プロコーチ10年目、常楽のブログです。中道とは、2値のいずれにも偏らない道のこと。そして、あなたがのぼるのは「自分山」。他人山ではありません。幸福も成功も同時に実現するその道を進み最高に自分らしい人生を生きていきたいと思うのです。
今日は、アドラーの説明する「仕事」について書きました。・仕事の恩恵・勤勉と怠惰とを分けるもの■仕事の恩恵アルフレッド・アドラーは、この世界の人間は4種類に分類できると言っています。・社会的に有用な人・支配する人・奪う人・世間から逃げる人この中で共同体感覚が発達する人、すなわち「しあわせ」を感じながら生きる人は社会的に有用な人だけです。なぜなら、社会的に有用な人だけが、他者貢献する人だからです。それ以外の支配する人、奪う人、そして世間から逃げる人は、他者犠牲の上に個人的利益を得ようとする生き方をするために、刹那的なしあわせは感じられても、積み重なっていかないために依存症のような生き方を繰り返すだけになってしまうのです。そして、その共同体感覚を発達させる方法のひとつに「仕事」があります。仕事を通じて他者貢献をすることで共同体感覚の発達が期待できます。さらに仕事は、労働・分業としての共同作業により賃金や報酬の支払いを受けることができるために、生計を立てることができます。この生計を立てることは、自立することにとても効果的なことです。自分の自立を感じられれば、劣等感は緩和され、「自分には能力がある感覚」も高まって自信を感じながら生きていけるのです。仕事とは、適切に取り組むことでこうした恩恵を受けることができる優れたものなのです。■勤勉と怠惰とを分けるもの共同体(人の集まり)に所属している感覚は、その共同体に自分の居場所がある感覚、ともいえます。この感覚が、共同体感覚です。この感覚を得るには、所属する共同体の発展を援助することです。また、発展する共同体に所属することも大切です。自ら発展する共同体に所属し、その発展を適切に援助することでその共同体への所属感も深まります。それは、すなわち、その共同体に自分の居場所がある感覚が高まること、でもあります。そうして援助することを「勤勉」と呼び、援助しないことを「怠惰」と呼ぶのです。共同体に有用な仕事をする人は、そうして所属する共同体との結びつきを感じられることがあります。アドラーはこの結びつきを、「いつも認められるわけではない」としながらもその結びつきは非常に強く、一般的な勤勉と怠惰についての判断を決めるものとなる、と指摘しています。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『自分の居場所のつくり方~共同体感覚』自分の居場所がある感じ。アルフレッド・アドラーの言う共同体感覚です。さらにアドラーは言っています。共同体感覚は「他者への貢献」によって形成される、と。自分の居…ameblo.jp『より大きな共同体の役に立つ人は、より多くの居場所を得る』イヤな上司がいる会社イヤな教師がいる学校そんな上司や教師の役立つことをしてあげることが共同体感覚を育てる「他者貢献」ではありません。イヤな上司、イヤな教師より…ameblo.jp『居場所がある感覚を育てること』■居場所がある感覚を育てるには「自分の居場所がある感覚」は次の3つを育てていくと増えます。・自己受容・他者信頼・他者貢献これらは相互に支え合っていますので、ど…ameblo.jp『貢献する目的は「貢献」』■真の貢献感を得る貢献する目的は「貢献」です。つまり自分のする行動が共同体の利益になること、です。思っているだけでは共同体の利益になるかもしれないというだけで…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
おはようございます。常楽です。今週もあなたを感情旅行にご招待させていただきます。実際に体験するのは大変だけど、映画でなら没入して臨場感を感じるとそれに近い体験ができます。その体験が心を豊かにしてくれます。私と感覚が近い方なら、より楽しんでいただけます。さあ、感情旅行に出かけましょう。■ナワリヌイナワリヌイ オフィシャルサイト|6月17日(金)、新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか緊急ロードショー!「ロシア反体制派のカリスマ」を襲った衝撃の毒殺未遂事件。奇跡的に一命を取り留めた男は自らの手でその真相を暴き出すtransformer.co.jp今回の映画は『ナワリヌイ』です。2022年アメリカ映画です。第95回アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作品です。ロシアの弁護士で政治活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏が自身の暗殺未遂事件を自分自身で調査していく姿を綴った作品です。映画公開時の彼の年齢は44歳でした。ナワリヌイ氏は政治活動家の前に投資家でした。投資家としてロシアを見たときに、ロシア経済は社会主義国ロシア政府と癒着しており、株主保護もないしで、まともな投資などできはしないと知り、「ロシアをまともな投資ができる国にしていきたい」との思いから政治活動を始めたそうです。主に企業と政治家の汚職を暴く活動をして、国営の石油会社がひどいことをしている証拠を掴んだり、黒海のリゾート地にある”プーチン御殿”(国のお金1400億円かけて作られたお城)を暴いたりして、国民の人気を集め、大統領選にも期待されるほどでした。しかしロシア政府は、選挙に出馬するたびにナワリヌイ氏を詐欺罪などで逮捕して、たびたび出馬不能にしました。例えば、他国の会社からお金をだまし取ったとの詐欺をはたらいたと政府は説明していますが、お金をだまし取られたとされた会社は「うちはお金をだまし取られていませんよ」と主張しており、詐欺の事実がない確認がされています。その後もナワリヌイ氏は9年の実刑判決を受けますが、ナワリヌイ氏の国の汚職を暴く目的の組織を、ロシア政府は”テロ組織”と認定して、その罪での実刑判決でした。ロシア政府は、自身の体制批判を何が何でもさせない態度なのですね...。ロシアでは民主主義も資本主義も司法すらも正しく機能していない状況の中で、ナワリヌイ氏はそれらを正しく機能させるべく活動を続け、そのひとつにこの映画がある、というわけです。ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件は、2020年8月に起きました。当時にニュースでも報道されました。ナワリヌイ氏は、ロシア国内を移動する飛行機の中で呼吸困難に陥りました。飛行機は緊急着陸し、国内は危険とされたようでドイツへ搬送され治療を受けました。ドイツ政府は「ノビチョク」という毒を使われたために呼吸困難になった、と発表しました。「ノビチョク」はロシアが開発した神経毒で、体内に入ると呼吸困難などを引き起こし、死ぬと自然死のように見えるため証拠が見つかりにくい毒だそうです。ナワリヌイ氏は自分の暗殺未遂に「ノビチョク」が使われたことを知ると喜びました。なぜなら、この毒を使う国はロシアだけであり「プーチンが自分を毒殺しようとした証拠に他ならない」となるからです。この毒は、イギリスでのロシアの元スパイ暗殺未遂事件での調査によってその存在が知られることとなったそうです。なお、監督のダニエル・ロアーとは、治療のためドイツに搬送された先で出会い、そこでこの映画の製作することが決まったでそうです。ダニエル・ロアーは、ベリングキャットという汚職などの調査をする組織に関するテーマの映画を作りに来ていました。そのベリングキャットは、ナワリヌイ氏の暗殺について調査し、実行部隊はFSD(昔のKGB)で、そこにいる5人の暗殺者の誰かがナワリヌイ氏に毒を盛ったことを突き止めます。しかもその5人の暗殺者それぞれの電話番号まで調べてきます。すごい組織ですね。5人の電話番号がわかっているなら電話をしようと、暗殺対象とされたナワリヌイ氏自身が提案し、自ら電話をすることを決めます。そうすることで、どうやって毒を盛られたのか、誰の指示なのか(もちろんプーチンでしょうけど)を調べようというわけです。もちろん、「もしもし、ナワリヌイですけど...」などと正直に電話をかけても話してくれるわけがありませんから、自分はナワリヌイ暗殺の組織の者であると偽って電話をかけて報告書作成のために協力してほしいと持ち掛けます。そうして、いろいろ判明していくのです。この行動だけを見ても、どれほどナワリヌイ氏が勇敢であるかを感じます。ニュースでご存じの方も多いと思いますが、ナワリヌイ氏は、2024年2月16日に北極圏の刑務所にて亡くなります。ロシア政府は本当にナワリヌイ氏のことが怖かったようで、刑務所内にさらに刑務所を作って氏を閉じこめます。しかもナワリヌイ氏解放運動が起きて、民衆が押し寄せて解放されてしまうことを怖れるかのように、北極圏なんて極地に。臆病者は「相手より自分優先」になります。勇気を使えないので、相手が脅威であれば、相手をどうにかして黙らせることで安心したくなるでしょう。暴力行為を用いて脅迫したり、最もひどい黙らせ方は、命を奪うことでしょう。反対に、もし勇気があるなら「自分より相手優先」になれるので、相手も自分も安心できる方法を、対等な関係における対話によって見つけることができます。もし今が平和なら、それは勇気を使ったことを示しているのです。100%自分に忠実に行動すると「後悔」というものと出会うことがありません。目的に対しての失敗を経験すれば「今からどうすればうまくいくか」を考え行動すること以外は意味がなくなるからです。他者によく見られたい目的ではなく、自分次第すなわち自分の努力次第で実現できる目的を持ち、そこへ進むことでも同様です。そして、自分が胸張って誇れる信念を持ち、貫くことも同様です。そんなことを教えてくれる映画だと感じます。お読みいただき、ありがとうございます。中村常楽でした。ACE COACHING's Services here
今日は、「広島原爆を知る」の続きでその3です。人の頭の上に、故意に原爆を落とされた国は、私たちが住む日本だけです。原爆については、修学旅行で行ったことがあるくらいで、それ以上とくに知ろうとしてきませんでした。でも、自分が知ろうと思えば知ることができる、という、当たり前のことを想うと、日本人としてちゃんと知りたいと思い、撮影旅をすることにしました。撮影は2019年ですが、今の解釈で現像しています。今回の写真は7枚です。よろしければ写真での旅をご一緒いただけたら嬉しいです。『広島県産業奨励館の庭』広島県産業奨励館には、お庭がありました。北側には和風庭園があり、南側には洋風庭園があるという、なんともお洒落なものでした。それらのお庭は1945年8月6日午前8:15に原爆に破壊されました。しかし、南側の洋風庭園にあった噴水は「噴水跡」として今も残っています。この写真を撮影したときは「これは何だろう?」とわからないままでした。今回調べて「噴水跡」とわかりました。(今まで調べなかったのが不思議です...)そして、この撮影位置の右後ろ、原爆ドームを囲う柵の外側に噴水があるのですけど、そこに噴水が設置された意味がわかった気がしました。その噴水はなかなか盛大に水が噴きあがるのですが、それが原爆ドーム、さらにはこの噴水跡の慰霊のために噴きあがっているように感じます。『元安橋から望む原爆ドーム』原爆ドームは、元安川沿いの相生橋(あいおいばし)と元安橋の間にあります。この写真に見えるのは、相生橋です。当時のアメリカ軍が原爆の攻撃目標にしたのがこの橋です。元安橋の上から撮影しました。原爆ドームの川沿い側にはベンチが設置され、休憩することができます。この川は、被爆当時に負傷した人たちが水を求めて訪れた川です。多くの人が力尽き、今でも犠牲者の遺品などが川底にあると言われています。広島県産業奨励館のバルコニーに使われた石柱の一部がこの川で見つかりました。引き上げられたものは、すぐ近くの本川小学校平和資料館に保管・展示されています。今では当時のすさまじい光景を想像できないくらいに平和です。ここにいる人たちものんびりすごしています。この日は対岸で船を係留して何かやってました。平和になった、ということを感じます。元安橋は、毛利元就の子である元康が自力で架けた橋であることから「もとやすばし」になった説もあります。橋が「はし」か「ばし」かは、あまりこだわりはないようです。ただ、橋の端の柱には「もとやすはし」と書かれています。毎年8月6日には、灯籠流しが行われているそうです。『動員学徒慰霊塔』原爆ドームのすぐ南側には、動員学徒慰霊塔があります。この写真の右上に見える白い塔が、動員学徒慰霊塔です。平和記念資料館によれば、第二次世界大戦中の労働力不足を補うために勤労奉仕に動員され戦禍に倒れた学徒と、原爆犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を慰めるために、1967(昭和42)年7月15日に、広島県動員学徒犠牲者の会により建立されました。今では想像することすらないことでしょうが、当時の政府は学徒勤労令を発して中学生以上の生徒は軍需工場等で勤労奉仕することに強制することで労働力不足を補おうとしました。この法律の発令は1944年(昭和19)年8月でした。同年11月には、建物疎開の作業にも学徒が動員されました。建物疎開とは、建物を取り壊して防火帯を作ることで、空襲による延焼を防ごうとする作業です。原爆が落とされたときも、国民学校高等科以上(現在の中学生以上に相当)の生徒8,200人以上が建物疎開作業をしていたそうで、そのうち約6,300人が犠牲になりました。ただただ胸が痛むばかりです。想像が追い付きません。平和記念資料館によれば、動員学徒慰霊塔は平和の女神像と8羽の鳩が配された高さ12mの塔です。この塔は有田焼陶板仕上げで、末広がりの5層になっており、中心柱には慰霊の燈明がついています。左右にあるレリーフは「食糧増産作業」「女子生徒の縫製作業」「工場内での鉄工作業」「広島の灯ろう流し」を表しています。