アドラーの”夢”とは、
その人を知ることができるもの、
という位置づけです。

なぜなら
夢は見てしまうものではなく、
見たくてみるものだからです。

アドラーによれば、
その人の見た夢から
その人の心が見えてくるわけで、
心の回復に役立つ情報を
得られるよい方法である、
というわけです。

今回はそんな夢について、
28歳の男性の例を通して
見ていきます。

目次
・仲間を見捨てる夢
・その男性の人生との対応


■仲間を見捨てる夢

アルフレッド・アドラー
夢について28歳の男性を
例にあげて説明しています。

その男性の見た夢は
仲間を見捨てるものでした。


その男性はたくさんの人たちと
旅行に出かけました。

全員で小さな船に乗って
出かけたのですが、
小さすぎたために
途中の港に寄ることになりました。

なぜ旅行なのか、
なぜ小さすぎる船なのか、
このあたりがこの男性の
優越性の追求を示しています。

旅行はたくさんの人たちと
一緒でなくてもできますし、
船での旅行なら、
わざわざ小さい船を選ぶ必要は
ありません。

つまりこれは、
自分はたくさんの人たちと
旅行する力があると示したい、
と見ることができます。

そして、
小さすぎる船は
その後の展開に必要なために
わざわざ小さすぎる船を
設定しているのです。


途中の港で降りて休んでいると、
船から招集がかかります。

その招集の理由は、
船が沈みそうだから
皆で沈没させないようにしよう、
というものでした。

この男性は、
船にある自分の荷物の中に
高価なものがあると思い出して
船に駆け付けます。

船に着くと
たくさんの人たちが
船を沈没させまいと
ポンプを使って水を汲みだしています。

しかし、
この男性は自分の荷物が心配なので
こっそりと船の窓から中に入って
自分の荷物の場所まで行きました。

このあたりから
「自分優先」なことがうかがえます。

荷物の横に
懐中ナイフが置いてあるのを見つけ、
それを気に入ったこの男性は
自分の荷物に入れます。
(火事場泥棒な感じです)


船が沈み始めたので
そこで出会った知人とともに
船から脱出します。
(この知人はここで突然現れます。
一人は嫌だったのでしょう。)

しかし、
脱出した先は高い段差のため
上に登れません。

他の場所を探すと
降ることができそうな
崖を見つけました。

その崖の先は暗くなっており
降るとどうなるかはわかりませんが、
他に道がないため
ここを降ることにしました。

自由に道を選ぶと
選んだ責任を感じますが、
不可抗力的に選ばざるを
得ない道を行けば、
その責任を引き受ける必要がない、
との願望が見て取れます。


崖は降るのではなく
滑り落ちることとなりましたが、
底まで無事に着きました。

すると今まで一緒だった知人は
どこかへ消えており、
別の若者(男)がそこに居ました。

この若者はストライキの指導者として
活躍した人物であり、
この男性のお気に入りの人でした。

しかし、若者は
この男性を非難します。

(船が沈んでいるというのに)
あなたはここで一体何をしているのか?
と問うてきたのです。

この男性はそれには答えず、
すぐにこの場から立ち去ろうとします。

周囲は高い壁で囲まれており、
簡単には立ち去れませんでしたが、
何度も挑戦するうちに
壁を上ることができて
脱出は成功します。

この「壁を上る過程」は
省略されており、
どうやって上ったのかが
夢に描かれていません。

それは単に、
この男性の都合で省略されたと
アドラーは指摘しています。

壁の上は
崖の上に道がある状況になっており、
そこは手すりで守られていて
落ちる心配はありませんでした。

この手すりで守られることも
この男性の願望のあらわれです。

その道には
人が歩いており、
この男性に親しげに
挨拶をしてきたところで
この夢は終わります。

仲間を見捨てたことを
一度は非難されながらも、
別世界(壁の上)に行けば
見捨てたことを責める人はおらず、
むしろ歓迎されるはずだ、と
思っていると読み取れます。

さらに詳しく見ると、

自分の利益を優先したとしても、
それを知る人がいなければ
やっても大丈夫だと思いたい、
ということと、

自分は自分を守ることで
精一杯だから、
そんな自分が自分を守るときに
不可抗力的に選ばざるを得ない状況で
選んだ選択については
自分の責任ではないと思いたい、
ということが読み取れます。

これは人生の役に立たない道へと
進んでいるため、
この男性には
「他者への関心」を持てるように導き、
「自分には能力のある感覚」を
感じてもらうこと、そして、
他者貢献が人生の役に立つ体験が
できるように進めることで、
この男性は
人生の役に立つ道へと
その進みを変えていくことができます。

■その男性の人生との対応

この男性は、
この夢が必要だったので
この夢を見たのです。

それはこの男性の
それまでの人生を見ることで
理解できます。

この男性は5歳まで
重病に苦しみ、
その後もたびたび病気がちで
身体が弱かったのです。

親はこの男性を常にそばに置いたので、
この男性は同年代の人と会う機会を
得られませんでした。

また、
同年代がダメなら
大人と仲良くなろうと思っても、
親に大人との交流を禁じられたため、
「仲間」という感覚を養うことが
できませんでした。

そんな彼が
学校などで同年代の子どもと
交流しても、
他の子たちについていけずに
大幅な遅れをとることとなりました。

他の子たちは
この男性を馬鹿にして嘲笑しました。

この男性をからかったり
嘲笑すれば優越感を簡単に得られるので、
他の子たちはその優越感に魅入られて
この男性をいじめることとなりました。

結果、この男性は
友人をつくることを諦めました。

このあたりが
「たくさんの人たちと旅行する」
すなわち、
”大勢の注目を得られる自分”とか
”大勢の人を従える自分”とかに
憧れていることにつながっていると
読み取れます。

また、
さらにこの親は体罰をする親でした。

滅多にすることはありませんでしたが、
体罰を一度すれば
それはこの男性の脅威となります。

体罰を受けていないくても
次いつ体罰を受けるのか
という不安な日々を送ることに
なるからです。
(これだけでも、この男性が
深い劣等感を抱えることになったと
理解できます。)

3歳のときに
親の言うことを聞かなかったために
えんどう豆の上に
30分間ひざまづかされたことが
ありました。

また、犬用のムチで打たれました。

親に
「自分の何が悪かったのか」
を説明し、
さらに謝罪と許しを請うことを
伝えない限り、ムチ打ちを
やめてもらえませんでした。
(現代であればこれは虐待です。)

このあたりから
対人関係を避ける、
すなわち、
仲間を見捨てることもしょうがない。
だってできないんだから。

みたいな思考の基礎となっていると
読み取れます。

この男性のこの夢を聞いたアドラーは
その後おそらくこの男性の回復に
力を注いだことでしょう。
(明記されていませんが、
そう願いたいです。)




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



アドラーと「夢」

体罰する人の目的は「体罰すること」






























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