なんとなく。
またパン教室を再開するのもいいかもなぁという気持ちが沸いてきた。
あるかもしれない。
続かないかもしれない(笑)
セラピーも、セッションも、アロマも、パンも料理も、もしかするとチクチクなんかも。
全部、私は極めていない。
だから出来ないと思ってた部分もあり、
そこが良さと思ってもいる。
この悪くいうと中途半端な、よく言うと程よくゆるいものたちを、うまいこと提供していけたらいいな。
ゆるくらすひと。らしく?
それは暮らしの延長として。
共通して伝えたいことは心持ちなんだ。
うつで会社を長期休業する前、私が休んだら迷惑をかける。
誰がこの仕事をやるのか。
みたいな責任感なのか自惚れなのか。
絶対に休めないみたいな気持ちがあった。
でもいなくなっても仕事はなんなく回っていくのだ。
今思ったけど。
あの時私は、仕事の成果とか働きじゃなくて。
私の醸し出す感じや存在自体が一番あの部署に貢献していたんじゃないかしら。
思えば随分と可愛がってもらったもんだ。
うーんとつまり。
こうでなきゃ。あぁでなきゃ。
と思い込んでることは案外そうでなくても大丈夫なんだよね。
いまだに思い込みにはまりやすいんだけど、実は大枠は仕事を休んだゾンビ時代に外れてるのかもしれない。
私なんて居なくても世界は回ってく。
あのショック。
しかし私の世界は私がいなくては回らない。
私が見てるものが全て。
矛盾してるみたいだけど。
そいで、これじゃまるで一人で生きてるみたいに聞こえるかもしれないけど勿論そうじゃなくて。
個があって全体がある。
例えお互いに何もアクションがなくたって影響しあってる。
"気"の交流。
目に見えない関わり合いもある。
森の木が、地面の下で土の成分の変化や環境の変化を菌を通じて連絡しあっていて、病気の木が出たら広がらないように対策をしたり(どうやってかは忘れました(笑))してるって本で読んだ。
去年桜の木がまとめて病気になってるのを見たの。沼のほとりはほぼ全滅で。でも、他も木も一緒に植わっていた同じ沼沿いの公園の辺りの桜の木は生き生きしてた。
沼に近い木は気温の上昇が原因で沼からの湿気にやられたのかもしれない。でも公園にも沼にも面した桜も大丈夫だった。
もしかしたら公園の桜は他の木に助けられたのかもしれないなぁ。
人も。
環境にもやられるしね。
でも周りの人の空気感みたいなものに影響される。
だから一緒に居る人は大事だし、苦手な環境は避けていい。
避けられなくても心持ちで影響は変えられる。
苦手だって、ちゃんと認識することだな。
対策が取れるから。
感覚をとじてると。
嫌だなってことにすら気づけない。
私がやって来たことは、どれも五感を使うこと。
パン焼きは五感をものすごい使う。
香り、手触り、味わう。
酵母を起こすときはシュワシュワプチプチ音もするし、うまく焼けるとパンはパチパチとなくの!
(家庭用の電気オーブンだとなかなか音までさせられないんだけど。それとも私の力量か?( ̄▽ ̄;))
食べるときも音がするしね。
もしゃもしゃ、もぐもぐ。
セッションだって、五感フル稼働。
五感どころか第六感を稼働。
難しいことじゃない。
feelingを大事にする。
今は大磯の家の細かい部分の打ち合わせが佳境で。
キッチンのタイル何にする!?
みたいな細かいこと。
一つ一つ、自分の本音を無視しないように。
イメージをふくらます。
久しぶりにセルフヒプノでもしようかなぁ。
家の打ち合わせが進めば進むほど、
無視してきてた自分の本音が出て来てね。
その度に、ううーーー。
そうでした…ギャフン。
てなりながら、その都度ほんとはこうしたい。
を、叶えるために動く。
パン教室を再開が出てきたのは、やっぱりガスオーブンがいいな。
が急に出てきたの。
お金かかるしそんなに使わないかもしれないし、へルシオあるし。
無意識に考えないようにしてたみたい。
さてさて♪
どうなることやらー!
おうちを建てるのは私にとっては結構なセルフセラピー。
自分自身の本音と向き合う時間。
研ぎ澄まされています。
そんな毎日。
ちょこちょこblogも書いてこうっと。