それはドラマのようでした 6 | 「やりたいこと」でがんばっているアナログ起業女性のためのデジタル系”ゆるり”お助け相談室

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こんばんは。

ライフオーガナイザー+インテリアコーディネーターのkakoです。



病気のコトをポツリポツリと続けています。


これまでの話はこちらから


それはドラマのようでした 1

それはドラマのようでした 2

それはドラマのようでした 3

それはドラマのようでした 4

それはドラマのようでした 5

それはドラマのようでした 番外編



私がその時入院していたのは呼吸器内科。


定員4名の大部屋で入院していたのは私の他に2人の女性。


1人は複数にわたる診療科にかかっておられる60代の女性。

もう1人はどうやらアナウンサーであろう40代の女性。


お二人とも呼吸器内科とは違っていました。


それまでの私は

24時間点滴の身であったものの

この場になっても特に体の不調を感じることもそうはなく、

食べては寝ての生活が約2週間。

入院してから2キロ体重が増えていました(週に1度体重測定があります)。



血管肉腫(肺動脈肉腫)という病名の説明を受けてからの

1週間であっという間に元通り。


その後、体重が減った!ということはありませんでした。

精神的にタフなのかもしれませんね。

(退院してからは体重を計る余裕がなかったのですが・・)



その頃の私は

ネットで病気のことを検索したり、

闘病ブログを見たり・・・・


時々現実逃避のためにテレビを見てみたり・・。



病院だから、病室だから、

泣きたくても泣けない・・・という訳でもなく、


ただただ

悪い夢を見てるよう・・。


涙ではなく


出てくるのはため息ばかり・・。



ちょうど心臓のあたりが

鉛のように重くて重くて仕方がなかった。

胸が痛いっていうけど、

本当に感情=心臓なんだなぁと変なことを思ってみたり・・・。





夜中に目が覚めて

長方形に仕切られたカーテンレールを眺めながら

「なんで?!」

って声に出して言いたくなる衝動に駆られるも、

それでも同室の人が気になって物音を出さないように気にしてみたり、

見回りの看護師さんが気にしないように寝たふりをしてみたり、

そんな自分がなんだか情けなかったり・・。





Skypeで時々娘の様子を見ていましたが、

辛くて、しんどくて・・

声を聞くことはできるけど、

病室だから声を出せない・・この環境が唯一の救いでした。



実際にお見舞いに来た娘と

会っているときは本当に辛かった。

顔をきちんと見ることができなかった。

もう帰ってほしいとさえ思っていました。

私だけなんでしょうか。

こんなことを思う親は。




途中で降りることができないベルトコンベア に乗せられてる状態


そんな気分でした・・。





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