昨日今日と、夜中に酷い動悸で目覚めた。

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高校に入ってから結婚する29歳までは、母親と亡祖母との三人暮らしだった。
亡祖母は、会社役員として74歳まで働き、日舞や三味線など趣味も多く、情に厚い人だった。
私が2歳の頃、母親に置き去りにされた私を見て、「この子は私が守る」と思ったそうだ。
母親と私が経済的不自由なく暮らせてきたのは、祖母がいてくれたからに他ならない。

祖母は、仕事後に、夜は趣味のお稽古ごとで掛けていたため、夕食はほとんど母親と私の二人だった。
毎晩の食卓で、母親の意味不明なヒステリーにひたすら耐える日々。
母親にとって、自分以外は全て気にいらないため、訳の分からないことを八つ当たりのように吠えたてる。真っ当な理由はそこには存在しない。
それが、延々と続く。

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2日連続で、思い出したくもない かつての日常が、夢として、蘇ってきた。

ここで問題なのは、
こわい夢や悪夢はよく見るのに、動悸までは起きない。
動悸で目覚めるのは、母親が出てきた時だけだということ。

どんだけの毒なんだ…

冷静に書けるようになり、抜けてきたと思っていたけれど、
夢で動悸が起きるほど、体が毒を記憶してしまっているということなのだろう。

体の無意識の反応がなくなった時、ようやく解毒が完了するのかもしれない。

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私が結婚をした後は、
仕事を引退した祖母と母親の二人暮らしとなった。
二度も出戻り、祖母と私に嘘をついてお金も騙し取り続けた母親は、自分と孫の面倒を見続けてくれた老後の祖母を虐めていた。
電話も外出も許さず、祖母がやることなすことに怒鳴り散らしていた。
私がいた頃は、まだ分散されていたが、老いた祖母が集中砲火をあびていた。

そして、まもなく、祖母が脳梗塞の発作を起こす。
夕食中に、母親の目の前で、発作が起きたらしい。
毎晩繰り広げられていた、あの日常。
その時も、母親が意味不明に、祖母を怒鳴り散らしていたのだろう。

酸素マスクをしながら、必死に自力で呼吸をする祖母。
呼吸が途絶えがちになっても、私が「おばあちゃん、呼吸して。元気になって、一緒にいろんなとこに行こうね。大丈夫だからね。」と声をかけると、それに応えるように、深く呼吸をしてくれた。

必死で生きようとする祖母に、母親は耳元で言い放った。
「お母さん、あんなに綺麗だったのにね。こんなんになっちゃって。」

自分がされてきた仕打ちは構わない。
けれど、祖母(母親の実母)や親戚に対してしてきた仕打ちの数々を、祖母の入院で初めて知ることになった時、私には、母親がもう人間だとは思えなくなった。

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母親の為に、早く死ななければと思いながら生きてきた。
リウマチになり、ようやく解放された今。
これから、私は、毒母から我が身を守り、私の人生を生きていこうと思う。

※ もっと酷いことも多いので、書ける限度に留めました。
同じように毒親に苦しんでいる人もいる時代だと思うので、一例として、書いていこうと思います。