みなさまこんにちは。
横浜市で手形アート講師をしています
西川ゆうりといいます✨

今回、みなさまに自分のことをもっと知ってもらい
安心してお教室にきていただくために
わたしの紹介、をさせてもらえたらと思います♩




​1989年、誕生





1989年12月21日、

可愛くて元気で沢田研二大好きな母親と

優しくて穏やかな機械好きの父親の間に

第一子として誕生しました。


4000グラム近く大きく生まれた私は

抱っこ抱っこで、なかなか寝ない

甘えん坊な赤ちゃんでした。

(今もとても甘ったれ)


​夢を志した子ども時代



6歳の時に弟が誕生し、私は姉になり、

嬉しくて可愛くて自分の子のように

お世話をしました。


弟はとても控えめな性格でしたが

幼稚園入園した際担任の先生のおかげで

自信をつけはじめ、それを目の当たりにして

幼稚園の先生の凄さを実感...!


又、弟やその周りの子どもたちが

とにかく可愛かった。

そのことから"子どもと関わる仕事をする"と

小学生の時にかたく決意しました!



と同時に

吹奏楽にも夢中になり、

教科書ほっぽりだして楽譜ばっかりみるような

音楽大好きな子どもに成長♩


高学年になる頃にはspeedやモーニング娘。に

なりきって遊ぶ元気な小学生でした。


​吹奏楽に打ち込む11年間


10歳の時に始めた吹奏楽が楽しくて

中学高校短大と11年吹奏楽部を継続。


場所によっては

厳しい縦社会だったこともありましたが

全てがとても良い思い出。


その後苦手だった勉強もなんとか頑張り

晴れて幼稚園教諭、保育士の養成校への

入学が決まって


"子どもに関わる仕事をする"の夢への第一歩を

ふみだしたのでした。


​生きてて一番楽しかった養成校時代


短期大学の幼児教育科はとても厳しく

国家資格や免許取得の道のりは

そう甘くはありませんでしたが、

夢に向かいがんばれることが本当に嬉しくて

授業全てに目を輝かせて楽しみました!


翌年4月からは新人先生として

幼稚園の現場にたてることになりました。


​夢見ていた幼稚園の先生に!だけど..


