ココロとは、カラダのあり方により、決まります。

 

 カラダが原因、ココロは結果なのです。

 

 

 

 ものごとに対処する時、結果にアプローチするのと、原因にアプローチするのではどちらが正しいアプローチでしょうか。

 

 

 

 心を回復させるには、心へよりも、身体へのアプローチが最も効率良く、最も早く結果が出ます。

 

 

 

 ゆえにうつ病患者にも身体へのアプローチが最も重要になるのですが、身体へのアプローチを柱として、心へのアプローチも同時進行させると、回復の効率もスピードも飛躍的に高まります。

 

 

 首のこりが極限状態であった私には、カウンセリングも、心理療法も効果は薄かったのですが、一時的ないくらかの効果はありましたし、実際に良くなっている人も大勢いらっしゃいます。

 

 何より心をしっかりと科学していますし、どれも納得のいく理論ばかりです。

 

 

 端的に、心理カウンセリングとは何かといいますと、

 

 

 

 クライアントが自分を客観視できるように導くお手伝いです。

 

 

 心の問題を抱えた人は、自分を客観視できるようになると回復へ向かいます。

 そして、怒りや涙など、感情を表現できるようになるとさらに回復していきます。

 

 

 しかしこれが、なかなか大変な事なのです。

 

 うつ病対処にカウンセラーを選ぶとまず、カウンセラーを選ぶ事になりますが、これが非常に重要で、相性というものがあるのです。

 

 相性の合わないカウンセラーでは信頼関係も結べず、治療は進みません。

 

 

 運よく相性の合うカウンセラーと巡り合っても、そこから何度も通わねばなりません。

 

 そして信頼関係を構築し、時間をかけ、タイミングを見ながら自分を客観視できるように導きます。

 

 

 うつ病対処にカウンセリング(だけ、それ1本)を選ぶと、時間も労力もお金もかかり過ぎます。

 

 相性が合わなければ目も当てられません。

 

 

 

 カウンセリングが必要なのは、うつ病になる前の人です。

 

 うつ病を虫歯に例えると、カウンセリングは歯磨きです。

 

 人は誰しも、日々の人間関係の中でカウンセリングをする、されるの関係ができています。

 会話は基本的に質問と答えだからです。

 

 話を聴くのが上手な友達、親、上司、先生は良いカウンセラーさんです。

 運悪く良いカウンセラーが身近にいない人に必要なのが、プロのカウンセラーです。

 

 日々の日常の中で歯磨き(カウンセリング)がなされていないと、虫歯(うつ病)になり易いのです。

 

 そして虫歯(うつ病)になってしまうと、歯磨き(カウンセリング)では治らない。治りにくい。

 

 

 さらに、うつ病や神経症にカウンセリングで対処しても、最終的には「症状が気にならなくなりました、良かったです」 で終わる事が多いのです。

 

 確かにそれは大切な事です。

 症状と自分が一体化している時は地獄の苦しみです。

 

 が、自分を客観視できるようになり、症状と自分が分離すると、かなり楽に生活できるようになります。

 

 でも、ですよ?   本当にそれで終わっていいんですか? 

 

 車のブレーキの効きが悪くて車屋さんに行ったら、コーヒーを出してくれて『かもしれない運転』の大切さを説かれて、

 あぁ、急ブレーキをしなくてもいいように安全運転を心掛ければいいんだなぁ と気づきました。ブレーキの効きの悪さ、気にならなくなりました・・・。

 

 いいですか?これで?

 安全運転しながらも急ブレーキが効いた方が良くないですか?

 

 

 カウンセリングで完治する例も少なからずあるようですが、この辺りがカウンセリングの限界であると考えます。

 

 

 

 

 

 さて、次に心理療法とは何かといいますと、

 

 ネガティブな記憶、体験によって創られた脆弱な自己イメージを、しなやかでポジティブな自己イメージに変えるお手伝いです。

 

 

 

 心の病を抱える人は自己イメージが非常に脆弱です。

 

 

 過去のトラウマ、ダメダメの躾など、親、社会の重圧と、本人の気質によります。

 

 

 人は誰しも心の中に、神話や物語が流れています。

 そしてその脚本通りの人生を歩んでいるのです。

 

 明るく元気に生きている人はハッピーな物語が、心の病を抱える人は悲劇の物語が流れています。

 

 

 監督、ディレクターなどは全て自分です。  

 

 嫌な思い出も、いい思い出も上手く編集して最終的にハッピーな物語にするか、

 

 楽しかった思い出、感謝した事などは全てカットしてホラー映画にするかは、自分自身です。

 

 もちろん、演者も自分自身です。

 

 人の心を流れる物語は、事実だけで創られるものではありません。

 

 夢の中の出来事、絵本、小説、マンガ、テレビ、他人の話などの中で都合よく自分に投影できるものは自分のものとして、物語の中に組み込みます。

 

 これらは無意識の領域で行われます。

 

 

 

 脳にとって、身体にとって、それが事実であるかどうかは関係がありません。

 

 梅干しを口に入れずとも、目の前になくとも、イメージをするとだ液が出ますよね?

 

 脳、身体は事実よりも、イメージに強く反応します。

 

 我々は日々、自らで作り上げたフィクションに反応し続けているのです。  まるで魔法がかかったように。

 

 自分が魔法で存在している以上、人生のあり方にも魔術を求めます。

 

 お金さえあれば何とかなる。  あの人さえいれば幸せになれる。   この病気さえなければ上手くいくのに。

     あの大学にさえ合格すれば安泰だ。   あの家さえ手に入れば家族が幸せになる。

 

 これら全て、魔術的思考といいます。  

 

 

 かくして完成したホラー映画の中を、魔術的思考で生きている人達がハッピーな物語の中で生きられるように、無意識の領域にアクセスし、楽しかった思い出、感謝した事、さらにはハッピーなフィクションまでをも物語に組み込んでいけるように導くのが、心理療法です。

 

 完治を目的とするのであれば、私はカウンセリングよりも、心理療法に軍配が上がると考えています。

 

 が、やはり心理療法も時間、労力、お金が必要です。

 

 

 うつ病患者は多くの場合、突発的に経済状態が悪くなる事があります。

 

 退職、休職を余儀なくされる事があるからです。

 

 カウンセリングも心理療法も、経済状態の苦しいうつ病患者には、受けたくても受けられません。

 私がまさにそうでした。

 

 通院の経験があるのは、最後の手段として親にすがりついたからです。

 それすら出来ない方は世にたくさんいるでしょう。

 

  そういった方達が、自分一人でできる心理アプローチ法がないものでしょうか?

 

 過去の自分はこれを強く求めました。  過去の自分に教えてやりたいです。

 

 あるでぇむん。     と。

 

 

 次回、自分ひとりでできる心理アプローチ術を熱くご紹介します。

 

 

 その名、一矢法(いっしほう)。