木津川平安生活

木津川平安生活

2024年1月より、京都の木津川市のグループホームで新生活を始めています。グループホームの名前は「シャンティーハウス」。シャンティとはサンスクリット語で「平安」を意味します。空気と水の美味しい木津川市での平安で穏やかな日々に感謝して日記を綴ります。

2004年にわたしは東京で

心の病を患いました。

その時、精神年齢が

37歳から8歳まで戻りました。

 

精神年齢が8歳まで戻ってしまって

一人では生きていけなかったので

東京の家から西宮の実家まで戻りました。

 

この実家でわたしは、年老いた両親と

一緒に暮らしながら一年に一歳づつ

年を取り直しました。

 

最初の数年間は病気療養をし、

精神年齢が13歳になった頃

神戸の自主映画サークルの仲間と

出会いました。

 

元々映画作りが大好きだったわたしは

そこの活動にのめりこみました。

わたしの映画作りに反対していた両親も

わたしの病気が治るならと

活動を許してくれるようになりました。

 

時々映画も見に来てくれるようになりました。

 

精神年齢が14歳になった時

わたしは両親の一言一句に

反抗するようになりました。

 

実際に14歳だった時は

反抗期らしい反抗もしなかったので

初めて机の上にあった

ビーズの球を、払い落として

両親を罵倒した時の

父の驚きと悲しそうな目は

今でも覚えています。

 

テーブルから落ちたビーズを

一粒一粒片付けてくれたのも

父でした。

 

しかし、その時までは人目を気にして

いろんなことを我慢していましたが、

それ以降自分が本当はどう思っているのか

どうしたいのか

考えるようになりました。

 

映画の世界ではいつも父と娘を

主題にした映画を作り続けました。

 

映画が徐々に軌道に乗り

自分が監督した映画を表に出そうと

考え出した頃

わたしは病気が再発し、

東京で二度目の入院をしました。

 

ちょうど精神年齢が20歳の頃でした。

 

その時、西宮から東京のつつじヶ丘の

病院まで、様子を見にきてくれたのが

父でした。

 

わたしはその日、病院は居心地が良いと

父に話して、一緒にお蕎麦を食べました。

 

後日、わたしの入院騒ぎに巻き込まれた

東京の友人に

「あなたのお父さんは、もういいお年だし

背中も小さいじゃない。

そんなお父さんを見て、なんとも

思わないの?」

と言われました。

 

その時のわたしはまだ幼くて

何にも返事ができませんでした。

 

それから京都の伏見に引っ越して

一人暮らしを始めた時も

病気で動けなかった母に代わって、

父が一人京都の伏見まで来て

食事を奢ってくれたり

お小遣いをくれたりしました。

 

2019年の10月。

わたしの精神年齢が23歳になった時

父は胃の全摘手術をすることになりました。

わたしは

実家の手伝いをするために

伏見と実家を行き来する生活が

3年ほど続きました。

 

 

そして

両親の世話をしながら

母の描いていた諧謔の世界の

ネット配信の手伝いをしました。

 

その中で時に母と口論に

なったりしましたが

その度に父が仲裁にはいってくれました。

 

父は60キロあった体重が

43キロまで減りました。

 

ダンピングがしょっちゅう起こって

居間でぐったりしたいることも

多くなってきました。

 

そんな時にわたしは

3度目の入院をすることになりました。

 

一人暮らしは辞めて

グループホームに入って欲しいと

家族から言われ、

もうわたしの人生終わったなと

感じた時も

グループホーム探しで迷走した時も

いつも父がわたしの愚痴を聞いてくれました。

 

2024年の3月

わたしは母に電話をしました。

 

「木津川のグループホームは

すごく楽しくて毎日が充実してる。

昼間に通ってる作業所も楽しくて

休まず通って、毎日ちゃんと

通勤してるよ」

 

そう言いました。

それを聞いた母は

 

「それは良かった。本当に安心した」

 

と言いました。

 

それから1ヶ月後母は余命宣告され

6月11日に他界し、

父も本日、その後を追いかけていきました。

 

心理学者のエリックバーンは

人は7歳の時に人生脚本を描き

8歳以降にその人生脚本の通りに

生きようとすると云います。

 

わたしは8歳まで戻って、

一度人生脚本を書き換えるチャンスを

神様からいただきました。

 

その書き換えた脚本の中で

いつも優しく

わたしのそばに寄り添ってくれたのが、

父でした。

 

父はわたしがもう一度生き直すために

内臓がボロボロになる

91歳まで生きてくれました。

 

父は亡くなる寸前に

お見舞いに来てくださった友人の方に

「もう僕の子供は、

それぞれちゃんと生きてるから

なんの心配もないんだ」

と語ったそうです。

 

わたしは今年で精神年齢が

28歳になりました。

もういい加減独り立ちして

今度は自分のためだけでなく

誰かのために生きていけるような

生き方がしたいと

考えるようになりました。

 

実際は57歳のおばさんだけれど

あの世で父に安心してもらえるように

またひとつづつ明るく楽しく

年をとっていこうと思います。

 

お父さん長い間ありがとう。

本当に大好きでした。