やっと、長い間夢にみていた幼稚園の先生として

働けることになり

本当に嬉しかった頃でした。


だけどやっぱり現実は厳しく

とにかく全てにおいて自分のいたらなさを感じ

たくさんのご指導をいただいて


最初の3年間は箱ティッシュが何個消費されたんだろう?というくらい

大量に涙を流した期間となりました。


それでもやっぱり続けられたのは

いきいきと伸びていく子どもたちの存在でした。


こどもたちの成長を援助するために、

というのはもちろんですが


この大切な幼少期間に毎日お顔を合わせて

一緒に過ごし

可愛がって、笑って、あそんで


一年が終わる頃には

担任でみさせてもらっている

クラス全員とまるで親友のように

"あの子こんないいところがあるんだよな"って

深く繋がって理解していける


そんなところが、

そんな毎日が、とても楽しくて楽しくて

素晴らしいお仕事だ、

お金をもらってもいいんだろうかと

感じていました。




そんな天職だと思える仕事を手放すことになったのは

6年間お仕事を終えたころ。


当時わたしは結婚をして妊娠出産を

望んでいた時でした。


この頃の私立幼稚園は

産休育休がそこまでメジャーではなかった事と

両立できる自信がなかったので退職をし

地元の保育園でパートをさせてもらうことにしました。


その後パートをはじめて、妊娠、

翌4月にパートを退職した頃わたしは

出産を目前に控えていたのでした。


初めての出産と子育て




予定日をはるかに超えてから陣痛がきて、

絶叫マシーンに乗ったかのような

大騒ぎの中、可愛い長女が無事誕生。


私の初めての

"ママ"としての生活がスタートしました。


私、見事に産後ハイになったんです。

おむつ替えひとつとっても楽しい。

抱っこ紐つけるのが嬉しい。

沐浴が面白い。


毎日が面白くて幸せで楽しくて。

ね、、嫌な予感がしますでしょ、、

安心してください

皆さんの思ったとおりになりますから。



とっても幸せだった新生児期間が

一ヶ月過ぎ、なんだかふと

全てが不安になってきました。


わたし、いつから笑ってないんだろう。

声をだして笑うことがなくなった。


楽しみにしていた遊びの予定や

大好きだった夜の外食、コンサート、

テーマパークにお泊まり、


もう気軽にはできないんだ。


こんな感じで、ママとして

大丈夫なのかな。


うちの子ちゃんと育ってるのかな。


体調は大丈夫なのかな。


発達は平気なのかな。


数えきれない種類の悩みが

大きく膨らんで、

だんだんと気持ちがモヤモヤしていくのを

感じました。


そんな気持ちを誰にも言えず解決できないまま

胸に抱え込みながら、第二子妊娠、出産。


私が二度目の産後と

2歳児の子育てに必死になっている間に

世の中では大変なことが起こっていたんです。


産後入院中に目に入ったテレビのニュース。


"ダイヤモンドプリンセス号が横浜に停船中"


なんのことだろう。


その時は概要をよくわかっておらず

ピンときていませんでした。


数日後、第二子をつれて退院する時

"帰りのタクシーの運転手が

マスクをしていなかった、怖いね"

という会話を家族がしていたのを

はっきり覚えています。


新型コロナウイルス流行の波が

近づいてきていました。


孤立していく第二子産後




次女がうまれて産後一ヶ月たったころ

里帰りを終えて

自宅へ戻ることにしました。


それはすなわち、自宅から出ないこと。

これ以上の助けをかりないこと、を意味しました。


コロナウイルス流行爆発の兆しがあった

当時2020年3月。


なるべく人と会わないように、ということで

実家に住む家族と距離をとり、

都内まで仕事に行っている主人とも

距離をおくようになりました。


その数日後には

緊急事態宣言。


悪い夢でもみているのかと思うほど

世の中の動きについていけずに

何度もうなされてよく眠れない日が続いたこと

昨日のことのように思い出せます。


とにかくこの生後すぐの赤ちゃんを

守らなければ。


いわゆる"ガルガル期"に突入した私は

必死になっていました。


​規制の緩和。それとともに


しばらくすると感染者の人数が減り

コロナウイルスでの制限が

徐々にゆるんできました。


それと同時に実家の家族とも会えるようになりました。


産後すぐから今まで感染をふせぐために

気を張り詰めていた私。


ほっと安心しました。


ですがその時、気持ちが緩んだことで

ものすごい精神的な疲れが自分を襲ってきていたことに

気がついたのです。


そして、なぜか突然毎日が楽しくない

笑えない、でも、コロナのために

戦ってくれている医療者の方がいる。


私はマシな状態なんだから

愚痴なんか言っちゃいけない。

でもすごく毎日が苦しい。


そんなループにはまってしまいました。 

もともと産後のモヤモヤがぬぐえていないまま

第二子の産後に突入、そしてコロナ禍の弊害、、


当時はなぜこんなにも苦しかったのか

あまりわかっていませんでしたが

振り返るとよくわかります。


一週間の予定がなにもない。

誰とも会わない。

会話をしない。

2歳の赤ちゃんがえりイヤイヤ期の長女をなだめながら

0歳次女の授乳。


毎日起きて寝るだけで必死な状態でした。



 自分が行方不明事件


その時に思ったこと。


産前の楽しいことが大好きだった

明るくよく笑う自分が

どこを探しても

完全に、居なかったんです。


消えた、という感覚です。


私がいなくなった!