これらの裏には全国戦没学徒出身校351校の校名と動員学徒悼歌『ほのお果てては』が記されています。碑文には次のように書かれています。「第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は、全国にわたり三百数十万人。あたら青春の光輝と、学究の本文を犠牲にしつつ挺身した者のうち、戦禍にたおれたものは一万有余人。その六千余人は原爆死を遂げた。この塔は明眸青雲を望み、将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく、祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと有志同胞の手によってうち建てた。」その4に続きます。今日もお読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■仕事とは、しあわせを感じられるものアルフレッド・アドラーは、仕事について様々な指摘をしてくれています。人類は生きていくのに労働と分業が必要です。この労働と分業において共同体感覚は、他者の利益となるような共同作業として表現されます。共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。相手の利益になるような共同作業をすれば、その相手は自分のことを「その場に居てもよい存在」として認めてくれるでしょう。逆に自分の利益になるような共同作業をする相手であれば、自分はその相手を「その場に居てもよい存在」として認めたくなるでしょう。つまり、他者貢献となる共同作業は、その作業をする人に自分は排除されることなく「今ここに居てもよい感覚」すなわち、自分には居場所がある感覚を与えてくれるわけです。そうして居場所がある感覚を感じられると、共同体感覚が高まるのです。その高まる感覚が「しあわせ」です。■偉大な共同体思考の恩恵労働に対して賃金や報酬が支払われ、そのお金で生計を立てることを「悪」とする人はいないでしょう。反対に、他者の人生と労働を搾取して、それによって生計を立てていたら、通常であればそれを「悪」と捉えることとなるでしょう。そして、その”労働”とは、他者に有用なことをすることです。すなわち、他者貢献です。商品をつくったり、サービスを提供することは、他者貢献なのです。つまり、労働によって賃金や報酬を得られた、ということは、自分は他者貢献をしたことを示すなによりの証となるのです。そう感じることで仕事とは、人間の劣等感を適切に緩和する手段となりうる優れたものなのです。これをアドラーは、宗教や優秀な政治制度としての偉大な共同体思考は、最善な方法で労働と消費を分配できるようにはたらいてくれている、と説明してくれています。先祖がつくってくれた基盤の上で、商品をつくったりサービスを提供するといった労働をすることで賃金や報酬が得られる、すなわち他者貢献によって生計を立てることができること自体が、「しあわせ」を感じる手段となりうるということです。そしてアドラーは、誰もが仕事を通じて衛生上の恩恵や、子どもに十分な教育を受けさせる権利を手に入れることができる、とも指摘しています。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『なぜ仕事をするのか、なぜ友人つくるのか、なぜ結婚するのか』■増やすためなぜ仕事をするのか。なぜ友人つくるのか。なぜ結婚するのか。すべては、感じるしあわせを増やすためです。「しあわせになるため」ではありません。「しあわ…ameblo.jp『職業の選択と、共同体感覚』共同体感覚が高い人が職業を選ぶときには”貢献”に注目します。その職業に就くことでどんな人たちのどんな役に立てるのか。一方で、共同体感覚が低い人が職業を選ぶとき…ameblo.jp『職業の目的は、お金ではない』■手段を目的にしない職業とは他者貢献の手段とその責任を示すものです。自分はどんな形で社会の役に立つのか、に名付けた名前が、職業です。お金を得るためだけのもので…ameblo.jp『人生の課題に準備のできていない人~「仕事」と「交友」の課題編』■準備ができていない、とはアルフレッド・アドラーは人間が必ず直面することになる課題を”人生の(3つの)課題”と呼んでいます。その課題とは「交友」「仕事」「愛と…ameblo.jp『優秀な少女は、母親が自立した仕事を持つ家庭の出身だった、という検査結果』■母親が生計を立てている家庭アルフレッド・アドラーは、”女性は劣った存在”という偏見を説明する中で、ある知能検査(いわゆるテスト)の結果を例にあげています。…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
今日は、アドラーの指摘する思春期の交友について書きました。目次・協力の準備に決定的な影響を受ける・思春期の子どもの特徴・準備が十分に整った子ども■協力の準備に決定的な影響を受けるアルフレッド・アドラーは、子どもは思春期になると、それまで背景にいたとしても人生の前線に近づき、人生の課題に直面する、と指摘しています。人生の課題とは、交友(共同生活、社会)の課題、仕事の課題、愛と結婚の課題です。これらが解決できるかどうかは、その子どもがそれまでにどれだけ協力の準備ができているかどうかにかかっています。「協力の準備」とは、「他者への関心」がどれだけ養われたか、ということであり、それは、どれだけ共同体感覚が発達しているか、ということでもあります。思春期になると、活動範囲も広がり、子どもの持つ”力”も強くなるため、課題の解決について、「協力の準備」が決定的なります。子どもは、思春期になる前までは、とくに仕事をする必要もなく、恋愛や結婚についても着手する必要なく、それらを周囲からも求められることもなく、人生の課題については交友の課題だけに着手すれば済んでいました。簡単にいえば、思春期前までは、友人を作り、良好な関係を築くことだけに向き合っていれば済んだのです。友人が1人もおらずとも、生きていけないわけではないので、交友の課題に着手はしても解決しないままでもやっていけるのです。それが思春期に入っていくと、仕事をする必要が出てきたり、身体の発達にともなって恋愛や結婚に対する興味も強くなります。人々の背景に溶け込んで、ひっそりと過ごしていた子どもも、仕事の課題や愛と結婚の課題を抱えると人生の前線へと進まざるをえなくなり、背景に居続けることができなくなるのです。その仕事をすることや、恋愛や結婚についての問題に直面したときに、それまでに交友の課題の解決した経験が役に立つのです。交友の課題の解決を通じて発達させた「他者への関心」が、そのまま仕事の課題や愛と結婚の課題の解決に役立つ、というわけです。アドラーはそれを指して、思春期になると「協力の準備」が決定的になる、と言っているのです。■思春期の子どもの特徴アドラーは、子どもが思春期になると、次のようなことが見られる、と指摘しています。人見知り人嫌い不信他者の不幸が嬉しい気持ちあらゆる虚栄心過敏他者と対面したときの興奮極度の緊張嘘偽り誹謗権力欲悪意その他子ども時代にも見られることですが、思春期ではとくによく見られる、という意味だと思います。■準備が十分に整った子ども思春期前までに「協力の準備」が十分に整った子どもは、新たな友人を簡単につくります。自分の属する共同体だけではなく、人類の様々な問題にも関心を持ちます。事物の捉え方と、それに対する態度を共同体に有用なように整えます。成功は求めるが、善いことや悪いことに偏って注目を集めるようなことはしません。注目を集めることを目的に行動するような必要がないからです。ただ、共同体にとって危険な人に対しては反対の声をあげます。その反対の声は、その人物を敵としてのものではなく、仲間として共同体に有用な存在へとなって欲しいとの善意の発現です。このような状況になっているのは、「他者への関心」が十分に養われたからであり、それはすなわち、共同体感覚が十分に発達したからです。なお、共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。この感覚が高いほど、感じるしあわせが多くなります。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『背景にいなければいけないと感じる子ども ~生きやすさを増やす一手』今日は、自分は背景にいないといけないと感じる子ども、について書きました。それは大人になるまでに何もしなかったらそのまま生きづらさとして抱え続けることとなりま…ameblo.jp『子どもの共同体感覚の発達を妨げるもの、3つ ~親子で感じるしあわせ増やすために』■共同体感覚を妨げるもの、3つアルフレッド・アドラーは、子どもの共同体感覚の発達を妨げるものは3つある、としています。①劣等器官を持っていること②甘やかす親…ameblo.jp『子どもは学校に入るときに、協力能力を試される』今日は、子どもは学校に入るときに、協力能力を試されることについて書きました。協力能力とは、共同生活の中で他者を仲間として力を合わせて課題を解決していく力です…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■非社会的な行為をする理由子どもが、自分はもう子どもではない、もう大人と同じである、との主張を示すとき、子どもは大人の誤った行為を受け入れがちです。なぜなら、簡単だからです。誤った行為とは、生きるのに役に立たない道であり、生きるのに役に立つ道よりも真似するのが簡単なのです。例えば、お酒を飲んで酩酊すれば、さも自分が大人になったかのように感じられたり、翌日に二日酔いになっていれば、これも自分が大人である証明のように感じてしまうのです。また例えば、相手を追い詰めて自分が支配者となり、相手を隷属させ、相手の犠牲の上に個人的利益の実現ができるとさも自分が大人になったかのように感じてしまうのです。このように大人がしている誤った行為を子どもの自分がすれば、自分も大人である証明になる、と安易に思ってしまうのです。子どもが大人の正しい行為をまねて大人扱いされることもできますが、誤った行為よりも時間や労力がかかるため、共同体感覚が発達していない状況だととっとと大人扱いされる感覚を得たいがために大人の誤った行為が魅力的に見えてしまうのです。その行為が、非社会的な行為となり「非行」と呼ばれてしまうのです。アルフレッド・アドラーは、この傾向は甘やかされた子どもによく見られる、と指摘しています。なお、誤った行為とは、生きるのに役に立たない道であり、いくらやったところで感じるしあわせは増えません。また、共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。この感覚が発達すると、感じるしあわせが増えます。■思春期の危うさこのような傾向を示す子どもは、自分を大人と認める何かがあれば、それによって欲を満たせるため、そのような類の様々な誘惑に抵抗できない、とアドラーは指摘しています。おべっかなど、虚栄心を満たすような行為については簡単に犠牲になってしまうのです。なお、おべっかとは、対象者を上に扱い、媚びへつらう(ご機嫌をとる)ことです。また、虚栄心とは、見栄をはりた心、自分を実際よりもよく見せたい欲のことです。相手に「あなたは大人だね」と扱われると、そこに自分の価値を感じてしまうのです。思春期の危うさを感じます。また、アドラーは、家で冷遇されていると感じ、虚栄心を満たしてくれるようなことを聞くときにだけにしか自分の価値を感じることができないような少女は、重大な危機の中にある、と指摘しています。私個人としては、そのような状況であれば、少女だけではなく少年も重大な危機の中にあると感じます。■共同体感覚の発達で改善できる思春期の子どもが自分は大人だと認められる方法に、大人の正しい行為を選んで欲しいと望むなら、子ども時代に子どもの共同体感覚を十分に発達させておくことです。共同体感覚は、「他者への関心」を養い、他者貢献活動をして客観的貢献感を得ることで発達していきます。子どもが所属する共同体に対して有用なことをすることで、子どもの居場所感が深まる感じです。”客観的”なので、自分が有用と思っても、実際に共同体の役に立っていなければ共同体感覚は育ちません。親や教師など子どもの援助者が適切に援助し続けることで、子どもは小さいことから始め、小さいことに成功していくことで、自ら徐々に大きなものへと挑戦していくでしょう。このように共同体感覚を発達させていける子どもは、援助者の関心を十分に向けてもらった子どもです。援助者が「一緒にいるよ」と心理的に近くに居続けてくれることは、子どもにとって頼もしいことです。そして子ども時代に、子どもが大人の正しい行為を受け入れることでの成功体験をしていれば、思春期になっても同じ方法を選びたくなるでしょう。しかし、子ども時代に援助者の関心を十分に得られなかった子どもは、自分の身を守ることが最優先となりがちなために、とっとと大人扱いされる方法である大人の誤った行為に魅力を感じてしまうのです。大人の正しい行為であれば自分が大人扱いされるかどうかはわかりませんが、大人の誤った行為であれば必ず自分が大人扱いされると感じるのです。このような状況で思春期となった子どもであっても、親や教師といった援助者は子どもに関心を注ぐことが有効です。援助者自身の共同体感覚が不足していると、子どもの誤った行為に関心を注いで、子ども自身に関心を注がないような状況になりがちです。関心を注いだものが育つため、子どもの問題行動に関心を注げば、子どもの問題行動が育ちます。「そんなことをやってはいけない」と言えば言うほど、それをやってしまうのは、その行為に関心を注いでしまっているのです。つまり、子どもの問題行動ではなく子ども自身に関心を注ぐことで子ども自身が育つことが期待できるのです。状況は人によって様々ですが、親や教師などの援助者だけでの改善が困難と感じたら、訓練されたカウセンラー(回復)やメンタルコーチの手を借りることで困難を軽くすることができます。