それはドラマのようでした 番外編3 家族 | 「やりたいこと」でがんばっているアナログ起業女性のためのデジタル系”ゆるり”お助け相談室

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こんばんは。 ”暮らしをラクにする” ライフオーガナイザー
”ココロを整える” メンタルオーガナイザー の 真山 かこ ( マヤマ カコ ) です。


なかなか病気についての更新ができず、
前回の内容が、ちょうど1年前の出来事となっています。


こうしてブログで書くことはなかなかはかどらないのですが、
クリスマスにしろ (ああ、まだ何も知っていなかったなぁ)、
仕事納めにしろ (去年は仕事納めに入院だったなぁ)、
大晦日、お正月 など (入院中に出たお蕎麦やお節料理を楽しむ余裕があったなぁ)、

日々、私の中では 「更新」 されているんですよね。。。

【これまでの過去記事です】
それはドラマのようでした 1
それはドラマのようでした 2
それはドラマのようでした 3
それはドラマのようでした 4
それはドラマのようでした 5
それはドラマのようでした 6
それはドラマのようでした 7
それはドラマのようでした 8
それはドラマのようでした 9
それはドラマのようでした 番外編
それはドラマのようでした 番外編2


さて、1回目の退院までなのですが、
その間、気になった方もいらっしゃったと思います。


自分の残りの時間を考えないといけない病気になった時に、
周囲にどう伝えるか?


今回は、家族のことについて。
私は小学5年生の娘と2人で暮らしています。
私の親は母が1人大阪にいます。


ちょうど私が病院に行きはじめた頃、
母も腰が痛くて地元の病院から大きな病院に紹介してもらうことになりました。


そして私が付き添って行ったのが、
その後、私がお世話になることになった病院です。
母の付き添いから2週間後、
まさか自分が入院するはめになるとは・・。


初めの入院では、計画では2週間ずっと24時間の点滴、
内科的処置で様子を見ましょう、
ということでした。


子供は年末には母のところ、お正月には自分のお父さんのところで過ごし、
学校が始まったら近くに住む私の友人が
夜に我が家に来て、子供にご飯を作ってくれてそのまま泊まり、
朝ご飯を作って学校を送り出す。
ということをしばらくやってくれました。


入院する前に自分の母には
肺の血管が詰まって点滴するために入院することになったと
説明していました。


そのうち「血管肉腫」を疑われ、検査が始まった時、
私は思いました。
このままいけるところまで母には黙っておこう


人それぞれだとは思うんです。


身寄りが少ないのなら伝えておくべきじゃないか、
という考えもありました。


でも7年前にガンで見送った父の時のことを考えると
恐らく 母が壊れてしまう
と思いました。


限界まで隠そうと思いました。
全て伝えて子供の世話まで頼んだ友人には本当に申し訳ないと思ったのですが、
快く賛成してくれました。


あなたも辛いだろうけど、
聞かされるのも本当に辛い。
だから言わないでいいと思う。
出来る限りのサポートはするから。

と言ってくれました。





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