2年の年月をかけて、完全消失。


そのかわりあらわれた新しい自分は

夜になると眠れない

ネットにかじりついて

子どもに関する検索を繰り返す


娘たちが寝静まった夜が孤独で真っ暗で

ブラックホールのようで

恐怖でしかなく


深夜にやっている子育て相談ダイヤルに

震えながら電話をしたこともあります。


しかも県内が繋がらない時には県外にかけたことも。


わらをもすがる思いだったのかなと思います。


とっても可愛い我が子と楽しく過ごせないこと、

気持ちの余裕がまったくない自分にたいして

大きく失望していたころでした。



​この状況を変えなきゃ


ある時から、公園に長女を連れて行っても

長女が公園で遊びたがらなくなりました。


子どもが"遊びたがらない"というのが

SOSの状態だとなんとなく感じました。


その時です。


私が変わらないといけないんだ。と

はっきり自覚しました。



私は変わるべきだ。

このままじゃ親子がダメになる。


そして2つのことを実行しました。


まずは

"どんな自分でもいい!"と本気で思うこと。


優しくて子どもと楽しい時間を過ごせる

お母さんを目指していたのかもしれないけど

それは無理!と気づくこと。


そもそも産前からそんなおだやかな

優しいタイプじゃなかった。と

ちゃんと気づき、ちゃんと認め、


どんなわたしでもいい。

イライラしても泣いても怒ってもいい。

不安だって心配だって

いくらでも持ってたっていい、

抱えてたっていい。


ママだから我慢しなきゃ

しっかりしなきゃ

子どものために笑顔でいなきゃ?


そんなの関係ない。

ありのままの自分に戻ろう!

そのままの気持ちに素直になろう!と

決心しました。


すると不思議と産前の

なんでも楽しめる自分が少しずつ

戻ってきたのです。


部屋が汚かろうが一日パジャマだろうが

夜ご飯ろくなもの食べていなくても

とにかく笑えるようになりました。



​外に目を向けていくことで


もうひとつ実行したことは


自宅で孤立せずどんどん外に出ていくことに

しました。


わたしはこれが大きな鍵になったように

思います。


頑張らないで♩マイペースに♩

っていくら言ったってどうしても、

頑張らなきゃいけない時もある子育て。


夜ひとりで夜泣きをあやして

耐え抜かなければならない子育ての最中、


外の世界に出た瞬間に

わたしの視野が広がり始めました。


"一人で子育てしているんじゃない"それが分かると

自宅に帰ってから娘たちと閉鎖された

空間にいても元気がわいてきました。


特に、2.3歳のお子さんを育てる

少し先を行く先輩ママたちの存在が

自分の中でなによりも支えになりました。


"今が可愛い時だよね。でも大変なんだよね"

そんな暖かい目で見守ってもらいながら

イベントなどで関わらせていただくと

本当に安心できました。


子育てが楽しめるようになると

子どもが変わってきます。


うまくいかないことも

心から笑えてくる余裕がうまれる。


そんな中あたたかい雰囲気で

ちょっとしたことは笑い飛ばしながら、

子育てができるようになってきたのです。


(ここでひとつ誤解を招きたくないのが

ママが子育てを楽しめていないと

子どもがのびのび育てない、というようなことは

いっさいありえないということです。


それとこれとは別物だと私は考えています。


ママがどんなに落ち込んでいたとしても

子どもは子どもで勝手に明るく育っていきます。

子どもって元気な生き物ですから。


だからそこは心配しなくてok。

ここでは私が明るくなって

子どもたちと笑い合えた喜びが嬉しかったことを

表現しています)


私にとって子どもたちと外にでて

いろんな世界に触れたこと、

楽しみな予定を入れたことで


"あしたが楽しみになった"

これが分岐点になりました。





子どもが幼稚園に入園。私は


時が流れ長女が幼稚園に入園して、

私はふと考えました。


私のように子育てを楽しみきれていない人がいたとして。


もしも楽しみたいと思っていたとして。


何かできることはないだろうか。



その時、ベビーマッサージや

おもちゃインストラクターの資格の勉強を

はじめました。


その中で友人がやっていてみつけた"手形アート"



