あすぺるがー風な人、について
書いていこうと思います。

私の中でまだ混乱があったり
感情的に負荷が大きかったりで
読みづらいかもしれません。

でも
始めないと
始まらない、と思い、
ちょっと無理やりですが
進めていきます。

よろしくお願いします。



私の2021年の最大の発見は
「あすぺるがー風」です。

この発見で
私の世界は
根底から革命のごとくに
ひっくりかえりました。

中学生の頃に私は
父親からの性被害に
あいました。

その性被害について
父親に責任があると
信じていました。

その父親が
「アスペルガー症候群」だったら
責任能力がないかもしれない
のです。

「まさか、父親が」と
その可能性すら見ていなかったのに
2021年にアスペルガー症候群について
学ぶ機会があり、
その特徴を父親にあてはめてみると
あてはまりまくりな状況に。。驚愕。

「罪をおかしたことを認めてください」
「あなたは私の心を殺したんですよ」
「罪の重さを理解してください」
「理解すれば父親のあなたも変わるはず」

そうして
父親が性被害の責任を認め
謝罪をもらうことで
少しは心が軽くなるはず。

他の家のおとうさんと子供が
普通に親子で交流しているように
「普通の関係」に
自分もいつかなれるはず。

そんな希望を支えに
〇〇年生きてきました。

でももし父親が
「アスペルガー症候群」だったら
その希望が叶うことがありません。

それを腹の底から理解したのが
2021年でした。

自分の支えがすべて崩壊した、
そんな衝撃を受けた思いでした。



医師は患者を診断して
病名をつけて治療します。

「アスペルガー症候群」は
その病名に相当するものです。

でも私は医師ではなく
ただのメンタルコーチなので
診断も病名をつけることもしません。

だから父親について
「あすぺるがー風」と
呼ぶことにしました。



幼い頃から
父親とのコミュニケーションは
おかしいと感じていました。

知的障がい者と話しているような
正常な応答ができていない感じで
話せば話すほど
自分がすり減っていく感じでした。

しかしそんな父親も
仕事を持って稼いで
家族を養うことができています。

仕事ができる、ということは
健常者だと思っていました。

でも、
小学校の頃に
特別支援学級の子と交流したとき
父親に似てると思いました。

でも父親は
特別支援学級の子と違って
自分一人でいろいろできます。

役所の手続きや
難しい本を読んで
説明したりできます。

だから父親は普通の人で、
何を喋っているのか
意味がわからないことが
とても多かったのですが、
それは
「自分が劣っているからだ」と
信じるほかありませんでした。

他の家では
親と交流するときに
「子が優秀だから親との交流で
苦労することがない」のだから、
その優秀にあこがれてました。

父親が
「アルペルガー症候群」であったら
私は苦労して当然なのです。

そして、私は
何も劣ってなんていなかったのです。

「自分は劣っている」
「自分は能力がない」と
今まで自分を責めていました。

「自分が悪なんだ。
居るだけで迷惑な存在なんだ。」と。

でも身体は自分を
生かしてくれます。

そして周囲の人の一部も
生きていいんだよ、と
言ってくれます。

大学受験の勉強を
幼稚園児に教えてもらおうとしても
それは叶いません。

でも当時の私は
幼稚園児に大学受験の勉強を
必死に教えてもらおうと
していた感じです。

当時、責めた自分に
あやまりたいです。

ごめんね、自分。
君は何も悪くなかったんだ。

それに誰も悪くなかったんだ。

ただ
「無」なところを
「有」なところだと
信じていたために
悲しいことになっただけなんだよね。

ごめんね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。


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