かつて関西地区の東海道本線では、快速電車に80系が使用されていました。
 

イメージ 1

80系の上り快速電車 (1964年冬 神足~山崎)


当時の東海道本線の快速電車は80系7両編成が基本で、1等車(サロ85、後から5両目)を連結していました。背後は外側下り線を行く貨物列車です。


 

イメージ 2

80系の上り快速電車 (1964年冬 高槻~摂津富田)


複々線区間で、両外側が列車線(準急以上の電車を含む)、内側が電車線となっており、背後は下り内側線を行く下り普通電車(モハ72)です。80系編成の後ろ2両は、共に300番台の全金属車を連結していますが、塗り分け線に少し段差があります。80系では、全金属車となった300番台とウインドシル・ヘッダーのある旧番台の車両とでは、窓高さの違いから塗り分け線高さが揃わず、当時の高槻電車区と岡山電車区の所属車両は吹田工場で300番台車の塗り分け線を旧番台車両に合わせたものに変更して、編成美を極める工夫がなされていました。

写真の最後尾のクハ86300番台車の塗り分けが旧番台の区分車に合わせた吹田工場仕様で、窓下のオレンジ色の部分が少ないのが特徴です。後ろから2両目のモハ80300番台は通常の塗り分け線となっており、転配属や塗装変更のタイミング等から必ずしも編成美の統一が図られていた訳でもなさそうです。
 

 

イメージ 3
80系の上り快速電車 (1964年冬 高槻~摂津富田)


こちらは4両+6両の10両編成で、最後尾のクハ86は初期形3枚窓タイプです。後ろから2両目はモハ80300番台の全金属車ですが、塗り分け線が揃えられて編成美が保たれています。国鉄の標準車両ながら、関西独特の文化(美意識)があったようです。
 

イメージ 4
「米原ー大阪」のサボが入った上り米原行き クハ86001 (1964年3月 京都駅)

トップナンバーのこの車両は、大阪にあった交通科学館を経て、京都の鉄道博物館で展示されています。

 
イメージ 5
こちらもトップナンバー サハ87001 (1964年3月 京都駅)

トップナンバーは何れも初期車ですから、ベンチレターは背の高い旧型です。1968年に80系が転属した後は113系の天下となりました。