そうして援助者自身が子どもに関心を注ぎ、子どもに「他者への関心」を持つようにはたらきかけることで、子どもの共同体感覚の発達を目指すのです。子どもの共同体感覚が育っていけば、自然と大人の誤った行為ではなく大人の正しい行為を選ぶようになります。なぜなら、正しい行為であれば感じるしあわせが増えるからです。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『「適切な行動」「不適切な行動」注目を向けた方が育つ』その状況において適切な行動と不適切な行動とがあります。適切・不適切とはその先で共同体感覚が高まりやすくなるのが適切で、高まりにくくなるのが不適切、ということで…ameblo.jp『上下関係の人の心理その5:自分の無能を証明する』上下関係で生きる人は「上下の上」でいられるように日夜努力をし続けます。対等な関係で生きる人にはない努力です。なくても生きていけるからです。でも上下関係で生きる…ameblo.jp『相手を真に理解するなら、見かけの因果律に依存せず、目的に注目する』アルフレッド・アドラーは、自身が洞察した事実として、学説を機械的、物理的なものとしようとする人によって、人の精神生活における「見かけの因果律」が生まれた、と言…ameblo.jp『特別でなく普通でよい。普通とは、訓練によって思いを形にしていくこと。』■依存か、自立か私たちは特別である必要はありません。普通でよいのです。その普通とは、自分を訓練することで実現したい思いを形にしていくことです。一方で、特…ameblo.jp『相手の問題行動に注目すると、その問題行動が育つ』相手の善行に注目すると相手は善行を増やす。相手の悪行に注目すると相手は悪行を増やす。注目されたい相手は注目される方を選んで行動したくなる。無視されるより叱られ…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■思春期の子どもアルフレッド・アドラーは、思春期について、多くの人に「暗い神秘」となっているが、子どもの新しい要素ではなく今まで子どもの中で眠っていたものが表出するだけ、とする一方で、子どもがどれだけ協力に対して準備ができているかが他のどの時期よりもはっきりとわかる時期、としています。アドラーの子ども時代が、1~6歳なので、おそらく思春期は7~18歳頃と考えられます。現代になおすと、10~25歳頃となるでしょう。この年齢になると子ども時代に協力についてどれだけ準備できたかどうかが、思春期になるとよくわかる、というわけです。■思春期になるとよくわかる理由協力についての準備がよくわかる主な理由は、子どもの成長です。思春期になると、子ども時代にくらべて活動範囲が広がり、持っている”力”も強くなります。そのため、新しい出来事によく遭遇することになり、その度にどれだけ協力に準備できているのかが示されるわけです。協力ついての準備は、子どもの共同体感覚がどれだけ発達しているかによります。共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。共同体感覚が発達していると「自分より相手優先な態度」をすることが簡単になり、反対に発達していないと困難になります。発達していない場合は、自然と「相手より自分優先な態度」となり、他者と協力関係を持てずに、常に支配-隷属関係を求めるようになります。発達していないことは子ども時代にくらべて思春期になるとより顕著に示されます。それをアドラーは、誤った道を行く非社会的な傾向と言っています。子ども時代より広い活動範囲と強い”力”によって個人的利益の追求もより強力になるために”より顕著に示される”というわけです。■常に目標は「共同体感覚を高めること」アドラーは、子どもは、自分はもう子どもではないこと、あるいは稀に、自分はまだ子供であることを示したい欲求を持っている、と指摘しています。その欲求の満たし方が、子ども時代の協力についての準備によって変わるのです。十分な準備ができた子どもなら、その欲求を相手と協力関係を築いて満たそうとするでしょう。協力関係を築いて満たす方は、子どもが求めるときにだけ必要な援助をすること、さらには、「他者への関心」をもっと持てるように適切にはたらきかけていくことです。一方で、十分な準備ができなかった子どもなら、その欲求を支配-隷属関係を築いて満たそうとするでしょう。支配-隷属関係を築いて満たす方は、すぐにでも適切な援助が必要になるでしょう。子どもが協力について準備できなかったのは、子どもの責任ではなく、子ども時代の親や教師の教育が失敗したことを示しています。その失敗の責任については横に置いておいて、ただちにその子どもの共同体感覚が発達するような援助をすることで、子どもが誤った道へと進むことを止めることが期待できます。その誤った道とは、積極的な方法であれば、非社会的な行為として現れますが、消極的な方法であると、不登校やひきこもり、神経症などの形で現れることになるでしょう。なお、共同体感覚が発達するような援助とは、「他者への関心」を持つように子どもにはたらきかけることです。アドラーはこのような援助を”教育”と呼んでいます。思春期の子どもの共同体感覚も適切な教育を受けられれば発達していきます。もっとも、親や教師などの援助者自身が共同体感覚不足で、自分にばかり関心を持つようであれば、子どもへの援助はうまくいきません。その場合には、まずは援助者自身が共同体感覚の発達を目指すことです。思春期の協力について十分な準備ができなかった子どもの共同体感覚を発達させる援助は、子ども時代にくらべて大変です。なぜなら、先述した通り、活動範囲も広く”力”も強いからです。そんな中で親や教師などの援助者自身が共同体感覚が十分に発達していないのであれば、直面する困難は、それだけ大きなものになります。その困難も、訓練されたカウンセラー(回復)やメンタルコーチ(変革)などのプロの手を借りることで小さくしていけます。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『問題行動のある子どもの特徴とその援助』■子どもの特徴アルフレッド・アドラーは問題行動のある子どもの特徴を次のように指摘しています。他者に関心がなく自分にばかり関心がある。他者を仲間ではなく自分に有…ameblo.jp『体罰する人の目的は「体罰すること」』■体罰は教育ではない体罰の目的は「体罰すること」そのものです。理由は後付けです。教育なら「教育すること」が目的となります。教育の一環として体罰を主張する人は体…ameblo.jp『学校ができたのは、家庭で全部を教育できないから』今回は学校のなりたちから学校と家庭それぞれの教育について、さらには家庭での教育は何をすると効果的なのかを書きました。【 目次 】・学校ができた理由・学校と家庭…ameblo.jp『優秀だが幸福になれなかった14歳の少女』■その少女の家庭の状況アルフレッド・アドラーは劣等コンプレックスが形成される過程の説明について、14歳の少女を例にあげています。劣等コンプレックスとは過度な劣…ameblo.jp『教育とは、他者に関心を向けるよう援助すること』■共同体感覚に必須アルフレッド・アドラーは関心が自分にだけ向く人に他人にも関心を向けるよう援助することが大切だと繰り返し言っています。なぜ、他人への関心が必要…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■協力を学んだ子どもアルフレッド・アドラーは、子どもが出会う性的な問題は、協力を学んだ子どもであれば乗り越えていくことができると指摘しています。でも、反対に、協力を学んでいない子どもにとっては性的な問題は謎だらけで、混乱するほかなくなってしまいます。適切に協力を学んでいれば、性的な問題を抱えたときに親や教師に助けを求められます。親や教師自身が協力を学んだことを前提とすれば、子どもから相談を受けた親や教師はそれに適切に応じることができます。アドラーは、そこでの応じ方について、子どもが要求する以上のことを教えてはいけないし、子どもが未知の領域のことを適切に理解できるように説明しなければならない、としています。つまり、それを子どもに教えることが目的であり、教えることで親や教師自身が「知ってる自分はすごいだろう?」みたいに個人的利益の追求が目的になってはいけない、ということです。また、アドラーは、性的な問題について教えることをためらってはいけないけれど、急ぐ必要もない、とも指摘しています。性的な問題については、日常的に触れない話題であるため、表現を抽象的にしてしまいたくなるかもしれません。でもそれは、理解しづらくなるだけなので、日常的には使わないような「性についての言葉」であっても、子どもが理解できるように具体的に伝えることが望ましいのです。協力を学んだ子どもは、そうして人生の先輩から性的な情報を適切に得ることで問題を解決していけるのです。さらに、性的な問題を乗り越えられた子どもは、愛と結婚の課題について怖れることはなく、卑猥な話はしないし、愚かしいことを信じることもなく、適切に取り組んでいくのです。なお、協力することとは、他者と良好な関係を持って互いの力を合わせて課題を解決していこうとすることです。■協力を学べない子ども協力を学べない子ども(たいていは甘やかされた子ども)であったり、親や教師が性的な問題の話から逃避する人であったり、性的な問題を相談できる大人が子どものまわりにいなかったりすると、子どもは性的な問題を自力で乗り越えるのはまず無理です。とくに親や教師と敵対的であったりすると、「何があってもあの人だけには聞かない」などとなってしまって、性的な問題についてわからないまま進むこととなりがちです。適切なガイドなして進もうとするとどうしたらよいのかがわからず、結果、混乱することになります。そんな状況だと、脅されたり、おべっかによって誘惑されると、性的な問題を解決しないままに性的な行為へと進むこととなります。そうして「快」も味わうかもしれませんが、適切に学んでいないために「嫌な思い」をすることとなり、愛と結婚の課題について怖れるようになってしまうのです。なお、甘やかされた子ども、とは、親や教師が子どもの言いなりになるのではなく、子どもの課題を親等の大人が解決することが日常的なこととして育つ子どものことです。自分の課題を自分で解決しようと努力し続ければ、やがてその課題は自力で解決できます。そして次の課題へと踏み出し、その課題も助けを借りたりしたとしても自力での解決をしていけるでしょう。そうして一度解決できた課題は、新たな脅威ではなくなり、何度直面しても自力で解決できるようになります。そうすることが重なることで解決できる課題が増えて、それが成長、つまり、社会適応能力の向上となるのです。性的な問題も同じです。適切な教えの下に、問題に取り組んで自力で解決できれば、その後も自力で解決していくでしょう。しかし、性的な問題について、親や教師などの子どもに近い大人がその子どもに代わって性的な問題を解決することはできません。例えば、「服を着る」という課題について、親が子どもに服を着せてあげるのはいくらでもできることであり、子どもが親に「服を着せてほしい」と毎度依頼すれと解決できるとなれば甘やかし続けることはできます。一方で、子どもの性的な問題として、親が子どもに代わってマスターベーションをしてもその子どもはマスターベーションについての問題は何の解決にもならないでしょう。つまり、子どもにとっては「わからないまま」になってしまうのです。親や教師がその話題を避けたり、逃げてしまっても、同じことになるでしょう。子どもに愛と結婚の課題について怖れることなく取り組めるように親や教師など、子どもに近い大人は、子どもの協力の求めに応じることが望ましいのです。また、子どもが愛と結婚の課題について怖れることなく取り組めるようになることには、子育てにおいて子どもに協力することが適切に学べるようにしてあげることが効果的なのです。なお、協力を子どもに教えるとは、親や教師が、子どもに、「他者への関心」が養われるようにはたらきかけることです。親や教師が自分自身にばかり関心が向くようなら、親や教師自身も「他者への関心」が養えるような取り組みをする必要があります。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『協力の能力を最大限に伸ばすよう育てられた子ども』今日は、アドラーの指摘する”協力の能力を伸ばすよう育てられた子ども”について書きました。これの反対の”協力の能力を伸ばすよう育てられなかった子ども”について…ameblo.jp『子どもが性的欲動を制御できないのは、その子どもが甘やかされた証拠』■甘やかされると制御できなくなるアルフレッド・アドラーは、早熟で制御が困難な性的欲動があるなら、それはその子どもが甘やかされた証拠である、と指摘しています。…ameblo.jp『性と性格の関係~誤った訓練による困難』今日は、性と性格の関係においてアドラーの指摘する誤った訓練による困難について書きました。今、もし生きづらさを抱えていたらそれは子ども時代に適切な訓練を受けるこ…ameblo.jp『セックスで親に復讐する子ども~適切ではない性的な訓練』今日はアドラーの指摘する適切ではない性的な訓練について書きました。目次・セックスで親に復讐する子ども・対等な関係を築く・セックスの目的■セックスで親に復讐する…ameblo.jp『人生の課題に準備のできていない人~「愛と結婚」の課題編』■「愛と結婚」の課題人間が最後に出会う課題は「愛と結婚」の課題です。人間は男と女がいてそこに”性”が機能しています。異性とどのように調和するか、どのようにセッ…ameblo.jp『恋愛と結婚の課題は、準備ができると解決は簡単になる』今日は、恋愛と結婚の課題への準備について書きました。この準備をすることで恋愛と結婚の課題の解決が簡単になります。目次・恋愛と結婚の課題とは・誤った恋愛と結婚・…ameblo.jp『愛と結婚としての性的な課題に対する態度』■セックスへの態度アルフレッド・アドラーは著書で愛と結婚としての性的な課題に対する態度ついて説明しています。そこでは社会生活によく準備されてきた人、と逆によく…ameblo.jp『人生の課題の解決に必要な3つの前提』今日は、アドラーの指摘する人生の課題の解決に必要な3つの前提について書きました。この3つの前提を持つことで人生の課題の解決が簡単になり、人生を止めずに進め続…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
