お金への執着で生きていたような毒母。

エンディングノート的なものが
あるかもしれないと、
冷蔵庫の片付けなどかねて、
家へ行ってみた。

エンディングノートの代わりに出てきたのは
娘への怨みつらみを綴った手帳とノート。

誰のことも気にいらず、
人の悪口の吐け口にしていた娘が
いなくなり(病気になり)

自分の人生を振り返り、
反省などもしているかも、

… なんてことは、
毒母には、有り得ないことだった。

そもそも、そういう心があれば、
毒親ではないのだろうけれど。

どこまでも、すごい………

何がすごいって、

1990年代まで遡って、
自分の気に入らなかったことを
事細かに、時系列に、回想状態で、

〝事実と違う作り話〟が
ずらずらと書き綴ってある。

ひたすら、
私への怨みつらみと、
私の人格否定が、
えんえんと書き綴ってあるのだ。 
作り話の中で。

今まで他人に向けていた怨念を
私に一極集中してたのだろう。

これほどまでの怨念を毎日向けられたら
そりゃあ、病気にもなるでしょうよ…
と思うくらい、すごい。

娘を日々呪い続ける老後は、
いかなるものか。

自分の行いを振り返り、
周囲への感謝に満ちれば、
こんなノートなど必要なかっただろうに。

距離を置いて、吐け口がなくなれば、
様々なことに気づけるチャンスも
あるのでは?と思っていた。

私の中で、
「知らない」で区切りがついたのか、
悲しいのもショックも通り越して、

今は、ただ、哀れでならない。

ありもしない妄想で、
人を怨んだまま死にゆく人は、
一体どこへ行くのだろう?