するような「役に立つ」とは

違うのです。

 

そして、

「やったら本当に役に立つか」

を感じます。

 

このように感じるだけで

共同体感覚は高まります。

 

さらに、

今の自分のできる範囲で

実際にその相手に貢献してみるのです。

 

そこで本当に

その相手の役に立つことができたと

相手を観察して客観的にわかったときには

共同体感覚はさらに高まります。

 

言葉にすると

「なんだ、そんなことか」

と思うくらいに簡単です。

 

しかし、

この活動を続けていくのは

相応の自制心が必要です。

 

すなわち、

意識的な活動が必要なのです。

 

■活動の成果と自制心

感じるしあわせが増えると

対人関係における問題を

感じなくなっていきますので、

次第に生きやすくなっていきます。

 

これが成果なのですが、

この成果も意識的に感じないと

「無いもの」と見てしまって、

自ら対人関係の問題をつくりだして

それを解決したくなることにも

なったりします。

 

対人関係の問題を解決すると、

そこで「成果を出せた感」を

感じられると思ってしまうからです。

 

対人関係の問題の質は

クリアしていくたびに

変わっていきます。

 

共同体感覚が高まると

以前は問題と感じていたことでも

とるに足らないものになるからです。

 

常に問題の質は更新されていますから、

いつも新たな問題に直面します。

 

その新たな問題の解決法は

やってみないとわかりませんが、

今まで解決したことのある

問題の解決法なら知っていますから

簡単に解決できるので、

今まで解決したことのある

対人関係の問題をわざわざつくって解決する、

ということをして「やった感」を

感じたくなってしまうのです。

 

しかしそれでは

個人的利益の追求となって

共同体感覚が高まる活動では

なくなってしまいます。

 

だから自制心を使って

ちゃんと共同体感覚が高まるような

活動から外れないようにするのです。

 

生存本能は強いので、

意識的に活動を進めないと

他者との競争する道へと

進んでしまうのです。

 

■高める活動によってのみ、高まる

共同体感覚が高まると、

自分の居場所がある感覚が高まり、

感じるしあわせが増えます。

 

この共同体感覚を高める方法は、

誰の犠牲も必要としません。

 

感じるしあわせを増やすのに、

他者の犠牲はいらないのです。

 

言葉にすると

とても簡単な感じですが、

「感覚」とか「信念」とかの

心のものとして会得するには

実践するほかありません。

 

つまり、

やってみて、試してみて、

どうなるかを知って、

その経験を得た自分で

さらにやってみて、

試してみる、ということです。

 

人それぞれに環境も状況も違いますから

誰かと競争しても意味はありません。

 

ただ自分らしく

自分を大切にしながら

「他者への関心」について

深めていけばよいのです。

 

そうして、

自分の居場所がある感覚や、

誰の犠牲も必要とせずに

深い安心感を感じられたら

共同体感覚は高まったのだといえます。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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