おはようございます。常楽です。今週もあなたを感情旅行にご招待させていただきます。実際に体験するのは大変だけど、映画でなら没入して臨場感を感じるとそれに近い体験ができます。その体験が心を豊かにしてくれます。私と感覚が近い方なら、より楽しんでいただけます。さあ、感情旅行に出かけましょう。■アンビュランスUniversal Pictures Japanwww.universalpictures.jp今回の映画は、『アンビュランス』です。2022年アメリカ映画です。2005年デンマーク製作の「25ミニッツ」のリメイクです。銀行強盗が救急車で逃げる、と言う状況が延々と続きます。通常であれば、銀行強盗犯の乗る車は、警察によって強制的に止められると思うのですが、この救急車に怪我人が乗っているため警察も簡単に手出しでないことで「延々と続く」となっています。でも、ただ延々と続くのではなく、意外なことが起きまくるので「どうなっちゃうの!?」と緊張しっぱなしで見続けちゃいました。この映画は、あまり細かいことを気にせずにどんな展開になるのか没入して観るのが楽しい鑑賞方法だと思います。136分もあるので、どっぷり楽しめると思いますが、疲れてしまう人もいるかもしれません。私は、最後まで観ちゃった方です。監督は、マイケル・ベイです。この人「ハリウッドの破壊王」と呼ばれていて、とにかく大迫力の映像が特徴です。”破壊王”の通り、とにかく壊れまくります。この監督のカメラワークはありえないようなアングルや動きをよくするので、それが大迫力映像を支えています。また、車の撮影が上手な人としても有名だそうで、とにかくカーアクションはすごかったです。代表作は、『バッドボーイズ』のシリーズ、『トランスフォーマー』のシリーズ、『アルマゲドン』(1998)、『クワイエット・プレイス』のシリーズ、です。自ら撮影することでも有名で、それは「どう撮って欲しいのかを伝えても、わかってもらえないから自分で撮った」ということだそうです。また、興行的にも大成功している人です。物語のほとんどは、兄ダニーと弟ウィルと救命士キャムの間でのやりとりです。主人公の一人は、兄役のジェイク・ギレンホールです。最近は悪役で登場することが多い人です。『ブロークバック・マウンテン』(2005)ではアカデミー助演男優賞ノミニーになってます。『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019)でも悪役で登場してました。個人的には『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』(2010)がよかったので、善良な役での出演を期待したいです。劇中では、悪い兄で、弟を銀行強盗に誘います。弟役のヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世は、『グレイテスト・ショーマン』(2017)、『アクアマン』(2018)、『マトリックス・レザレクションズ』(2021)等に出演しています。なかなかの実力派の人です。劇中では元軍人であり犯罪なんてありえない人ですが、病気の妻の治療費のために兄の誘いに他に方法なしと思って応じることとなります。救命士キャムは、この映画の英雄です。ちょっと荒んでいても、命を助けることが最も優先されるべき、とする態度を貫くキャラクターには感動でした。演じるのは、エイザ・ゴンザレスです。『ベイビー・ドライバー』(2017)で有名になった人で、その後は『アリータ バトルエンジェル』(2019)、『ゴジラVSコング』(2021)などに出演しています。違和感としては、劇中の兄ダニーは、お金をそこそこ持っているような感じでした。だから、弟ウィルが助けを求めてきても銀行強盗などしなくても応じられそうな感じだったのです。最も大きい違和感です。でも、兄ダニーが「銀行強盗できる銀行を見つけて、やったら計画通りうまくいくはずだから、やってみたい」と思っていたら、助けを求めてきた弟で人手不足を補おうとするのは理解できてしまうので、兄の悪人キャラから察すれば、違和感も問題なくなってしまうのです。もう一つの違和感は、弟ウィルが、その人柄を考慮すると、どうあっても銀行強盗などはしない人であることは明白なのに、なんだかんだで銀行強盗している流れです。これは「映画の脚本にそう書いてあるから」であり、ヤーヤ・アブドゥルがその脚本に忠実に演じたから、と解釈することができます。その一方で、兄に貢献できる喜びがあったり、手っ取り早くお金を調達できる魅力に負けたとの解釈もできるので、う~ん、と振り上げた手を膝に降ろしてしまえるのです。不適切な方法をした過ちを、不適切な方法で改善しようとすると、通常はうまくいきません。なぜなら、不適切な方法では個人的利益の実現しかできないからです。つまり「自分だけに善くて、誰かに犠牲を払わせているから」です。不適切な方法をしてしまったなら、それは適切な方法でしか改善できません。そういう当たり前なことを、ものすごい大がかりに教えてくれている映画だと感じました。お読みいただき、ありがとうございます。中村常楽でした。ACE COACHING's Services here
今日は、「広島原爆を知る」の続きでその2です。人の頭の上に、故意に原爆を落とされた国は、私たちが住む日本だけです。原爆については、修学旅行で行ったことがあるくらいで、それ以上とくに知ろうとしてきませんでした。でも、自分が知ろうと思えば知ることができる、という、当たり前のことを想うと、日本人としてちゃんと知りたいと思い、撮影旅をすることにしました。撮影は2019年ですが、今の解釈で現像しています。写真は5枚です。よろしければ写真での旅をご一緒いただけたら、嬉しいです。『世界遺産 原爆ドーム』原爆ドームは、世界遺産です。世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づき「世界遺産リスト」に記載された「顕著な普遍的価値」を持つ建造物、遺跡、景観、または自然のことです。1992年9月に日本の世界遺産条約加盟を契機に「原爆ドームも世界遺産に」との声があがり、広島市から国に要望書が提出されました。翌1993年には国会請願のための全国的な署名活動が展開され、国はそれを受けて1995年6月に原爆ドームを”史跡”に指定し、同年9月には原爆ドームを世界遺産として登録してくれるよう世界遺産委員会に推薦しました。その翌年(1996年)12月に原爆ドームは「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝え、時代を越えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和祈念碑」としてユネスコの世界遺産リストに登録されました。ところで”ユネスコ”とは、よく聞きますが、一体何のことなのでしょう?気になったので調べてみました。ユネスコとは、国連(国際連合:United Nations)の専門機関のひとつで、国連教育科学文化機関(United Nations Educational,Scientific and Cultural Organization)です。頭文字をつなげるとUNESCO(ユネスコ)となるのですね。1946年に、異なる文明、文化、国民の間の対話をもたらす条件を創出する活動をする機関として設立されました。なお、国連とは「国際の平和及び安全を維持すること、その他」を目的として1945年10月に51か国の加盟によって設立された組織です。現地に行ったときは、ここまで知りませんでしたが、これを知ると原爆ドームの価値の深さを改めて感じます。『原爆ドーム北西側』原爆ドーム北西側は、爆心地から遠い側の外壁が残されているだけです。中には補強のための柱が入っているのが見えます。ここの手前には中国・四国土木出張所職員殉職碑が置かれています。1954年(昭和29年)8月6日に建立されました。まだここが広島県産業奨励館だった頃に、この出張所が3階と1階の一部に入っていました。職員は93人おられたそうですが、疎開していた人を除き52人の方が原爆の犠牲になったそうです。歌碑には「原爆のいけにえとなりし人々は、なごみゆく世のいしずえにして」とあります。また、碑陰に「元内務省中国四国土木出張所職員52名は国民義勇隊として作業中昭和20年8月6日の原爆並びに戦災により、平和の礎となりこの地に眠る、昭和29年8月6日、建設省中国四国地方建設局職員一同建之」とあります。平和記念資料館の資料によれば、この歌碑の意味は次の通りです。「しだいに復興されていく新生日本の礎として、不運にも原爆でなくなられたかたがたを思うにつけ、この貴い犠牲を無にしないよう我々は、君達がねがいはたさなかった平和な国の建設に、より一層の努力を傾けたいと思う。どうかやすらかにお眠り下さい。」(建設省中国地方建設局(現在の国土交通省中国地方整備局)の資料より)『原爆ドームの上の方』原爆は、この原爆ドームから160m地点の上方600mで爆発しました。爆風と熱線で建物の弱い部分はすべて壊れましたが、比較的強い部分が壊されずに残り、それが原爆ドームとなりました。よく見れば見るほどぼろぼろで、原爆の威力のすごさを感じます。原爆にやられてから79年の今日でも、こうして存在し続けてくれていることに、感謝です。ありがとうございます。その3に続きます。今日もお読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
今日は、メンタルコーチングが適するかどうかを見分ける一つの方法についてです。絶対的なものではなく、”傾向を示すもの”として見ていただければと思います。そして、それは、カフェやレストランに行ったときに自ら席を決めようとするかどうか、です。自ら席を決めたい人は、コーチングが適する人です。それは同伴者や店員に「どこの席が良い席ですか?」などと訊いた上で決めることも含まれます。席を決める最終決定権は自分が持っているとの自覚のある人、ということです。主体性が高く、企画→予定→行動→検証→再企画という流れが自然なために「変革」の準備ができている、といえます。「変革」は現状の外側へ向かうため、自らの意志で向かわない限りは実現しないからです。一方で、自ら席を決めたくない人は、コーチングが適さない人です。それは、「あなたはどの席が良いと思う?」などのやりとりによって他者に決めさせようとすることも含まれます。一見、他者を優先するように見えても、それは他者を思ってのことではなく、自分が決めなくて済む手段として他者の優先を利用しているため、実際には自分を優先しています。依存的であるため、「変革」は起きにくい状況ですので、コーチングは適さないのです。現状の外側に行くには主体性や自立心が必要だからです。依存的な状況は、自身の中に未解決の課題があることを示していますので、その課題の解決をする、つまりカウンセリングによる「回復」が適している、というわけです。コーチングに適するから善で、適さないから悪だ、ということは、かなり偏った見方ですので、このような意味づけは生きるのには役に立ちません。コーチングが適する人が、部分的にカウンセリングを必要としたり、カウンセリングが適する人が、部分的にコーチングを必要としたりは、よくあるからです。自分の状況次第で、どのようになるのかが決まるだけであり、その状況については善も悪もなく、その状況はただ「その状況」であるだけです。そこから「どこへ向かうか」、「何を実現したいのか」によって、すなわち”目的”によって何が適するのかが決まるだけです。コーチング、カウンセリングとは、ただの手段です。私自身、セッションにおいては、全体としてはコーチングセッションですが、部分的にはカウンセリングを用いることはよくあります。クライアント自身に大きな変化があったときは、その大きな変化を受け取れるまで「変革」は難しい場合が多いからです。十分に「回復」ができてから、改めて「変革」に向かうのです。手段を上手に使うことで目的を実現していけることが大切であり、その手段について共同体感覚による方法となるようにしていくことで、感じるしあわせは無限に増やしていけるのです。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『コーチングを使う人には必ず成果が出るが、受ける人には成果は出ない』今日はコーチングについて書きました。目次・コーチングは使うもの・技術コーチとの違い・過去に得た教訓・自分の人生は自分でやる思い■コーチングは使うものコーチング…ameblo.jp『コーチングとは今の世界にない目的を見つける活動』■限界を超える普通コーチングの目的は「変革」です。今の世界にはない目的を見つけることです。そんな目的を見つけられると見える世界がガラリと変わります。例えば、実…ameblo.jp『コーチングの過程、3つの段階』■理想への飛躍を目指すコーチングとは人生に変革を起こして唯一無二の生き方をできるようにする精神的な活動です。そのためには真の理想が何であるのかを知りその理想へ…ameblo.jp『力のないカウンセリングと力のあるカウンセリング』■「治療」が起きるかどうか目の前のカウンセリングに力があるかどうかはそれが理想主義か現実主義かどちらを軸としているかを見ることでわかります。「治療」が目的なら…ameblo.jp『夢が叶った先は、どうなっていますか? ~本当に願いを実現するために』今日は、本当に願いを実現するための「夢」の取り扱いについて書きました。目次・自分次第の夢・「最終目標」のような夢・質問への効果的な答え方■自分次第の夢寝て…ameblo.jpACE COACHING's Services here
