その理由
世間には「下の子だけかわいい症候群」なるものがあるらしい。わが家の場合、1号は2歳を迎えたばかりで、2号は3ヶ月。どちらの方がかわいい……という感覚はないのだけれど、1号のイヤイヤや世話に手間取って「んもう!」となってしまう瞬間が多いのは事実です。かたや2号は平和なもので、お歌のごとくおっぱい飲んでねんねして、抱っこしておんぶしてまた明日。よく寝る平和な赤ちゃんで、日々癒されながらお世話をしている。赤ちゃんってかわいいよねえ。無垢な笑顔、きれいに澄んだ瞳、やわらかな髪。歯がない口は甘い匂いがして、むちむちの手足は撫でがいがあるし、うんちだってヨーグルトみたいな匂いで臭くないし。抱き上げた時の、ずっしりと温かい、しあわせな重さ。……昔のわたしは赤ちゃん(および子ども)にはこれっぽっちも興味をもっていなかった。だがしかし、実際に自分が子どもを持ってみると、赤ちゃんのかわいさ、尊さがよくわかるようになった。1号の赤ちゃん時代はすべてが手探りで、泣いたら是が非でも泣き止ませねば!とにかく抱っこしていなければ!!あれもこれも、ベストな方法で対処するのよ!!!と鼻息荒くしていた。第二子の今、力の入れどころが何となくわかっているので、1号の時よりもリラックスしてお世話できている。そして、この無垢で尊い赤ちゃん時代がいかに早く過ぎ去ってしまうか、よくよく知っているので、いっそう愛しく感じられる――気がする。1号だってすごくすごくすごくかわいかったし、大事にしていたけれど、無我夢中なあまり自分の気持ちをこぼしていたように思う。わたしは自身が第一子の長女です。わたしの母は臆面なく「Y(わたしの弟)がかわいくて」「あの時のYはかわいくて」と口にしていたし、それは今でも変わらない。ふうん弟のことはかわいい、かわいいと言うのに、わたしのことはかわいくないんだ。弟の方がかわいくて大事なんだ。と、ずいぶん傷ついてきた。そしてわたしはいつしか「きょうだいでは下の子の方がかわいいものなのだ」と思い込むようになっていた。同様の立場となって、そうか、弟がかわいいというのは弟自身がかわいいというのもあるけれど、過ぎていく今の尊さを知っているから、いっそうかわいく感じるんだ……と、少し理解が進んだように思う。……悲しいことに、母は文字通り弟の方がかわいかったと知っているのだけど、それはまた別の話。子どもたちの前で、そのことを明言するのはどうなの?というわたしの気持ちも別の話(笑)←笑って傷ついた気持ちをごまかすしかないじゃねえか!――こぼすまいと決意していても、すべては過ぎていってしまうからこそ、今が大事なんだなあ。わたしも画面ばかり見ていないで、かわいい大切な赤ちゃんを抱っこして過ごします。