国鉄の分割民営化を半年後に控えた1986年(昭和61年)11月1日に、福知山線が全線電化されました。同時に、武田尾付近ではトンネル経由の新線に付け替えられ、宝塚~新三田間の複線化も行われました。

 

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113系800番台 普通・大阪行の4両編成 (1987年5月8日 川西池田駅)

その当時に配布されたポケット時刻表が手元に残っています。

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今迄に見たこともない立派なカラー刷りの折り畳み式ポケット時刻表です。全線電化に際して新たに投入された113系800番台のカラー写真が、上り列車側の表紙に採用されています。電化に際して付け替えされた新線区間(生瀬~道場)で試運転中の113系800番台の写真です。新たに採用された福知山線カラーの113系ですが、なんと先頭車化改造された2両編成が初めて登場することになりました。

 

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下り列車側の表紙は、カナリア色の103系と新規開業の新三田駅のイラストが描かれています。103系は6両編成で描かれていますが、1981年4月に宝塚までの複線電化に際して6両編成で投入されるも、乗客数の伸び悩みから1984年2月から4両編成に減車されており、このポケット時刻表を事前に駅で入手した時には福知山電化と同時に6両に戻るのかと期待したのですが、6両編成に戻ったのはJR化後の1994年頃でした。

 

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上り列車側の見開きページには、路線図も掲載されていました。特急列車・普通列車は全て電車化されましたが、唯一急行「だいせん」(706レ)だけはDD51牽引のB寝台付の客車列車として残っており、大阪駅には2番列車として06:26に到着しているのが見てとれます。大阪駅では朝のラッシュ時間帯の07:30~08:30に約10分間隔で通勤電車が運転されるようになりました。

大阪駅を日昼に発車する下り列車の状況を見てみます。

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大阪駅発車が10:00~14:00の時刻表です。ほぼ1時間ごとに特急「北近畿」(485系)が運転され、普通電車は新三田までは20分間隔で運転されて、内1本が福知山まで直通していました。昼間の列車本数が1時間から1時間半に1本しかなかった単線・非電化の当時から、沿線住民として同線を利用していた私にとっても飛躍的に利便性が向上する恩恵に与りました。
 

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宮原運転所を出庫する113系800番台の2両編成 (1988年12月4日 新大阪駅付近)

103系4両編成の6本に加え、113系800番台は4両編成(K編成)が9本、2両編成(S編成)が14本準備されました。平日夜間の遅い帰宅時間帯に大阪駅を出る列車や、土曜日午後の沿線高校の一斉下校時間帯には2両編成では積み残しが出る状況となり、増結運転されるようになりました。

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2両編成を2本連結した113系800番台 (1987年5月21日 川西池田駅)
 
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全線電化直前も4両編成に減車されたままの103系 (1986年10月4日 川西池田~中山寺)

 

この複線電化が功を奏し、沿線の住宅開発も更にピッチが加速され、沿線都市の兵庫県三田市(さんだし)は、1988年から1997年まで10年連続で人口の実質増加率日本一となり、福知山線の乗客は年々増加の一途を辿ることになりました。一方で2005年4月に悲惨な大事故(尼崎~塚口での脱線転覆事故)が発生したのもこの福知山線です。

現在では、JR東西線直通も含めて日昼の1時間当たりの列車本数が、起点の尼崎ベースで、
特急1本、丹波路快速2本、快速(宝塚まで)2本、区間快速(塚口まで)4本、普通(新三田まで)4本と、非電化・単線のローカル線から、都市近郊の通勤・通学路線への変貌には、隔世の感があります。

ここ数日体調が悪くて投稿するに至りませんでした。本日から再開しましたので、よろしくお願いいたします。