1964年(昭和39年)前後に京都の梅小路機関区を何度も訪問した際に、事故救援車代用として使用されている何両かの貨車を構内で見掛けました。その中でワキ1形に似た大型有蓋車のワキ702が留置されている姿を撮影していました。
 

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ワキ702  1964年12月 梅小路機関区構内
 

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白帯を巻いたワキ702には、大阪鉄道管理局を示す「大」と「梅小路貨車区事故救援車代用」・「梅小路駅常備」の標記がされていました。

今回の投稿に際して、ウィキペディアのワキ700形の項目を見てみると、意外な生い立ちが判明しました。

要約すると、ワキ700形は1943年(昭和18年)に鉄道省工機部で30両(ワキ700~ワキ729)製造された30トン積みの2軸ボギー有蓋車で、なんと日本海軍が所有した私有貨車でした。その用途は、工廠から基地まで航空魚雷や航空爆弾を輸送することで、積荷の魚雷は長さ5.5m,重量1トンもの長尺重量物であった。そこで専用貨車として準備されたのがワキ700形で、長尺重量物の輸送に特化した構造とされ、幅3.5mの外吊り式の両開きの側引き戸を備え、車体の左側にオフセットした位置に設けられ、左右側面で点対称の位置にあった。車内にはホイスト(クレーン)が設けられていた。ワキ1形よりも大きく、当時最大の有蓋車であった。戦後間もない頃には、代用客車や連合軍専用客車(ワキ704,709)として、また荷物車として使用されたが、晩年はその収容力と内蔵クレーンを活かして、救援車代用として使用されるものが多かった。

撮影した際には、このような経緯を知るすべもなく、ワキ1形の改造車かな程度の思いで撮影していました。本来のワキ700形には側面に窓はありませんが、ワキ702には片側2箇所の窓が追加されたようで、撮影後の晩年には九州の若松機関区に転属したようです。何気なく撮影しておいた貨車ですが貴重な記録となりました。