今日は、子どもの学力向上を望むなら、まずは子どもの共同体感覚を発達させることを目指す、について書きました。目次・まず第一に子どもの共同体感覚の発達に着手する・アドラーの学校教育・教師に、人類の未来がかかっている■まず第一に子どもの共同体感覚の発達に着手するアルフレッド・アドラーは、子どもが学校の教科で成功するかどうかは、第一に子どもの共同体感覚に依存することは疑う余地もない、と指摘しています。子どもの共同体感覚は横に置いておいて、形式的に子どもの学習時間を決めたり、家庭教師をつけたり、塾に通わせたりは、手段が目的になっている状況となります。子どもの学力向上のためにまず第一に着手すべきは、子どもの共同体感覚を発達させること、とアドラーは説明しているわけです。共同体感覚が発達すれば、子どもは何のために勉強が必要なのかを自力で見出し、自然と学力向上を目指す、としているのです。共同体感覚が発達する、ということは、社会適応能力が高まることであり、社会的に有用な人へと向かうことだからです。もちろん、共同体感覚の発達について、と、学力をどのように向上させていくか、については教師や親の援助が重要となります。教師や親自身に共同体感覚の不足があれば、同時に教師や親自身の共同体感覚の発達についても取り組むことで、子どもへの援助の質を向上していけます。教師や親自身の共同体感覚の発達が自力で難しい場合には、訓練されたカウンセラー(回復)やメンタルコーチ(変革)などの専門家の手を借りることで実現が簡単になります。■アドラーの学校教育アドラーは学校のことを、共同生活の中で共同体感覚を発達させるためのふさわしい場所、としています。それは、当時アドラーが、教師が問題のある子どもへの正しい教育を見つけることができるよう援助するために、個人心理学(アドラー心理学)の教育相談所の設立を決心したほどですから、どれほど学校教育を重要視していたのか、その重要さを感じます。アドラーは、共同生活である学校生活において次のようなことが身に着く、と指摘しています。「友情、仲間との関係についての問題、(中略)その問題解決に必要な特性である、信頼、誠実、協力傾向、さらには、国家、民族、人類への関心」そこでの教師の役割は、子どもにただ情報を叩きこんだりして子どもが学校と敵対的になりやすくすることではありません。子どもと友好的に話し合い、共同体感覚が欠けている部分を見つけ、それを子どもに教え、どのようにすれば共同体感覚が発達するように改善できるかを子どもに理解できるように説明して発達を援助することです。そうすることで子どもは自然と「なぜ学力向上が必要なのか」との問いに明解な答えを見出すことができ、自然と学力向上を目指すのです。それは例えば、将来なりたい職業が決まっている子どもはそれについて関心を持つため、それについての情報を提供すると喜ぶような感じです。逆に、将来なりたい職業が決まっていない子どもはどんな情報を提供すればよいかわからないばかりでなく、「これが大切だよ」と情報を提供しても子どもが必要を感じていないため喜ぶこともない感じです。なお、職業とは、共同体への貢献の手段のことです。子どもは、共同体感覚が発達していれば、自分はどの共同体に貢献したくて、その貢献はどのような手段でしたいのか、については自然と考えるのです。もちろん、年齢を重ねて、情報や経験が増えてから、なりたい職業が変わることもよくあることなので、そこで周りの大人が「前と違うじゃないか」と個人的利益の追求にはしると子どもに負担をかけるだけなので、子どもの更新された職業における新しい目的の共有に努めることがよいでしょう。なお、お金を稼ぐのは職業の目的ではなく資金調達の目的なので、混同すると子どもは職業とお金を結びつけて考えるようになりがちなので注意したいところです。■教師に、人類の未来がかかっているアドラーは、教師が子どもと話し合うことで子どもの共同体感覚の強化をすることに人類の未来がかかっている、と言っています。それは、共同体感覚を発達させずに個人的利益を実現させる方法、すなわち、不適切な方法で課題を解決する有害な試みを子どもに確信させることができるから、です。確実に「よくない」とわかっていれば積極的に選ぶようなことはしないのです。アドラーのいう、その”不適切な方法”や”有害な試み”とは、次のようなことです。・戦争・死刑・人種間、民族間の憎悪・神経症・自殺・犯罪・酩酊酩酊とは、薬や酒の中毒になることと考えられます。これらのいずれもが共同体感覚によらない方法、すなわち他者貢献をせずに個人的利益を実現させようとする行為であり、これをアドラーは、「われわれの人生における大きな誤り」としています。保育園や幼稚園から始まる学校での共同生活の中で共同体感覚を発達させることで、子どもたちにこれらが”大きな誤り”であることを確信させることができるのです。確信させることができれば、われわれ人類の中に起きる”大きな誤り”をなくしていけると信じているのです。その鍵が、教師である、とアドラーは言っているのです。もちろん、親による家庭教育も重要です。家庭と学校の教育を両輪として適切に回すことによって子どもは共同体感覚を発達させ、それが国家、民族、人類、さらには地球、宇宙への関心となり、それらに有用な人となるべく必要なことについて知識や技術を習得していこうとすることにつながるのです。その知識や技術の習得のひとつが、学校生活においては学力向上となるわけです。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『アドラーの学校教育』■教育とは後に役立つものアルフレッド・アドラーは学校教育は社会適応能力を高めるもの、としています。社会適応能力を具体的に言えば、学んだ人がその後の生活において…ameblo.jp『教師と級友に敵対される子ども』■子の孤立が進むと深刻になるアルフレッド・アドラーは今までとくに問題のなかった子が学校に入って新しい状況に直面したら問題があるように見える例として教師と級友に…ameblo.jp『軟弱な家庭』■軟弱な家庭とはアルフレッド・アドラーは軟弱な家庭だけが親が子に苦しめられる、と言っています。軟弱な家庭とは、親より子の方が社会適応能力が高い家庭のことです。…ameblo.jp『学校ができたのは、家庭で全部を教育できないから』今回は学校のなりたちから学校と家庭それぞれの教育について、さらには家庭での教育は何をすると効果的なのかを書きました。【 目次 】・学校ができた理由・学校と家庭…ameblo.jp『知能検査(いわゆる”テスト”)の失敗 ~アドラー心理学の成功』今日は、アドラーが指摘している知能検査(テスト)について書きました。結論から言えば、知能検査よりもアドラー心理学の方が感じるしあわせを増やすのに役に立つ、とい…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
私は医師ではなくコーチなので、アスペルガー症候群っぽい人をあすぺるがー風な人、略して「A風な人」と呼んでます。A風な人の世界には、人は自分だけであり、他者はすべて自分が優越感を得るための道具として認識しています。なので対人関係というものがありません。あるのは対物関係だけ、ということです。A風な人が、結婚したり子どもが生まれたりすると配偶者も子どもも”物”として認識します。配偶者も子どもも、「これをどう利用すれば自分は優越感を得られるのか?」という接し方をされます。そして、最もA風な人が落ち着けるのが自分が配偶者や子どもを征服できている状況です。その征服は、強さによるものでも、弱さによるものでも、どちらでも構いません。A風な人は対人関係がないため相手との関係の調和がわかりません。わからないため、相手を征服する他に自分が安心できる手段がないのです。私の父親はA風な人ですが、幼い頃から父親は「偉そうにしてるが、無能だ」と感じていました。なぜなら、私が話すことは間違っており、父親が話すことが正しい、と扱われていたからです。実際に私が体験したことであっても、体験してない父親の言うことが常に正しいとされる、とてもおかしな家庭でした。今なら、こうするのは、父親が私を征服することで安心しようとしているとわかります。しかし、当時はわからないため、父親が話すことを聞くとよく混乱していました。内容がおかしいからです。父親が「友達たくさんつくれよ」と、さも友達たくさんつくることが自分は”善いこと”と知っているんだと自慢するように言ってくるのですが、そういう父親自身には友達がいませんでした。なぜ友達たくさんつくると良いのか?何に対して良いのか?がわからないので父親に質問します。「つくると、何が良いの?」すると、父親は、「そういうものだから」とか「友達いないのはよくないから」とか質問の答えにならないことばかりを並べ立てるだけでした。さらにひどいと、「親にそんなことを言うもんじゃない」とか「親の言うことは素直に聞くもんだ」とか「親を困らせるな」などと返ってきます。つまり、父親は、なぜ友達たくさんつくると良いのか?を知らないのです。知らないのだけど、私を征服する手段として、「友達たくさんつくると良い」を何が何でも使いたかったのです。私が何の疑問も持たずに、「友達たくさんつくると良いんだね!ありがとうおとうさん!わかったよ!」みたいに答えることで、父親の征服が成立し、そこで父親は個人的に安心できた、ということだったのでしょう。知らないなら知らないで、友達たくさんいる人が楽しそうに見えたから、などと、素直に答えてくれれば納得できるのですが、それは沽券にかかわるようで絶対に言いませんでした。私は、理解ができないので、「わかった」とは言えません。そうなると、理想の回答をしない私に対して父親が「困る」を使い始めます。「困る」を使い続けていると母親が横から入ってきて加勢してくれるとわかっているからです。母親は父親に見捨てられないために父親の側に立つしかないと信じている人です。そんな母親が横から「おとうさんをこまらせるんじゃありません」と迫ってきます。大人ふたりがかりで幼い私を無理やり説得しようとします。結局、私は見捨てられると死ぬしかないと信じていたので、本気の大人相手にやりあうこともできずわかってないけど「わかった」と言って話を終わらせていました。「わかった」を聞くと父親はとても満足したようで満面の笑みを浮かべながら「わかったね?」とさらに追い打ちをかけてきます。そうして「わかったね?」と訊けば私が「わかったよ」と返すとわかっているからです。これも、理想の回答を私にさせることで父親が「征服できている実感」を味わうことができ、繰り返せばそれだけ何度も味わえるわけです。だから私は、父親の満面の笑みを見ると気分が悪くなってました。今でも、それはあります。母親も、私に犠牲を払わせることで、自分が助かったことに安堵を感じて「ちゃんとおとうさんの言うことききなさい」などと言ってきます。まるで霊感商法みたいな押し売りのようです。こんなことがあったと友人に話すと、「お前の親、バカなんだな笑」と言われることもよくありました。それは、まったくその通りであり、自分の思いに共感してくれているので、その面では嬉しかったです。しかし、自分の親がそう言われるのは、自分の恥ずかしい面をさらしたようで悲しくもありました。また、こんなことを大人に話すと、決まって皆、親の肩を持つ人ばかりでした。現場を知らないのに「ご両親はお前を大切にしているんだよ」とか「親を悪く言ってはいけない」などと言われたり、「親の言うことはちゃんと聞かないといけないよ」とか「自分はもっと大変だったから、それくらい我慢しなくちゃいけない」なんて否定的な返事が返ってきました。それは私の話をまっすぐ聞いてくれていない、すなわち、私が軽んじられていることであり、とても嫌な気持ちになりました。なので、こんなことがあっても、次第に誰にも話さなくなり、一人で抱え込むようになりました。これをどう説明したらわかりやすいのだろう?と私はいつも考えていたようで、つい最近、思いつきました。それは、親が読んでいない本を「この本は良い本だぞ」と私に言ってきて、私に同意させようとしていることと同じだと思いつきました。実際に読んで、「何が良いのか」を理解した上で勧めてくれるのならわかりますが、なんとか読まずに済ませた上で、「この本が良い本だと知っている自分」を私に認めさせたい、という、とてもひねくれたことをしているのです。こんなことを言われたら「なぜその本が良いのですか?」とか、「何に対して良い本なのですか?」などと訊くことは、自然なことでしょう。もしこんなことを質問すれば親は私に「親の自分に同意しろ」「同意しないと見捨てるぞ」と脅迫してきます。私は、脅迫されると死にたくないので自分に我慢をさせて同意します。同意すると父親は歓喜します。父親はこれを相手を選んでしています。つまり、脅迫が通じる人だけを相手にしているのです。私には姉と弟がいますが、彼らは父親に従順だったのでそもそも脅迫が必要はありませんでした。母親も従順といえばそうですが、さすがに「犠牲を払え」と言われて耐えられない場合には反論していましたから、その度に父親は脅迫を使っていた様子でした。私を説得するときに父親に加勢するのは、脅迫の効果があったからでしょう。一方で、外部の人に対しては、脅迫を使うと、自分が社会的に生きていけなくなると父親はわかっていたようで、しませんでした。他者との関係において常に相手を征服しないと安心できない父親は、脅迫が使えない相手とは関係をそもそも持とうとしませんでした。征服できない相手とはどう接したらよいのかわからないのです。その「わからない」が恐怖だったので、他者とは関係を持たないことがその恐怖を抱えずに済む最良の策だったのです。