1995.1.17 AM5:46
当時私はまだ大学生
その時は浜松市で眠りの中でした。
 
ドン!
という衝撃を感じて一度目が覚めたものの
また眠ってしまい
目が覚めてテレビをつけたら
神戸の街から煙が上がる
信じられない光景が映しだされていた。
これが
私が体験した阪神淡路大震災です。
 
ですが
夫の転勤で4年間生活した兵庫県尼崎市では
いろんな被災体験を耳にしました。
 
その中でも一番印象的だったのが
友人の被災体験談。
 
神戸市北区(山の方)に住んでいた彼女
開き扉の食器棚が倒れはしなかったものの
扉が全開
中身は全て飛び出して割れ
残ったのが100均のマグカップひとつだった。
 
たったひとつ残ったのが
なぜ100均のマグカップだったのか・・・
お金をかけて集めた
大好きな食器類は全部割れたのに。
 
と悔しそうに言った彼女の言葉が
とても印象に残りました。
 
 
 
そして私が片付けに本気になった時
彼女の言葉が
モノ選びのぶれない軸を作ってくれました。
 
形あるものはいつか壊れる
地震が起きたらすべてのモノは凶器になる
 
地震が起きた時、モノが原因で
自分や家族がけがをすることもあるなんて…
できるならそんなことは避けたい。
だから
「これでケガをしたのなら仕方ない」
と諦めがつくくらい
大切なもの・好きなもの・よく使うもの
だけで生活しよう。
そう思えないモノは潔く処分しよう。
 
命以上に大切なもモノなどない
 
という基準でモノ選びをしていったら
家の中にあるモノで
どうしても必要なものなんて
とてもとても、少なかったのです。
 
地震が起きる未来のためにモノを減らした結果
今の暮らしが大きく変わりました。
 
掃除がラクになり、家事がラクになり
穏やかに生活できるようになりました。
そして
「モノ減らし以外の片付けも知りたい」
と、整理収納アドバイザーの資格を取得。
その後防災を語るための肩書が欲しくて
防災士の資格を取得。
今に至ります。
 
たくさんの被災体験を聞いた中で
彼女の言葉だけが
なぜこんなに胸に残っていたのか
数年後、片付けの時に思い出したのか
不思議に感じていたのですが
考えてみたらちっとも不思議ではなくて。
 
彼女は私が尼崎を離れてからも
一番マメに連絡をくれる
大切な・大好きな友人なのです。
 
見知らぬ人の体験談ではなく
大好きな友人の体験談だったから
ずっと心に残っていたのでしょうね。
 
 
あれから25年
同じ悲惨な出来事を繰り返さないためにも
過去の事例から学びたい
今できることをやっておきたい
と思うのです。
 
いつかまた、友人に会った時に
あの時、あの話を聞いたから
今の私はこんな風に生活してるよ
と伝えたいのです。