ゆるくらすひと。香織です。
昨日あたりから、だいぶ回復してきました〜♪
今日、母の様子を伺おうと電話をしたらば。
「・・・疲れたね〜っ」って。
新潟まで行ってきたからね。
肉体的にも疲れていたのでした。
月、火は本当にだるくてだるくて、動けなかったです。
悲しみと、移動距離の長さと。
あとね。
マクロビ的に考えると。
全然動かずに冷房の中で過ごしてるのに、ご馳走をいただく。
しかもこの暑いのに!
完全に熱がこもってましたね〜身体に。
そんな訳で、火曜日は夜、パパに子供たちをお願いして20時半から外出。
1人で悲しみに浸りたかったしね。
TSUTAYA併設のスタバに行ったけどいい席が空いてなくって、
結局立ち読みだけして、40分くらいプラプラ歩いて23時過ぎに帰ってきた。
そしたら回復しましたよ。
じ〜〜っくり、おばあちゃんのこと考えて。
涙ぐんだり、中島みゆきの「時代」を口ずさんだり。
”「そんな時代もあったね」と
”いつか話せる日がくるわ”
”今日は別れた恋人たちも”
”生まれ変わって、巡り会うよ…”
悲しむ時間をしっかりとるって、大事だな〜。
少し一緒に暮らしていた、父方の祖母が高校3年生の時に亡くなっているのですが。
結構長いあいだ、引きずっていて、よく、お酒を飲んで酔っ払うたびに思い出して泣いてた。
そんなことを思い出して。
すぐにこの悲しみが、癒えるわけないよねぇって。
そう思ったら、だいぶ気持ちが楽になって。
おばあちゃんのことを、ずっと思っておこう。
そう思えた。
ちょうど今月に入って、セラピストデザインコースの一貫で、
エリザベスキューブラーのライフレッスンを読み、
死生学の教授が書いた本”たましいのケア〜病む人のかたわらに”を読んでいたところだったのですが。
このタイミングでのおばあちゃんの死は、なんだか出来過ぎていて。
周りを信じられなくて。
自分を信じきれなくて。
流れに身をまかせることができない。
そんな私でも。
何か、大きな流れに導かれているような。
そんな気がしてなりません。
実は。
新潟に着いてから、すべてを取り仕切っていた叔父に。
「葬儀場のマイクロバスにはチャイルドシートがないから、じ〜じょちゃんは火葬場まで連れて行けないって言われちゃって」
「だから香織ちゃんも、残っていてもらうしかない」
そう言われました。
むーん。
これは、その方がいいのかなぁ。とか。
色々、悶々と考えたんだけども。
お通夜を終え、次の日の朝、4時くらいに目覚めちゃって、やっぱりまだ考えていて。
”どうしても行きたい”
そして、近くに父方の従兄弟の家があるから、
出勤前にチャイルドシートを持ってきてもらえないかな?
と思いついて母に相談すると。
「お骨拾い組が車で行くから、あんたそれで行きなさい。」
「大丈夫よ。それで、お骨拾いまで居て帰って来ればいいわ。」
って。
なんでも言ってみるもんだね。
それを聞いた叔父や叔母。
「香織ちゃん、行きたいよね。そうだよね〜おばあちゃん子だもんね〜」
って。
え?私、おばあちゃん子だったのか!
・・・気づいてなかった。
そう言われてみれば、そうか。
それで無事に、従兄弟夫婦の車に乗って、火葬場に行けたのでした。
長くなったので、一旦ここで。
続きます。