そんな臆病な人がよくも偉そうに「友達たくさんつくれよ」などと言えたものだと呆れるばかりです。唯一、父親が安心して持てる関係は、”自分がお客様である関係”です。自分がサービスを受ける側だと、相手を征服できている感を感じられるからでしょう。相手は父親にお金を払わせたいので一生懸命に父親の関心をひこうとします。相手が自分を気遣うのは当然で、自分が相手を気遣うのは特別、という、圧倒的有利な”立場の差”を味わうことでたっぷり優越感を搾取できるからでしょう。(気持ち悪いです...)また、父親が、他者に貢献しているように見えても、それは貢献という行動をすることで得られる個人的利益があり、それを得ることが目的となっています。常に関心の向け先は、自分自身以外に向くことはないのです。父親は今でも私を征服できると思ってあれこれ仕掛けてきますが、今はもう脅迫が通じません。切り札だった「見捨てるぞ」を言ってみても私からは「見捨ててみろよ」と返ってくるばかりだとわかっているからです。それでもやっぱり私は父親からすれば”物”であり、優越感を得るための”ただの道具”なので、あれこれ仕掛けてきます。最近では、強さを使う方法ではなく、弱さを使う方法になっています。「自分は弱いのだから、気遣うのはお前だろ?弱い自分をちゃんと気遣えよ」という感じです。実際に気遣うことをせずともそれに「はい、そうですね」と答えるだけで父親は満足するようで、その後しばらくは何も仕掛けてこなくなります。幼い頃にくらべたら、とても平和になった感じです。対等な対人関係を持てなければ共同体感覚も発達しないので、父親は個人的利益としての安心を感じることはできても、「しあわせ」の感覚がわかることは今後もないでしょう。「他者への関心」を養うことができれば対等な対人関係を持つことも可能ですが、構造的に養えないため、今後も同じような状況となるでしょう。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。↓A風な人の記事一覧はこちらあすぺるがー風な人|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「あすぺるがー風な人」の記事一覧ページです。ameblo.jpACE COACHING's Services here
今日は、子どもは学校に入るときに、協力能力を試されることについて書きました。協力能力とは、共同生活の中で他者を仲間として力を合わせて課題を解決していく力です。子どもについても、親自身が子どもの頃についても、感じるしあわせ増やすために役立つ内容となっています。目次・学校と敵対する行為が示すもの・よくできる子どもとの比較は逆効果・適切な教育によって改善できる■学校と敵対する行為が示すものアルフレッド・アドラーは、家庭での貢献の様子や、遊びに正しく参加しているか、他者を仲間として扱っているか等に加えて、学校や保育園に入るときに子どもは協力能力を試されることとなる、と指摘しています。また、アドラーは、子どもが協力することを十分に理解できていない場合には次のような”学校と敵対する行為”を示すと教えてくれています。その行為とは、以下のようなものです。・どの程度興奮しているか・通学を拒むこと、その方法・他者と離れて立っている・関心と集中力の欠如・遅刻する・授業を妨害する・ずる休みする・筆記用具等、学用品をよく紛失する・宿題等の勉強ではなく無為に時間を過ごすこのような行為をする子どもは、共同体感覚が十分に発達していないこと、そして、相応の劣等感を抱えていることを示してくれています。なお、共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。この感覚が発達すればするほど感じるしあわせが増えます。■よくできる子どもとの比較は逆効果”学校と敵対する行為”を示す子どもにすると逆効果なのが、よくできる子どもとの比較です。よくできる子どもは、共同体感覚が適切に発達しており、それによって劣等感を感じても自力で補償できることが多いため、”よくできる”と見えるのです。そのような子どもは、適切な教育を受けてきたからこそ、そのような状況になっているのです。一方で、”学校と敵対する行為”を示す子どもは適切な教育を受ける機会が乏しかったために劣等感を自力で補償できることが少なく、補償できないことについてそのような行為に頼らざるを得ない状況に置かれているのです。これを子どもの周りの大人が比較して「君にできないことがあの子はできてるよ」「あの子を見習いなさい」などと伝えることは、その子どもの共同体感覚の発達には何の役にも立たないことです。これは例えば、一冊の本があり、すでに読んだ人と、まだ読んでいない人を比べて、「あの人は本の内容を知っているよ。だからあの人は優秀で、本の内容を知らない君は劣悪なんだよ」とか、本の内容を知る人を指して「あの人を見習いなさい」などと言うようなことと同じです。本を読んだかどうかだけの違いで優劣を決められてしまうのは、なかなか厳しいことです。子どもは適切な教育を受ける機会が乏しかったために自力で劣等感の補償ができないだけであり、その「適切な教育を受けていないこと」を大人がいくら非難したとしても、その子どもの共同体感覚の発達には何の役にも立たないのです。役に立たないどころか、「君は劣悪だよ」と言われた子どもは傷つき、心を閉ざすことでしょう。つまり、逆効果なのです。また、もちろん、”学校に敵対する行為”について非難することも、子どもの共同体感覚の発達には役に立たないことです。■適切な教育によって改善できる協力能力が養われていないと、他者を仲間と扱うことが困難になります。その協力能力は、適切な教育を受ける機会を持続的に持つことができれば、自然と育っていきます。なお、適切な教育とは、「他者への関心」が育つようなはたらきかけのことです。もし、”学校に敵対するような行為”を示した後も適切な教育を受けられなければ、子どもは協力能力が育たないまま共同生活を送らざるを得ません。そこでの思考は、自分の身を守ることが優先されるため、「相手より自分優先」に偏りがちです。それは、臆病(消極的な劣等感の表現)や興奮(積極的な劣等感の表現)の形で劣等コンプレックスとして現れます。劣等コンプレックスとは、強い劣等感をなんとか補償する行為であり、他者のことなどなりふり構っていられないという状況を示しているものでもあります。「他者への関心」が育っていないのですから当然といえば当然です。アドラーによれば、喧嘩好き、他者の遊びを壊す、他者は仲間ではなく敵・味方のどちらか、など個人的利益の追求を目的とした優越感を得る方法、等によって現れます。適切な教育を受けていないことが根源的な原因なのですが、周囲の大人がそれを理解していないと表面的な症状や出来事でその子どもを判断しがちです。例えば、「学校に行きたくない」と主張する子どもは適切な教育が不十分で共同体感覚が不足していることを示しているのであり、親や教師を困らせたいわけではないのです。もちろん、そう主張してもそれを理解する大人がいなければ、子どもは理解しない親に理解してもらおうと他の手段に打って出るほかなくなります。通常の主張がダメなら、親や教師が驚くようなことをしたり、権力争いを仕掛けたり、嫌がらせたりします。それでも理解する大人がいなければ自分の無能を示す以外にできることがないと思うようになるでしょう。そうして子ども時代に適切な教育を十分に受けられずに協力能力を養う機会を持てなかった子どもは成長してからも生きづらさを抱えながら生きていくことになります。このような状況になりがちなのは、親や教師たち自身に共同体感覚が不足している状況です。つまり、子どもが”学校と敵対する行為”を示してくれたならば、親や教師は、その子どもを学校と調和させようと努力するよりも、自分自身の共同体感覚の発達を優先させることの方が、状況の改善に効果的である、ということです。大人になるまでに適切な教育を十分に受けることができなかったことは悲しいことですが、大人であれば、自分で自分の関心を他者へと向けるように促す(意識する)ことで少しずつでも共同体感覚の発達を目指すことができます。そうして自分を育てつつ、子どもに適切な教育をするようにすれば一緒に育っていくことができます。そうして、一緒に頑張ってくれる親や教師は、子どもにとって頼もしい存在と感じられるでしょう。こうした取り組みの負担を軽減し、効果を早く感じたい方は、訓練されたカウンセラー(回復)やメンタルコーチ(変革)の手を借りることで実現できます。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『アドラーの教育「学校と家庭」』■甘やかさない学校アルフレッド・アドラーは学校は”子どもを甘やかさない”という点において家庭と違う、と説明してます。学校は子どもの社会適応能力を養う場であるた…ameblo.jp『子が学校に通い出したら、親を憎みだした例』■甘やかされた子の劣等感アルフレッド・アドラーは家庭では親に甘やかされて「いい子」だった子が、学校に通い出して家庭との接触を失った途端にそれまで隠され続けた強…ameblo.jp『失敗しない親はいない。失敗後の関心の向け先で子への影響が変わる。』■子の社会適応能力失敗しない親はいません。子育てを何百回もすれば失敗をほとんどせずに子どもを自立できるまで育てることができるかもしれませんが、寿命があるので無…ameblo.jp『厳しい教育には二重の害がある』■二重の害厳しい教育には二重の害があります。アルフレッド・アドラーはそのことについて「いくら強調してもし過ぎることはないことだ」と言っています。その二重の害と…ameblo.jp『生まれて最初の仲間は「母親」 ~母親の2つの困難』■「最初の仲間」の役割アルフレッド・アドラーは、人生の最初の課題である交友の課題としての共同生活をする最初の仲間は、母親である、と説明しています。通常であれ…ameblo.jp『人生の課題の解決に必要な3つの前提』今日は、アドラーの指摘する人生の課題の解決に必要な3つの前提について書きました。この3つの前提を持つことで人生の課題の解決が簡単になり、人生を止めずに進め続…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
明日は夏至ですね。関東の梅雨入り予測は6月22日だそうで、とても遅い梅雨入りになりそうですね。とはいえ、この暑さも梅雨入りとなれば少しは和らいでくれると期待しています。6月19日はHSPランニングクラブでした。今回も...よい天気でした!すばらしい青空でした!悲日焼け対策して、のびのび走ってきました。今回の皇居は、アガパンサスが元気に咲いてました。紫陽花も梅雨を待つかのように咲いてました。九段下、昭和館からスタートします。ご覧の通り、快晴です!悲昭和館の横のお濠の蓮は、青々と茂ってました。日光が気持ちよさそうです。今回は思い立って、武道館に寄ってみました。武道館は北の丸公園の中にあります。入口の小さな門をくぐるとこんな感じです。これは内側から靖国通りを見ている感じです。そしてこれが、田安門です。国指定の重要文化財だそうです。こんな貴重なものに誰もが触れることができるなんて、なかなか寛大ですね。武道館です。正式名称は「日本武道館」です。青空に映えますね。でも暑いからここで引き返しました。創建の目的は、日本伝統の武道の普及推奨、武道を通じた健全な心身の育成、民族の発展と世界平和と福祉に貢献、だそうです。詳しい内容はウェブサイト↓に記載してありました。PAGETITLE | SITENAMEdescription textwww.nipponbudokan.or.jp九段坂公園から望む千鳥ヶ淵です。水は前回と同じ緑一色でした。今回はスワンボートが一艘出てました!千鳥ヶ淵沿いの桜並木です。影の濃さから、梅雨を飛び越して夏になったような日差しの強さがわかります。小さな青い花が咲いてました。iPhoneによればツユクサだそうです。紫陽花も元気に咲いてました。千鳥ヶ淵ボート場では、スワンボートの他に一艘の手漕ぎボートも出てました。反対を望むと首都高速が見えます。こんな赤い植物もありました。iPhoneによればダンドクという植物だそうです。そして、アガパンサスです!咲き始めたところみたいです。この花の撮り方がいまだによくわかりません。でも、咲くとにぎやかな感じがしてすてきです。そして、皇居に到着です。皇居東側の内堀通り沿いの歩道です。この木陰がありがたい...!この左側が千鳥ヶ淵公園ですが、この公園の地下には首都高環状線が走っているんですよね。ここからではまったくわからないのですが。千鳥ヶ淵公園にも紫陽花が咲いてました。いつもここを通るとき、遊具で遊んでいる子どもがよくいるのですが、今日はいませんでした。やっぱり暑いからかもしれませんね。いつもの半蔵門から望む桜田濠です。前回よりも緑がより濃くて、水が澄んでいるような感じがします。これが2週間前です。桜田濠沿いの植え込みでも、紫陽花が元気に咲いてました。桜田門付近から日比谷方面を撮影してみました。ここは凱旋濠というのだそうです。写真中央に小さく写っているのが祝田橋です。今日の桜田門には、少し人がいました。桜田門です。ここから反対側を向くとこんな感じです。やっぱりCGみたいです。ここの右側に、健康マラソン時計塔があります。今まで通過していたのですが、今回は寄ってみました。皇居でのランニングイベントではよくここが集合場所になるそうです。調べてみたら、アシックスの前身のオニツカの提供でした。1975年10月10日、当時の体育の日に設置されたもので「走る人」がデザインの基礎になっているそうです。よく見れば、確かに走る人っぽいですね。なるほど~、そういうものだったのですね!皇居南側、内堀通り沿いの歩道です。やっぱり照り返しがまぶしいです!二重橋前交差点から眼鏡橋方面です。今日は、観光の人たちが多かったです。桔梗門方面を撮ってみました。小さくてよくわからないのですが、今日はここも観光の人たちが多かったです。このあたりから東京駅が見えます。