初めてInstagramでそれを見た時、

とても可愛くて一目惚れしたあの時のことは

今でも忘れません。


それと同時に、我が子たちのことを

ふと思い浮かべたんです。


"あんなに大変だったあの時。

残しておけばよかった。"


等身大の今だけの記録、

残しておけば、、、


楽しい時だけじゃない、

笑えない時もある。

涙が止まらない日もある子育てだけど

どんな時だって私が娘たちと向き合い続けた

その記録。


今の、成長の記録を残しておけば。


今それが手元にあったら

どんな気持ちでそれを見返せたんだろう。



私は残していないのでその気持ちが

分からない。

でもきっと

胸に暖かいものが宿るんだろうな。

そして、


ますます我が子を愛せるんだろうな。


そしてそれを見た成長した我が子たちは

"自分たちが愛されていた"と分かって

心から嬉しい気持ちになって成長していって

くれるんだろうな。


そう思ったんです。



そこから手形アートの勉強をはじめて

ワークショップを開き

たくさんのお客さまと出会わせていただけるように

なりました。




​お客さまが教えてくれたこと。


"今のこの子を、残したかったんです!

だから嬉しいです!"


"一人ではとれなくて、、だから来ました。

ただ作るだけではなくて

お話ができてリフレッシュになりました"


"家で子どもがぐずって大変だったけど

作った作品を見ていたらほっとして。

イライラがなくなりました。"


そんな声をきくと本当に嬉しい気持ちになります。


どの方もみなさん

お子さまの成長を楽しみに待っている。


小さくて可愛い時が一瞬だから

大切にしなきゃ、って知ってる。


子どものために動いている、

親子のために動いている、そんな姿に

愛情を深く感じました。


なかでも

"もっと早く知りたかった。

もっと早くやっていればよかった"


そんな声に、


もっとこれを広めたい、と思うようになって

いったのです。


そんな理由で2022年3月にスタートした

手形アートイベントは、1周年を迎えて

皆様のおかげでたくさんの方に愛される

大切なイベントに成長しました。






​手形アートだけじゃない。


手形アートワークショップを開催していく中で

人と人との出会いがたくさんありました。


手形アートそのものはとても素晴らしいものだし

喜んでいただけているけれど

多分それだけじゃない。


忙しい子育て中のほんのひとときを

こんなにも楽しく過ごせること。


その少しの楽しい時間がどれだけ大切で。


その少しの一歩でどれだけ世界が変わるのか。


それからもう一つ、

"手形アートはお家に持ち帰れる"もの。


わたしもそうであったように

おうちで1人がんばるママの心を

支えられる気がしています。


そして.....

"いま"が過ぎ、少し時がたったころ

あの時の大きさ、小ささ、かわいさを

いとおしく思い返せる

大切なたからものになると感じています。






ぜひこれを読んでくださっているみなさんとも

同じ子育てをする仲間として

いつかどこかで出会いたいなあと願っています。



長くなりましたがここまで読んでくださったみなさん

ありがとうございました。


子育ては楽しい時ばかりじゃない。


どちらかというと地味ィで

退屈な瞬間もあるし


ボサボサ頭で一人、朝から

おしっこがもれたロンパースを洗う姿は

正直誰にも見られたくないような姿。


でもどんな瞬間だって

"今を大切にすること。"

それが手形アートの真髄であるなと感じます。


そして楽しい時ばかりじゃないからこそ

楽しいエッセンスを加えてみませんか。


眠い目をこすって授乳中

薄明かりが照らすお家の中に

我が子の成長記録が飾ってあったら。

それが目に入ったら。


少しだけ

少しだけだけどその瞬間が嬉しいものになる。


そんなことの積み重ねで

子育てに一緒に彩りをプラスしていきませんか?