洋服作家のやまもとゆきこです



かなりお久しぶりな投稿になってしまいましたw



先日実家に帰って
自分の机に置かれてた本をみて

思い出したことを
書いておこうと思いました










私は大学は史学科で歴史を学んでました

その卒業論文で
「回天特攻隊員の生死感」というテーマで
論文を書きました






当時の先生方からは
これは心理学科の生徒が書く内容だと
怒られましたけどwwニヤニヤ











戦争が始まったのは昭和16年4月

その4年後の昭和20年8月に原爆が2つも落とされてから、ようやく終戦

(天皇が一回でもいいからどこかの戦いで勝つまで白旗あげないよ、というかなり無謀な考えを持ってたから原爆を試験的に落とされちゃったのよね)



日本には歴史から消された星の数ほどある生きた歴史があります


その中のひとつが
回天特攻隊





こんなバクダンみたいな鉄の潜水艦に乗って
窓もない前も見づらい狭い中、一人で操縦して

敵に体当たりする



なんとも非道






先端には爆弾があって
当たればドッカンです






空からの特攻隊も有名です

当時の特攻隊員の年齢は
18とか19くらい??


当時の日本の若者って
本当に凛としててかっこいい


チャラチャラしてないで
まっすぐなところもすごい



これからの日本を背負う若者が
自分の命と引き換えに
明日を生きる家族が幸せに暮らせるようにと
散っていきました




文献は
写真に載せてる数の
10倍以上は読みました


彼らの生死感


死に対して
どう乗り越えたのか



そこが知りたくて
遺書を拾えるだけ拾って
読みあさりました

東京にある国立図書館にもよく通って読みに行ったなー








彼らは
日本がとうとうこの非道な戦法
「特攻」を支持するくらい戦局は大きく
傾いているのを知ってたんですよね


あるところでは半強制的に、
または
自主的に手を挙げて特攻隊になった少年たちもいます




そこらへんの強制か?自主的か?の部分は
意見がかなり分かれるんですけどね





そして
この非道な戦法をやらないと
故郷で暮らしてる家族が戦火に追いやられることも
理解してました



「神風」が、
また日本を守る





そんな報道が日本人の心を変な方向へ向かわせます

当時から報道は嘘ばかり
今も同じですけどね



報道に惑わされずにいきたいです







少年たちは

自分の命が終わること
やっぱり怖かった

んです




その怖さを消すために大義名分を掲げます








なぜ自分は死ぬのか
本当は生きて妹や弟の成長をみたり、やりたかった将来の仕事もあるし、結婚して家族を持ちたかったという思いはあるけど、今自分が死なないと新しい日本は来ないんだ






何のために死ぬか
家族が今のままなら戦火に追われてしまう。家族が少しでも長生きできるためには、僕たちが行かなきゃならないんだ。家族のため、日本国家のため、天皇のためにも。







死んだ後の日本国家、
そして家族への想い
私達が死んだ後の日本をよろしく頼みますよ。きっと幸せな日々を過ごせる世界になってるでしょう。妹や弟の世話も頼む。お母さんお父さん、泣かないで。晴々とした気持ちで逝くんですから。元気でいてくださいね。








だいたいは
この内容の遺書が多かったと
読んでて思いました





自分の死は

明るい日本未来のために。






私が卒業論文で学んだのは

このたった2行の言葉でした





今の日本は

少年たちが思い描いていた
幸せな平和な日本だろうか




終戦の日が来るたび
いつも思う




少年たちが生きたかった未来



私たちは
どう生きていくか



普通に与えられてる私たちの日常



強制的に未来を失った少年たち




8月はいつも、本当にいつも、

このことを思う










広島に回天の島というのがあって

回天特攻隊員たちが生きた歴史がある




教科書には載ってない、生きた証が。







私は戦争を知らない



だけど



知らないけど
知ってる




本当の怖さとリアルな体験はないけど
日本が歩いた足跡を子供達に見せることはできる





四国は歴史が沢山ある

これは北海道の人からしたら
相当羨ましい
(歴史好きな人にとってねw)




ちょっと足を伸ばせばいける生きた歴史が見れるなら

是非ともみに行って欲しい
(コロナだから無理か、、)






日本がどんな歴史を歩んできたかを知ることは

今の私たちの生きる原点を時々教えてくれる






私の大切な卒業論文





この卒業論文だけは捨てずに今治まで持ってきた




私があの時生きた証でもある