東京マラソンのゴールがこのあたりです。いつか私も東京都庁からここまで走ってみたいです!桔梗濠はアオコっぽい緑色が浮いてました。皇居東御苑の大手門入口です。今日は賑わってました。大手濠もアオコっぽいものでいっぱいです。写真の奥のアンテナ塔の建物は、東京消防庁本部庁舎です。そして、今回はじめてなのですが、さぎと思われる鳥に遭遇しました!iPhoneカメラは広角なので、寄って撮らなきゃと思って近寄って撮りました。警戒されてましたが、人に慣れているようで、飛び立たずに足早に歩き去っていきました。この濠には鴨っぽい鳥がよくいるのですが、さぎは初めてで、ちょっと興奮しました。乾濠です。写真中央には平川門に続く橋が見えます。右手にある建物は毎日新聞社です。平川門は静かでした。その先にあるのが竹橋です。東京メトロ東西線の駅名でもありますが、この橋の名前でもあります。石畳になってます。ここから上り坂です。平川濠と北桔橋門です。きたはねばしもん、と読みます。乾濠小公園の紫陽花です。乾門です。戌亥(北西)にあるから乾門だそうです。ちょうど坂下門の反対側で、ここまで乾通りでつながってます。ここはよく車両が出入りしています。今日はミキサー車でした。乾門のすぐ前には、首都高速代官町料金所があります。代官町通り沿いの歩道です。生垣の手入れをしていました。青い匂いが満ち満ちてます。作業する方も暑そうです。半蔵濠に着きました。これで皇居一周です。ここの土手にはよく餌があるみたいで、たくさんの鳩が食事をしていました。麹町の派出所前の植え込みではバラが咲いていました。iPhoneによればこれはロサダマスケナだそう。直径10cmくらいありました。蕾もありました。ここのもみじは、先の方の葉が赤くなってました。こういう品種なのでしょうね...ほとんど日差し浴びっぱなしで、暑いランニングでした!いつもと同じコースなのに、今までこの時計は14km台しか計測してくれませんでしたが、今回はやっと15kmを越えてくれました。笑のびのび走れて楽しかったです!もっと速く楽に走れるように、まだまだ練習していきます!お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。HSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
おはようございます。常楽です。今日は水曜日ですね。今週もあなたを感情旅行にご招待させていただきます。実際に体験するのは大変だけど、映画でなら没入して臨場感を感じるとそれに近い体験ができます。その体験が心を豊かにしてくれます。私と感覚が近い方なら、より楽しんでいただけます。さあ、感情旅行に出かけましょう。■アイス・ロード映画『アイス・ロード』 公式サイト救出機材の重量30t。支えるのは80cmの海氷。死のロードを走りきれ。映画『アイス・ロード』11月12日(金)公開!gaga.ne.jp今回の映画は2021年アメリカ製作の『アイス・ロード』です。カナダのダイヤモンド鉱山で爆発が起き、坑道が崩れて26人の作業員たちが地下に閉じ込められます。地下の酸素がもつのはおよそ30時間。その間に救出しなければならないのですが、その地点まで掘る機械が現地にありません。その機械は30tもあって、空輸は無理でトレーラーによって陸路で運ぶしかなく、そのドライバーに、輸送を託された運送会社のジム・ゴールデンロッド(ローレンス・フィッシュバーン)、カナダの先住民(ファーストネーションズ)の若い女性タントゥー、そして主人公マイク・マッキャンが選ばれます。輸送経路は最短である”アイス・ロード”を使わないと間に合わないため、この経路を選びます。”アイス・ロード”とは凍った水の上の道のことです。重たいトレーラーは、スピード速すぎると圧力波によって氷が割れるし、スピード遅すぎるとその重さで氷が割れるしで、大変です。しかも、劇中では4月で、通常ならこの時期の”アイス・ロード”は危ないため閉鎖されています。厚さ80cmならぎりぎり大丈夫だろうとのことでこの経路を行く決断をします。それだけでもドキドキなのに、悪いこと考える人たちがいて、ご期待通りリーアム・ニーソンがその人たちと戦います。”アイス・ロード”は実在する道で、カナダのイエローナイフというところにあるグレート・スレーブ湖の上にあります。ロケ地は別ですが、ここは2月にはマイナス30℃まで冷えるそうで、実際に湖の氷もよく凍って道路に使えるほどだそうです。監督・脚本は、ジョナサン・ヘンズリーです。この人、弁護士だそうで、弁護士をしながら独学で脚本の勉強をして脚本家になったというおもしろいキャリアを持つ人です。テレビシリーズ『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』(1993)や『ダイハード3』(1995)、『アルマゲドン』(1998)などの脚本を手がけました。監督としても2作品を作ってます。この映画の特徴的な点は、撮影監督がトム・スターンであることです。カメラの存在をまるで感じさせず、迫力のある映像によって感情的にぐいぐい引き込まれます。この人は、クリント・イーストウッド監督作品の撮影監督を務めていることで有名な人です。1982年に照明技師としてイーストウッドチームに参加し、2002年に撮影監督となって数々の作品を手掛けます。どの作品も秀逸と感じますが、私の好きな映画としては『グラン・トリノ』(2008)、『インビクタス 負けざる者たち』(2009)、『ジャージー・ボーイズ』(2014)、『アメリカン・スナイパー』(2014)などを手掛けています。すごい描写力です。『チェンジリング』(2008)ではアカデミー撮影賞にノミネートされました。主人公のリーアム・ニーソンについての説明は不要でしょう。代表作は『シンドラーのリスト』(1993)だと勝手に思ってますが、私には、スターウォーズのジェダイ騎士、そしてバットマンに戦う技術を教えた人です。あまりアクション俳優っぽくないのに、この人のアクションはすごいです。この映画へは、脚本を読んでとても面白かったから引き受けたそうです。また、彼には姉と妹がいますが、この映画では弟がいる役なので、これも引き受けた理由になったそうです。なお、スタントなしで頑張ったそうです。年齢を考えると、すごいです。映画全体が「寒い」ので、その寒さとも戦っている感には、心持ってかれます。この映画の最も魅力的なのがマイクとその弟ガーディの信頼関係です。ガーディは戦争で失語症となって兄の世話がなければやっていけないのですが、兄マイクは弟の世話をよくするだけでなく、常に弟を信じ続ける姿が感動的でした。とくに運送会社のジムに、弟をトレーラーの整備士として認めさせるシーンは、よかったです。マイクの弟を演じるのはマーカス・トーマスです。この人が、この映画の大黒柱だと思います。伝えたいことを伝える手段がわからないけど、それでも伝えようと尽力する姿や、兄マイクをどこまでも信じる姿には、人が生まれ持った清らかさを感じ、心動かされました。まさにハマり役でした。若い女性運転手のタントゥーは、先住民の誇りを大切にする人です。カナダの先住民は3つで、その1つがファースト・ネイションズ(北米のインディアン)です。他の2つは、メティス(先祖に先住民とヨーロッパ系の両方を持つ)、イヌイット(北極の人たち)です。劇中では、彼女の異父兄コディーが坑道に閉じ込められてしまいます。演じるのはアンバー・ミッドサンダーです。リーアムやローレンスと並んでもその存在感は薄れない”凄み”みたいなものが、先住民の誇りと関係している感じがしました。また、トレーラーの機能についての描写も、とても興味深いものでした。トレーラーにそんな機能があるのかとびっくりで、おもしろかったです。牽引装置を使ってあれこれできるのですね。専門家によれば「それはできないよ」みたいなこともあるらしいのですが、そんなの気にせず没入して楽しみましょう。「あなたは、相手のことを、最後まで信じられるのですか?」そんなことを問われているような気がしました。相手を大切にするということは、そういうことなんだと、肌で感じられたように思います。自分の心にある「弱さ(相手より自分優先したくなる心)」を感じます。これって、自分の伸びしろを感じた、ということだと思います。相手を大切にするなら、大切にすることをちゃんとしないと、大切にできたことにならないのですよね...そこが頑張りどころだと感じています。お読みいただき、ありがとうございます。中村常楽でした。ACE COACHING's Services here
今日から2019年3月に旅した「広島原爆を知る」を振り返ってみようと思います。人の頭の上に、故意に原爆を落とされた国は、私たちが住む日本だけです。原爆については、修学旅行で行ったことがあるくらいで、それ以上とくに知ろうとしてきませんでした。でも、自分が知ろうと思えば知ることができる、という、当たり前のことを想うと、日本人としてちゃんと知りたいと思い、撮影旅をすることにしました。撮影は2019年ですが、今の解釈で現像しています。写真は7枚です。よろしければ写真での旅をご一緒いただけたら、嬉しいです。『はじまりは天使』旅慣れていない私は、広島へ行くだけでもドキドキでした。当時、ホテルに泊まる日数を減らせばお金の節約になると思って、交通手段は夜行バスを選びました。昨晩の23時すぎに東京ドームホテル前を出発して、この日の朝9時すぎに広島のバスセンターに到着しました。バスの中では個室だったので身体伸ばせて疲れはそうでもないのでは?と思ったのですが、違いました。バスの揺れであまり眠れず、身体バキバキのまま朝の広島に放り出されたような感じでした。広島のバスセンターは、紙屋町交差点の角のビルの2階にあります。そこから降りて原爆ドームの方へと交差点を渡ろうとしますが、そこに横断歩道がなくて、渡り方がわかりませんでした。地下街への階段を見つけて降り、原爆ドーム方面へ歩き、階段を上がってみると、そこに天使の像がありました。いきなり原爆ドームを撮影するのではなく、撮りやすいものがあったら良いな、とちょうど思っていたので、撮らせていただきました。「よくきたね」と聞こえたような。少しほぐれた気がしました。『爆心地』事前に歩く経路を決めていました。その経路の最初に、爆心地を選びました。最初に来なきゃいけない。そう感じたから。実際に、現地に立ったら、何を感じるのだろう?拒絶されるような感覚を感じたらどうしよう?と心配していたのですが、実際に立ってみたらそんな感覚はなく「ここなのか...」とただ感じただけでした。この600m直上で爆発したのですね。見上げると、青い空が見えました。1945年8月6日午前8:15に、ここで爆発したのですね...『初の対面』爆心地から原爆ドームへは、すぐです。その”すぐ”を急がず、ここに来た意味を感じながら一歩ずつ歩いていきました。「道、合ってるよね?」自問しながら進んでいくと、見えました。見えた瞬間に心に浮かんだ言葉は「ありがとう」でした。なぜかは、わかりません。わからないので、ただ感じながら、シャッターを切りました。知りたい、と思ってから、初めて見る原爆ドームです。『被爆地蔵尊』すぐ横にお寺がありました。ここのお地蔵様を見ているとやすらぎを感じます。お地蔵様の台座を見てみると、このお地蔵様が「被爆地蔵尊」とわかりました。このお寺は、今はビルですが、以前は瓦屋根だったようです。原爆にやられた当時の瓦がここに保存されていました。『北側から見た原爆ドーム』原爆ドームはもともとは広島県物産陳列館としてつくられた建物です。チェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計で1915年に完成しました。その後、名称を広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称しました。広島県の商品の展示即売会や調査・相談などの他、美術品の展示会や博覧会などに使われたそうです。戦争時は官公庁もここに入っていました。今では役目を変えて、世界中の人々に原爆を伝えてくれています。その2に続きます。今日もお読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■甘やかす可能性を配慮するアルフレッド・アドラーは、親が病気の子どもを看病をしたとき、その子どもを甘やかすことになる場合もある、と指摘しています。子どもを甘やかすことになるとその子どもの関心は自分自身へと向きやすくなり、その一方で「他者への関心」は育ちにくくなります。「他者への関心」が育たなければ共同体感覚が高まらないので、感じるしあわせも増えません。つまり、甘やかすことになると、その子どもが感じるしあわせを増やしながら生きていける可能性を狭めてしまうことになるのです。そのため、病気の子どもに対しては甘やかすことにならないように配慮することが大切になります。配慮することで子どもの共同体感覚を高めるような子育てがしやすくなるのです。なお、共同体感覚とは、端的にいえば、自分の居場所がある感覚です。この感覚が高ければ高いほど、感じるしあわせが多くなります。■病気になると親の関心を得られる親は子どもが病気になれば、普段よりも多くの関心を向けることとなります。それは自然なことなのですが、普段よりも多くの関心を向けられることは、その子どもにとって「病気になると親の関心を得られる」と学ぶことになる可能性もあります。とくに、普段と病気の時との子どもに向ける関心の差が大きければ、子どもにとって「病気になること」がそれだけ価値あることと感じられやすくなります。子どもは、親が病気に対して敏感に関心を示せば、実際の症状よりも苦しく見せたりして、より親の関心を引き出そうとすることもあります。実際には病気でなくても、せき込むなどして病気の兆候を示したり、疲れが抜けないとか、食欲がないなどと示したりして、親の関心を得ようとすることさえあります。さらには、親が子どもを心配して示した関心が少なく不満であれば、子どもは親に不平を言ったり乱暴になったりする傾向を持つこともあります。