現在
人生史として幼少期から
覚えていることを順番に振り返りながら
インナーチャイルドや自分責めの説明も
させていただいてます。
これまでのお話
最初から読むには
→【まとめ記事】人生史/周りにどう思われるか→自分がどうしたいかに変わるまで
前回のお話
→【人生史㊷】夫の希望に近づいたものの、理想の環境にはまだ遠かった、、
ちょっと間隔が空いちゃったので
前回のおさらいも少し
家族3人、関東で暮らし始めて
最初に住んだ千葉の松戸は
関東に住む唯一の親戚、
わたしの叔母に
遊びに来てもらいやすいように
(そして緊急時には、頼りやすいように)
と、
わたしの希望で決めた地域でした。
夫は仕事で
土地柄の良いと言われる地域のことも
よく知っていたし
自分の実家が
どちらかというと治安の良くない地域で
コンプレックスもあったのか
『本当は
もっと土地柄の良い地域に住みたい』
と言っていて
わたしとしては
夫の住みたい地域に引っ越すことで
夫が家でご機嫌に過ごしてくれるように
なったらなぁ
という淡い期待もあって
引越しを決めました。
ですが
なかなか全てが揃った家というのは
見つからず。。
そこから2年ちょっとの間に
さらに二回引越しを繰り返したのですが
わたしが期待していた
夫のご機嫌回復✨
夫婦関係の改善✨
はできずに終わってしまいましたf^_^;
なぜうまくいかなかったのか??
根本的なところは
またお伝えするとして
今日のところは
出来事として
この2回の引っ越しの間にあったこと
当時のわたしが感じていたこと
を書こうと思います。
1回目の引越し先は杉並区。
そこで出会ったママ友の旦那さまが
めちゃくちゃイクメンで
優しくて。。
そこのご夫婦とは
夫も含め、初めて家族ぐるみで
仲良くさせていただいたんです。
わたしはつい、
そのイクメンな旦那さまと夫を
比べてしまいました。
子どもの面倒はもちろんのこと
料理も作れるし
洗濯や掃除も率先してやってくれる
ステキなパパ✨✨
そのご夫婦はお二人とも小学校の先生。
職業柄、旦那さまも
うちの夫ほど遅くなることもないので
環境が全く違うのですが
めちゃくちゃ
うらやましかったです〜💦
そして
『夫よ少しは見習え〜』
って内心思っていたら、、
夫も少し後ろめたく感じたのか
自分が忙しいことや
公務員に比べて、かなり稼いでいることを
アピールしていましたf^_^;
あの頃のわたしは
家族のためにお仕事を頑張って
たくさん稼いでくれてた
夫なりの愛や努力に気づかずに
家事や育児に協力してくれない
という『ない』方しか見えてなかった。
イクメンパパという理想形が
身近に現れたことで
夫に対する
『ない』への不満が大きくなっていったのでした。。
続きは
本日も
あなたがますますあなたらしく
幸せな毎日を送れますように❤️