昔から違和感があってん
いざ恋の話となると
どうこうしたい。があまりない
独占欲がないねん
真似てるだけでした。。。
違和感なくのほほんと過ごす
なんか根本的に違う。。。
レズビアンなんかな?説が浮かぶ
レズビアンの扉を開けました
ネットを介して
レズビアンの友人もできて
ベテランで事情通だった
フェムネコの友人の的確な指南のもと
大規模なレズビアンオフ会に行き
しっかり出会いに漏れがないよう
小規模なオフ会にも網羅し
クラブイベントにも行き
パーティーも片っ端から参加
人が多くて賑やかなところが苦手で
オフ会やイベントに来ない人もいるからと
ネットでの出会いも並行して。。。
変なとこで真面目なわたしは
半年ほどの間ひたすら真摯に
ほぼ全ての日を出会いに使って
たくさんのレズビアンのひと達と会って
レズビアンの方々がどう考えてどう生きて
どんな恋愛をしているのか
お話する日々でした
で?いいひとおった?
土日が終わるたびに
友人にはそう聞かれたけれど
結果わたしの答えはずっと同じ
うーーーん。おらん。。。
もちろんちゃんと本気で
恋愛をしに来ているつもりだし
めちゃくちゃ恋人を探してるはずなのに
友達や知り合いが増えていくだけで
ときめきは皆無すぎるくらい皆無で
全員みんなあまねく
なにも湧き上がってこない
そんな時に度々
レズビアンの友人達との会話で
若い頃に好きになった女性への片想いの
思い出のことが話題になって
みんなが
小学校や中学や高校の時代に
好きな女の子がいた話を切なく語るなか
『ゆるちゃんは』と聞かれた時に
わたしにはそれらに該当するような
女の子への恋慕の記憶がなく
男の子を好きになれないことを
不思議に思っていたその大きな陰に隠れて
ずっと気付かなかったけど
わたしは幼少期から思い返してみても
男の子どころか女の子にすら
個人に恋したことがない。。。
漠然としたイメージで
男性よりも女性が良いかな。。。は
心の中にあるのだけど
じゃあ誰となると
それは誰にも該当するようで
でも特定の誰かではなくて。。。
ほわんとしたような
イメージに過ぎなくて
友人としてこのひとと一緒だと
楽しいとか良いとか落ち着くはあるし
心がざわざわするくらい美味しそうで
セクシーやなと思うひともいるし
こんなひとと付き合うときっと
幸せになるんやろうなとか
ぼんやり思うくらいで
たとえば。。。やけど
ハイキングで出会った山野草に
とても美しく心惹かれたからといって
それを掘り起こしてまで持ち帰ることは
山野草のためにならないように
自然のものは自然のままで。。。
今までもそこにあったように
これからもそこにそうあるように
登山客はそっと踏まないように気遣って
環境を壊さず通りすぎて
一瞬に感謝するだけで良い
わたしが周囲に思う
『好き』と言う気持ちも
それととても似ている気がします
レズビアンの扉を開けて半年
男性のことを心から愛せないのは
自分がレズビアンだからかも知れないと
安直に思ってしまっていたけど
それは大きな間違いで
そもそもわたしには
恋する気持ちがない
この誰にも恋しない性質は
バイセクシュアルだとか
レズビアンだとかノンケだとか
そんなカテゴリーでは分類されない
違うものなのかも知れないと
そこに辿り着いて
ようやくその場所がまだ
新しい迷宮の入り口と気付きました
しかしながら気持ちとしては
恋愛はできるならしたい
生涯このひとと思えるような
パートナーはやっぱり欲しいと思うし
大家族で育ったから賑やかなのは好きで
かれこれずっとむすめ達も側にいるから
ひとが家にずっといるは平気だし
孤独が好きとは思わないし
むしろひとがめっちゃ好き
家にたくさんの家族がいたら
なんだかんだでほっこりと嬉しいし
いつだってガヤガヤしてたい
世界を旅して回るテレビ番組で
村全部が親戚で家族みたいな部族がいたら
楽しそうで良いなとすごく思う
ひとりは苦手。。。
恋人も結婚も家族も
ぜんぜんウェルカムな性格なのに
恋愛感情や独占欲が出てこない
謎のアンバランスさ
可能性を信じてるので
生きている中でたまに誰かに
『付き合って欲しい』と言われた時は
願ったり叶ったりというか
とても有り難いので
よほどの事情がない限り
誰とでもまず付き合ってみます
相手のことをよく知りもしないのに
知ろうと言う努力もせずお断りするのは
あまりに申し訳がないですし
真剣に将来を信じて前向きに
向き合い話し合い可能性を模索して
しばらくお付き合いして
短くても3年くらいは
本気でちゃんと全力を尽くし
なにひとつ惜しむことなくやってみてます
だだ恋愛が下手すぎるので
結論に至るまでに時間がかかるのが
ちょっと難点ではある。。。
のんびり蝸牛ペース
すごくイヤなことがあっても
それは相手のせいではなく
自分の感覚がおかしいのかも知れないし
わたしが愚鈍なせいかも知れないし
自分が未熟で許容量が少なかったり
忍耐や努力が足りないかも知れないし
思いやれていないこともある
相手が間違えているのではなく
自分自身に問題があることもあるからと
なぜそれをイヤと感じてしまうのか
どうすればイヤでなくなるのか
自問自答と反省を繰り返し
何年も何年も自責するため
お付き合いが終わるたびに
相手の生き方や感じ方ややり方に
うまく寄り添えないダメな自分を恥じ
うまく合わせることができなかった自分を
とても嫌いになるばかりですが
それでも誰かと
連れ添いたいと思う
レズビアンの扉を開けた後に
とても色んなセクシュアリティのひとと
出会ってお話しをさせて頂き
多様性の世界を学んでいくうちに
なんとなく心の奥の方に引っかかった
単語を知ることとなります
アロマンティック
他者に対しての恋愛感情を
感じないひとや感じにくいひとや
その志向のことを指す言葉らしく
家族愛や人類愛や友情や人情などの愛は
感じるし理解も充分できるけど
恋愛感情に関してだけはなぜか
どうも理解が困難で湧き上がりにくい
セクシュアリティがあるらしい
もしかしたら。。。
自分はその可能性があることを
脳裏に巡らせながらも
でもまだこの時は
運命の相手と出会えてないだけで
いつか熱烈に恋する相手が
目の前に現れるかも知れない
その奇跡を信じていました
これから先の長い人生を
もう自分を誤魔化さずに
自分と寄り添って生きるために
そろそろこの問題を解決したい
そう覚悟を決めて
さらにセクシュアリティの深淵の
奥へと進む覚悟をした
ゆるり30代の頃の話
たぶん続く。笑
↑わたしとのびちゃんの説明です↑