地獄への道は善意で舗装されている | 永遠の情熱とポテンシャル診断で、あなただけのビジネスを生み出し、一生輝く星(スター)になれる「満天星オンリーワン起業レッスン」

永遠の情熱とポテンシャル診断で、あなただけのビジネスを生み出し、一生輝く星(スター)になれる「満天星オンリーワン起業レッスン」

あなたの枯れない情熱を特定し、ポテンシャル診断で潜在能力を引き出すことにより、あなただけのオリジナルなビジネスを構築し、ずっとビジネスで輝くことができるための方法をお伝えします

 

今日のタイトルの言葉、聞いたことあります?

 


井木はつい最近まで知りませんでした。

 


ドキッとするような言葉ですよね?

 


このことわざの一般的な意味は、

 

「悪事または悪意は、善意によって隠されているものだ」

 


あるいは

 

「善意でなされた行為であったとしても、

 

その実行により意図せざる結果が招かれる」

 


ということだそうです。

 

 

 

悪意をもって悪行を働くのは論外ですが

 

善意で行ったことが、結局迷惑だったり

 

場合によっては悪行になってしまうとしたら?

 


これは怖いですよね。

 

 

 

しか~し!!

 

自分の行為が本当に善意なのか

 

相手にとって善意なのか

 


部分的善意であっても社会的善意であるのか

 

などなど、気を付けるべきところもありますよ。

 

 

 


ずいぶん前の話、

 

会社に入ってしばらくのころ、

 


会社の先輩がある宗教の信者で

 

勧誘しようと井木のアパートに来るのですよ。

 

 

 

その時、その先輩の宗教上の先輩も一緒にくるのです。

 

それもケーキを手土産として・・・

 

 

 

井木が、もらいたくないなと躊躇していると

 

その先輩の先輩

 

「善意は受け取るものだよ」

 

と一言

 

 

 

井木は思いましたね

 


「善意とは、受け取る側が感じるものであって

 

送る側が押し売りするものではない!」

 

 

 

もう、それ以降この言葉は、

 

井木語録に刻まれましたよ。

 

 

 


これって、先のことにもつながりますよね。

 

先輩とその先輩は自身の善意からケーキを持ってきたことでしょう。

 


善意の塊りです(!)

 

 

 

しかしながら、それを快く思っていない井木は

 

受け取ると後が嫌だなと

 

善意ではなく、迷惑と思ったわけです。

 

 

 

その後も先輩の急襲はしばらく続いたのですが

 

これこそ

 

「地獄への道は善意で舗装されている」

 

ですよ。困ったもんだ・・・

 

 

 

いや、彼らにとってはきっと

 

「天国への道はこの善意によって舗装されている」

 

のでしょうけれどね。

 

 

 


これはちょっと極端な例かもしれませんが

 

そういうこと

 

日常的にもよくあります。

 

 

 

企業の不祥事なんて

 

企業にとっての善意としてやっていること

 

でもそれは時に、反社会的になる。

 


しかしながら、それをやっている人たちは

 

善意でやっているからタチが悪い

 

 

 

全体最適解は、部分解の総和ではないように

 

全体善行は、部分善行の総和ではない

 

 

 

会社にとって良かれと思ってやったことが

 

結局は会社のためにならなかった、

 

というのが世の不祥事の真相。

 

 

 


私たちも

 

よかれ(善意)と思ってやったり

 

アドバイスしたり、意見したりすることが

 


必ずしも、良い事にはならない場合もある

 

ということ

 

肝に銘じておく必要があると感じていますよ。

 

 

 

親は子供のために

 

「よかれ」と思うことを必死にするわけですよ

 


先生は生徒のために

 

「よかれ」と思うことを一生懸命するわけですよ

 


上司は部下のために

 

「よかれ」と思うことを真剣にするわけですよ

 

 

 

しかし、その「よかれ(善意)」が

 

子供だったり、生徒だったり、部下にとっての

 

「地獄への道」となる可能性もある

 

ということ

 

頭に置いておく必要がありますね。

 

 

 


「地獄への道は善意で舗装されている」

 

留意して!!

 

 

 

この記事は、無料メルマガ「満天星通信」に記載されています

https://resast.jp/subscribe/80305