母親の離婚、再婚、離婚により
私は、高校までに 4回、

































(自分の結婚前に)
苗字が変わっています。

















小学2年の時。
血の繋がらない父親の連れ子である
1学年上の男の子との同居生活が
始まりました。
突然、現れた見知らぬ男の子。
母親が言います。
「お兄ちゃんと呼びなさい。」
引っ越し、転校、
得体の知れない義父と突然出来た兄。
学校や近所でも噂だったそうです。
色々 我慢をしていても、
体は正直なもので、
自家中毒になりました。
その時、点滴を受けた病室の様子は
今でもはっきり覚えています。
今思うと、これだけでも十分な気が
しますが。
こんな環境下でも、毒母は自分の
要求だけを押し付けてきます。
「テストは100点が当たり前。
80点以下なら帰ってくるな!」
ある日、
78点を取ってしまいました。
毒母の鬼の形相が頭に張り付きます。
どんなお仕置きをされるんだろう…
家に帰れず、教室に残る生徒。
見回りに来た先生に、事情を聞かれ、
「78点取ったから、家に帰れない」
仕方なく話すと、
上手く母親に話してくれた様子で
家に入れてもらうことが出来ました。
今にして思えば、
不良でド派手な母親、機能不全家族
の娘が、頑張っても限度があるって
もんです。笑
母親は、優等生の親という世間の目が
欲しかっただけ。
それでも、成績を上げないと帰る場所
がなくなる…
必死で勉強していました。
そんななか、小学3年のお兄ちゃんは
家庭内暴力が始まっていました。
ある意味、そのほうが子供らしい子供
だと思います。
自分の感情を親にぶつけることが出来
るのですから。
















親が救ってくれない子供達。
けれど、他人は、助けてあげたくても
家族に介入することは出来ない。
当時、遠くから、
悲しげな顔で私を見ている大人の顔を
感じていました。
声をかけるわけでもなく、
でも、心配そうに遠くから見ている。
その時は、不思議だったけれど。
直接 何もすることが出来なくても、
見守ってくれていた大人がいたのだと
今、思います。
たまに、毒母と重なる言動を街中で
見ると、きっと、こんな気持ちだった
のではないだろうか、と。