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木津川平安生活

2024年1月より、京都の木津川市のグループホームで新生活を始めています。グループホームの名前は「シャンティーハウス」。シャンティとはサンスクリット語で「平安」を意味します。空気と水の美味しい木津川市での平安で穏やかな日々に感謝して日記を綴ります。

あんずのパフェ

 

フルーツパフェ

 

今週事業所で模写した料理絵です。

 

 

ブログを振り返ってみると

前回の記事は桜の季節だったのに

もう夏真っ只中に

なってしまいました。

 

暑いですねえ🥵

 

 

 

 

 

 

 

 

4ヶ月もブログを

ご無沙汰していたのには

訳があります。

 

西宮の実家に

帰っていたのです。

 

今年のお正月から

調子を崩していた母と

今生の別れをしてきたのです。

 

 

上の写真は、母を見送った日の朝

末期ケアの病院で撮影したものです。

 

なんだか上の方に

光の玉が写っていますね。

 

母の魂が写っているのでしょうか?

 

 

 

母とは亡くなる前の五年間

このアメブロで

「諧謔の世界」

という

ブログを連載していました。

 

母が絵と文章を書いて

わたしがタイトルを考えて

共同で作品作りをしていました。

 

父を筆頭に

理系ばかりの家族の中

唯一文系だった母とわたしとで

新しい文学の形を

作っていたつもりでした。

 

母は86歳だったし、

もうそんなに長く一緒に

何かを作れるとは思ってなかったけれど

思っていたよりも早く

母は亡くなりました。

 

最期の呼吸を

わたしは看取ったのですが、

亡くなる瞬間に

ふわっと頭が上がって

何か魂みたいなものが

しゅぽっと身体から抜け出て

その後シューっと

母の身体が小さくなっていきました。

 

重い身体から抜けて

楽になったのだと

その時思いました。

 

よく行ってたお店の

お寿司が食べたいと

言ったのでそのお寿司を

病院の許可を得て

持っていったら

鉄火巻きを二つほど

食べました。

 

それで満足したかのように

あっという間に

この世を去っていきました。

 

母にはあれやこれやと

心配や迷惑をかけてきました。

 

母から

「あなたとは合わない」と

面と向かって言われたことも

あります。

 

でもそれでも

最後にちゃんと

母との思い出を

作ることができて

嬉しかったし

母とも最後

しっかりお別れできて

もう思い残すことは

ほとんどありません。

 

お葬式の準備やら

残された父を

老人ホームに入ってもらうための

準備でバタバタしましたが

一日一日やろうと思ったことを

クリアしていったので

木津川に戻っても

そんなに今のところ

疲れは溜まっていません。

 

むしろ元気になったぐらい。

 

空気も綺麗だし

水も美味しい木津川に戻れて

本当によかったです。

 

母も次の人生に向けて

スタンバイしてるだろうし。

 

わたしもこれからの

木津川平安生活を

思いっきり満喫しようと

思います。

 

どうぞこれからも

よろしくお願いします。

 

最後に皆様のスタミナ源に

なりますように。