変な感じですが、子どもが、自分自身の健康を盾にして、親にもっと関心を示すように要求するようなことです。「言う通りにしないと、病気になるぞ」みたいな感じです。もし親が、こうした要求にこたえる親であれば、それは交渉によって親の関心を勝ち取ったこととなり、生涯にわたってこの体験を「成功」として記憶することになることもあります。そうなるとその子どもは、課題の困難に直面すると、病気になることで親が解決してくれると信じて、「病気の自分」を演じるなどで利用して解決を目指す傾向となるかもしれません。■自立へと導くためにアドラーは、自分が保護されることや、自分の負担が軽減されることを要求するような場合には、外の状況との接触が不足している、と指摘しています。つまり、病気を盾に親の関心をさらに引き出そうとする子どもは、「親と子ども」以外の対人関係への接触が不足しているのです。もし、もっと関心を向けて欲しいと子どもが求めてきた場合には、親以外の誰かとの対人関係に触れる機会を子どもが持てるようにしてあげることで、改善が期待できるわけです。また、これ以外にも甘やかすことにならないように接する方法としては、「課題の分離」が有効です。子どもの課題を親が肩代わりしたら、それは甘やかしです。そこで子どもの課題を「子どもの課題」として、親の課題を「親の課題」としてそれぞれ適切に分けて扱うことです。そうすることで「課題の肩代わり」を回避することができ、子どもを自立へと導けます。しかし、ただ子どもに「あなたの課題だから頑張って」と伝えるだけでは、子どもは一人で課題に立ち向かうことに大きな負担を感じるかもしれません。だから、一人にさせないように「勇気づけ」をすることも効果的です。「勇気づけ」とは、課題の困難に立ち向かう心の活力が高まるようなはたらきかけ、のことです。課題の分離はするけれど、子どもが課題と向き合うことについて話を聞いてあげたり、進捗を一緒に確認したりすることも勇気づけになります。子どもが気持ちを話したときに、それをそのまま肯定的に聞くだけでも十分に勇気づけとなります。子どもは勇気を使えれば、自分の課題の困難に立ち向かい、そこで自力での解決ができれば、自分には能力がある感覚を感じられることでしょう。さらに「他者への関心」も養うようなはたらきかけを続けることで、子どもは共同体感覚を高める機会を持つことでしょう。実際に高めることができたときは、「しあわせ」の感覚を感じられます。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『何度も事故や病気を経験する子どもの世界像』今日は、何度も事故や病気を経験する子どもの世界像について書きました。その世界像のままだと何がおきるのか、また、世界像の整理により感じるしあわせを増やす方法に…ameblo.jp『課題の分離、冷える方法と温まる方法』課題の分離とは課題をその課題の結末の影響を最も受ける人のもの、としてその所有者を明らかにすることです。課題の分離をされると「自分のことは自分でやれ」と冷たく感…ameblo.jp『失敗しない親はいない。失敗後の関心の向け先で子への影響が変わる。』■子の社会適応能力失敗しない親はいません。子育てを何百回もすれば失敗をほとんどせずに子どもを自立できるまで育てることができるかもしれませんが、寿命があるので無…ameblo.jp『過剰に甘やかす親は、子どもに「注目の中心に立たねばならない」との考えを植え付ける』今日は、過剰に甘やかす親が子どもに植え付ける考えについて書きました。甘えることが「よいこと」となることや、引きこもりに至るまでの経緯、そして、親の注目を得る…ameblo.jp『人生の課題の解決に必要な3つの前提』今日は、アドラーの指摘する人生の課題の解決に必要な3つの前提について書きました。この3つの前提を持つことで人生の課題の解決が簡単になり、人生を止めずに進め続…ameblo.jp『人生の最初から甘やかされた子は、大抵は引きこもってしまう』■引きこもりとなるまでアルフレッド・アドラーは、人生の最初から母親に甘やかされた子どもは、大抵は空想とともに家庭の中に引きこもってしまう、と指摘しています。…ameblo.jp『正しく築かれた子どものライフスタイルは、人生に屈しない』今日は正しく気づかれた子どものライフスタイルについて書きました。人生において何を目標とするのが最適なのかを理解できる内容となっています。お役立ていただけれ…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
正解を見つけることは、目的にはなりません。なぜなら、構造として、そこで実現したいものこそ目的であり、その実現手段として効果的なものが”正解”となる、となっているからです。つまり、正解を見つけようとすることは手段にはなり得ても、目的にはなり得ないのです。目的なしに正解はありません。まず目的があるから、次に正解があり得るのです。正解を見つけることを最終目的とするとうまくいかないのはそのためです。例えば、何を勉強すると正解か?を最終目的にすると、おかしなことになります。何かを実現したいために勉強が必要となるわけで、その場合には、その”実現したい何か”に対して最も効果的なものを勉強することが正解となるでしょう。それが、その”実現したい何か”が不明なまま、何を勉強すると正解か?を探すことをどんなに一生懸命にやったところでその答えが見つかることはありません。手段が目的になっているからです。例えば、資格試験の勉強であれば、その資格試験の合格に役立つ内容の勉強をすることが正解となります。反対に、その資格試験の合格に役立たない内容の勉強をすることが不正解となります。目的が先にあるから、そこではじめて正解/不正解を知ることができるのです。それは人生の課題についても同じです。誰と友達になるのが正解か?何の仕事をするのが正解か?何を趣味にするのが正解か?誰と恋愛するのが正解か?誰と結婚するのが正解か?子どもをもうけることが正解か?子どもは何人もうけることが正解か?などなど、人生の課題に対してこうした正解を問うたときに、真っ先に見るべきものは”目的”です。その”目的”が明らかになれば「何が正解」で「何が不正解」なのかは自然と見えてくるからです。もっと細かく見れば、今日の食事は何にするのが正解か?食事は何から食べるのが正解か?今夜は何時に寝るのが正解か?明朝は何時に起きるのが正解か?明日は何時に出かけるのが正解か?明日は何をするのが正解か?などなど、すべて”目的”を明らかにすることで正解が見えてきます。さらには、今週は何をどのくらいするのが正解か?今月は何をどのくらいするのが正解か?この半年は...今年の年末までには...来年は...今後3年は...この10年は...などなど、未来の時間についてもすべて”目的”を明らかにすることで正解が見えてきます。”目的”を明らかにして正解を見つけたとしても、その後その正解がずっと正解のままかどうかはわかりません。自分の状況は変わっていくからです。状況が変わると”目的”も変わることはよくあります。よくあるのに、正解だけを変えないままでいると苦しくなってしまいます。”目的”は変わるということは、それに応じて正解も変わる、ということです。合格したい資格試験が変われば、何を勉強すると正解か?も変わる感じです。だから、”目的”が変わったら、それに応じて正解も変えていくことです。もしそこで、一度決めたことを変えるのはダメなこと、としたとしたら、それは生きるのに役立ちません。自分を自分で拘束するようなものだからです。人生はそんな我慢比べ大会ではありません。”目的”が変われば正解も適切に変えることは、状況に応じて適切に更新しただけであり、生きるのに役に立つことです。そうして誠実に、柔軟に、自分をととのえることは、人生の喜びを感じながら生きることにとても役立つことです。今の自分にふさわしい目的と、それにふさわしい正解をちゃんと知っていることで生きやすさを感じながら生きられるのです。そして、そうした”目的”や正解の適切な更新について得意としているのが私たちメンタルコーチです。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『規則とは、盲点を照らす補助手段以下のもの ~規則は道具であり、隷属するものではない』■目的のための規則アルフレッド・アドラーは、自身が創始した個人心理学も含めて一般的な規則は、個人が見出されるもの、あるいは、見えていない視界を一時的に照らす補…ameblo.jp『特別でなく普通でよい。普通とは、訓練によって思いを形にしていくこと。』■依存か、自立か私たちは特別である必要はありません。普通でよいのです。その普通とは、自分を訓練することで実現したい思いを形にしていくことです。一方で、特…ameblo.jp『不安を察知したら、始まること ~適切に自分を導き、守れる自分になる』今日は、不安を察知したときに始まることについて書きました。不安を感じて適切に対処することで自分を守ることが始まり、さらには、感じるしあわせを増やすことが始ま…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here
■甘やかされると制御できなくなるアルフレッド・アドラーは、早熟で制御が困難な性的欲動があるなら、それはその子どもが甘やかされた証拠である、と指摘しています。欲動とは、人間を行動に駆り立てる無意識の衝動のことです。性的欲動とは、性的な欲動、ということです。平たくいえば、「口より手が出る」のように、「やりたい」と思うよりも先に性的な行動をする、ということです。アドラーいわく、通常、子どもは、遊び半分の中で将来の性役割について性的欲動を用いることなく準備しています。しかし、甘やかされてしまうと、その子どもは自己中心的、すなわち、協力関係をもって共同生活をする方ではなく個人的利益の追求へと向かってしまい、そこでのいかなる欲求も断念することができないライフスタイル(性格)となってしまうのです。個人的利益の追求となれば、自分の欲を満たすことばかりに関心が向くため、性的欲動を制御することが困難になると考えられるのです。■父母のどちらと結びつくかまたアドラーは、子どもが結びつく親について指摘しています。それは、女の子は父親と結びつくもので、男の子は母親と結びつくもの、と仮定することを拒否すべき、ということです。親のどちらかが甘やかす家庭では子どもは性別によらず、甘やかす親と結びつきやすく、甘やかさない親と疎遠になりやすくなります。これは、父親と母親が、協力関係でない場合に顕著になります。そしてそこでの甘やかしが、子どもの性的欲動を発達させてしまい、さらには制御不能なほどにまでなる、とアドラーは指摘しているのです。■父母の関係が大切子どもが性的欲動について健康に育つように望むのであれば、父親と母親が協力関係であることが大切になります。協力関係であると、対等な話し合いによる合意の形成や気持ちの通い合いが簡単になります。そうした健康な共同生活を体現する親を見て育つ子どもは、課題に直面しても欲動に流されにくくなり、困難に対して勇気を使いやすくもなり、とても効果的です。子どもへの直接の指導ばかりではなく、父親と母親が協力関係であることも大切にすることで、子どもは健康に育ちやすくなるのです。お読みいただき、ありがとうございます。プロコーチ11年目、常楽でした。『子どもの性的な動きに過度な注目は禁物、なぜなら甘やかしてしまうから』今日はアドラーの個人心理学の子どもの性的な動きとそれに応じる親の基本的な考え方について書きました。性的な動きとは身体の変化や生殖器についてなどの性的な気づきに…ameblo.jp『セックスで親に復讐する子ども~適切ではない性的な訓練』今日はアドラーの指摘する適切ではない性的な訓練について書きました。目次・セックスで親に復讐する子ども・対等な関係を築く・セックスの目的■セックスで親に復讐する…ameblo.jp『親への非難に気づけないと、子の性格はそこに深い影響を受ける』今日は、子どもの性格形成には親の適切な注目が大切なこと、について書きました。子ども時代の性格形成はその子の生涯に影響しますからとても大切です。親自身がその親に…ameblo.jp『性欲を適切に調和できるのは、そこに社会的に有用な目標を持てるとき』今日は、性欲を適切に調和することについて書きました。性欲を満たす活動やセックスすることを社会的に有用な目標に結びつけることが感じるしあわせを増やすことにとても…ameblo.jp『36歳、弁護士の「人生から撤退する癖」 ~エディプス・コンプレックスの例』今日は、甘やかされて育ったことで抱えた「私的知性」によって自分を拘束してしまった男性について書きました。「人生から撤退する癖」がなぜ発達したのかを見ていきま…ameblo.jp「男性優位社会を知る」シリーズ男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)|「中道」をゆけ。「自分山」をのぼれ。プロコーチ11年目、常楽/jowrakuさんのブログテーマ、「男性優位社会を知る(アドラーに学ぶ)」の記事一覧ページです。ameblo.jp結婚は”女性の役割”との和解ではない~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)『結婚は”女性の役割”との和解ではない ~36歳の女性の例に学ぶ』■”女性の役割”の拒否と、神経症アルフレッド・アドラーは、ひとりの患者を例にあげて、結婚が即座に”女性の役割”を引き受けるものではないと説明しています。それ…ameblo.jpHSPランニングクラブ【略称:HRC】 on Moshicom1970/1/1 / 東京都千代田区大手町1-4 / HSPの仲間と、月に2回、皇居を走りながらの交流を目的としたクラブです。(HSS型をのぞく)Highly Sensitive PersonのためのRmoshicom.comACE COACHING's Services here