私は、子供が嫌いで
子を産みたいとか、妊娠したいとか
母親になりたいとか思ったことはありませんでした。
多くの人が、ある程度の年齢になると
結婚や出産を考えるそうですが
私は当てはまらず。
ずっとひとりで生きていくんだと思っていたし
ひとりで生きていきたいと思っていました。
一緒に生きていきたいと思う人もおらず
かと言って親、きょうだいが好きで地元に骨を埋めたいとも思ったことはありません。
ひとり暮らしをしていると
ホームシックになるそうですが
私は一度も「帰りたい」と思ったことはありません。
その私が今、地元に居るのは
娘
娘が居なければ
私は地元に戻ることはなかった。
娘が私を地元に連れ戻した。
私が残した「課題」を終わらせるために
学校の課題は期限があり、卒業してしまえば
未完でもそこで終わりです。
ですが
人生の課題は
一時逃げられても
取り組まない限り
いつまでも追いかけてきます。
正直
その
「課題」については忘れていました。
娘の存在が分かるまでは。
わたしは、見て見ぬふりをしてきました。
途中で放り出した課題について
それを眼前に突き付けてきた存在
それが
娘でした。
辛く苦しく悲しく怒りに満ちた
「課題」
それは
いつかは取り組まねばならなかったのでしょう。
ずっと目を背けていた私を見かねて
私は、娘のことを
「天からの授かりもの」と言ってきました。
逃げだした私を捕まえて強制的に放り出した課題をつきつける娘はまさに天からの授かりものだと思います。
以前も書きましたが
娘は私に生き直すチャンスをくれました。
もう一度
誕生から成長の過程を再体験させてくれました。
あの時、こうしてほしかった
こんな言葉をかけて欲しかった
それを娘にしてきました。
それで
あの頃の自分が救われたらいいと。
娘は、幼少期から
周囲の大人たちにほめられかわいがられて育ちました。
そのおかげか
娘は自分が大好きだし
立ち直る力も持っています。
周囲の人と関係を築くのも上手です。
社会不適合者の私から
社会性抜群の娘がうまれた
実家で両親の援助を受けられたこと
近所の人たちが娘をかわいがってくれたこと
育つ環境に恵まれました。
あとは
進学
それが済めば
私の役割は終わる
地元での私の人生を振り返ることは
とても苦しく
やはり同じことの繰り返しもあり
納得いく形でやりなおすことはできませんでした。
でも
もしも娘が存在しなければ
今頃私はどうなっていたのか
社会で起きている事に関心を持たず見ないようにして
生きていたかもしれない
嫌なことを排除してストレスを感じない暮らし
親になるとそれができなくなります
嫌なことを見ないわけにはいかない
子育てはいばらの道です
楽しいなんて他人にすすめられない
よほどの覚悟を持たなければ
親になんてならないほうがいい。
20年、自分の人生を子に捧げる
自分の時間を持てるのは20年後
子が0歳~1歳くらいのシングルマザーが男に走り
子を見捨てて虐待するという話
気持ち、よく分かります
その頃の子供は、しゃべれないし
自分で身の回りのことができないし
ほうっておくと何をするか分からない
ずっと誰かがついていなければいけない時期
だから辛い
自分の時間がなくなるから
ひとりでゆっくり自分に構う時間が皆無
母親だから子の面倒を見るのは当たり前
辛いのは自分だけじゃない
だから我慢して親の務めを果たせと
お金に余裕があったり、都市部なら
質の良いシッターサービスを受けやすいから
独りで子育てという苦行をせずに済む
田舎の未婚のシングルマザーは
経済的にも時間的にも余裕がなく
子育て相談に行くゆとりもない
だからどんどん視野が狭くなり追い詰められ
我が子に手をかける。あるいは放置する。
辛いのなら声をあげよう
と世間は言う
でも
余裕がない母親にその声は響かない
子が産まれたら
頼んでなくても
居住地の自治体からあるいは市や県から
シッターさんが派遣されるシステムでもない限り無理
地方でも、子育て支援が充実している所ならいいと思うけど
そういう情報は探さないと出てこない
理想は
どこに住んでいようが
安心して子を育てられる
ひとりの時間も確保できる
子育て中の支援をどの人も受けられる
知っている人だけでなく
そして
経済的に自立できるだけの仕事
価値ある仕事と認められるスキルを身に着けるチャンスを。
こういうことは
母親にならなければ思いもしなかった
自分さえよければいいと思っていた
こういう社会の問題に気づかせてくれた娘
やっぱり天からの授かりものだと思う。