■根本的改善か対処を繰り返すか

勇気を使うと
根本からの改善に
なります。

反対に
勇気を使わないと
対処療法になります。

例えば
スピーチで緊張してしまうとき。

その”緊張”を取り除こうとすると
対処療法になります。

緊張=悪、として
それを消そうとすることに
勇気は使っていません。

”緊張”はそれ自身に
目的があって出てきているので

それを取り除こうとするのは
お湯で身体を洗って清潔になりたいけど
濡れないようにするのは
どうしたら良いのだろうと
考えてるようなものです。

人前で緊張するのがイヤなのは
その緊張を見た人が
優越感を搾取することに
簡単に利用できるからです。

人前に立つ人は緊張してるけど
それを見ている自分は緊張していない。

その緊張してる/してないの差が
そのまま上下関係として
上である自分の方が優位であると見て
優越感を感じるわけです。

さらに人前に立つ人が
何か間違って恥ずかしい思いをすれば

その後もその間違いを持ち出して
自分は間違ってないけど
あの人は間違ったと
そこにも上下関係をあてはめて
自分が上であの人が下だから
自分が優位だと何度でも
優越感を得ることに使えます。

そんな優越感を得るネタに
され続けるのは、イヤです。

しかし人前に立って
スピーチすると決めたのは自分。

約束をしたからやるものだと
思っている社会的な自分と
優越感のネタにされたらイヤだなと
思っている本能的な自分とが
押し合うことになります。

すると
「イヤだけどやるべき」となり
それが緊張を高めます。

優越感のネタにされるかもしれないし
されないかもしれない。

それはやってみないと
わかりません。

滝つぼに飛び込むと
意外と平気かもしれませんし
逆に怪我してしまうかもしれません。

事後に
「やってよかった」と思うのか
「やらなきゃよかった」と思うのかは
事前にはわかりません。

「やってよかった」の結末は歓迎だけど
「やらなきゃよかった」の結末は
絶対に回避したい。

そんな綱引き状態となり
結果、緊張することで
注意力を高めて
危険があればすぐに対処できるように
備えているわけです。

つまり
”緊張”は自分で自分を
守ろうとするはたらきなので
「あって良いもの」です。

その緊張に
勇気を使えば「真剣」になります。

それはその場の最大の困難である
「他者にどう見られるかを手放す」に
立ち向かっている、ということです。

逆にその緊張に
勇気を使わないと
「深刻」になります。

それは
「他者にどう見られるかを手放す」に
立ち向かっていない、ということです。

「他者のどう見られるかを手放す」を
実行できれば、残るのは
「今の自分の目的」です。

逆に言えば
「今の自分の目的」が
明確にわかっていれば
「他者にどう見られるかを手放す」を
実行しやすくなります。

勇気を使うとは
「今の自分の目的」を明確にして
今の自分のできる最善を尽くす覚悟を
すること、とも言えます。

勇気を使えたなら
自分が他者の優越感のネタに
されるかどうかよりも、
そのスピーチをすることで
自分のしたいこと=目的を
達することができるかどうかに
自分の関心は、向きます。

そちらの方が
自分の生存可能性を高まると
自然と本能が感じるからです。

これはスピーチでなくても
他の自分のすることについても
同じことが言えます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。