今回は

広島撮影旅2日目の、その2です。

 

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

について、

よかったら平和学習におつきあいください。

 

今回の旅で最も驚いたのが

平和記念公園にある

原爆死没者追悼平和祈念館の入り口に

ボートが置かれていたことでした。

 

このボートは「特攻兵器」です。

 

暁部隊、という少年の志願兵たちで

構成された部隊のものです。

 

暁部隊の存在は知らなかったので、

びっくりです。

 

1944年に志願兵を募り、

15歳以上20歳未満の少年たちが

志願しました。

 

この部隊は通称、暁部隊と呼ばれました。

(あかつきぶたい、と読みます)

 

ゼロ戦の神風特攻隊は

新聞に載るなどして有名でしたが、

暁部隊は「秘密の部隊」だったので

公開されていませんでした。

 

秘密なのにこのボートで

訓練をしますから、

人に見られてしまいます。

 

そこで特攻兵器であるボートを

「連絡艇」と呼んで、

特攻兵器であることを隠したそうです。

 

連絡艇なので頭文字「レ」を〇でかこみ

マルレと呼ばれてました。

 

この部隊は実際に

フィリピンや中国での戦いで

特攻したそうです。

 

ボートは一人乗りで

後ろに爆薬を搭載します。


写真右上の黒い筒がそうです。

 

船体の素材はベニヤ板です。

 

このボートの存在に

理解が追いつかず...

ただただ感じることしか

できませんでした。

 

しかし、このマルレが

国内の戦いに使われることは

ありませんでした。

 

なぜなら、

使う前に原爆を落とされたからです。

 

暁部隊の司令本部は、

つい先日G7サミットを開いた

宇品島にありました。

 

そして基地は

広島湾にある江田島でした。

 

8:15に原爆投下された後に

暁部隊の責任者が、

「本務はいいから、皆救護に向かえ」と

命令を出したので、

暁部隊の少年たちは

爆薬を外したボートに

乗れるだけ乗って市内に向かって

救護活動をしたそうです。

 

そのときの光景は

すさまじく悲惨だったそうです...

 

暁部隊の少年兵たちは生き残り、

今でもご存命の方もおられます。

 

原爆死没者追悼平和祈念館の企画展の

『暁部隊 劫火ヘ向カヘリ

-特攻少年兵たちのヒロシマ-』

の映像の中で当時のことを語られてます。

 

この企画展は、

2025年2月28日まで開催されています。

 

なお、追悼空間へはこんな感じで

ゆるゆるスロープを降りていきます。

 

追悼空間はこんな感じです。

 

中央に水盤があり、

8:15を示すとともに、

原爆犠牲者たちへ水を捧げています。

 

建物の外へ出ると、

こんな曇り空でした。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。