久しぶりにエゴネタです(笑)
エゴというのは時として、自分でもコントロールしきれないくらい肥大化してしまう性質を持っています。
常に魔物のように肥大化している状態が永続している事は考えにくく、我欲の隙間で小さく生息しながら肥大化する機会を待っています。
そして、タイミングが巡ってきた時に、凄い勢いで肥大化していきます。
エゴが肥大化している状態の時、他人にはその状態はよく伝わるものですが、自分自身は気が付きにくいものです。
なので、「エゴが肥大化してしまっていると思う人に遭遇した時の対処法」と「自分自身のエゴの肥大化を防ぐ方法」の二つをここに書いておきます。
この分野に関して、何よりの教材となるのが「千と千尋の神隠し」です。
これは現代社会に蔓延る我欲の顕在化をファンタジーという世界観の中で極めて的確に描いてくださっていると私は思います。
ということで、今日は千と千尋の神隠しを使って説明していきます。
エゴは「カオナシ」とよく似ています。
普段はいるのかいないのか分からないくらい影の薄い存在です。
しかし、
いつも誰かに反応されるのを待っています。
寂しくて寂しくてしかたのない存在です。
そして、いつも寂しさから逃れるきっかけを待っています。
その寂しさから逃れるきっかけが、エゴの肥大化と結びつくのですが、その多くは他人の我欲と呼応することで寂しさから逃れようとし、またそこからエゴの肥大化が始まります。
そして、我欲の餌になるものを得た瞬間からエゴの欲求が始まります。
不思議なもので、我欲の餌となるものを一口食べてしまった瞬間から、「もっと、もっと」と、えげつない欲求が心の底から湧いてくるようになります。
心が「もっともっと」と叫んだ時には、既に自身でエゴをコントロールするが難しい状態に陥っています。
「もっともっと」と叫ぶのは、満たされないからです。
エゴは常に一時的にしか満たされません。エゴが前に出るから満たされないのです。
だから、どうしても「もっと、もっと」と欲求が増えていってしまいます。
そして、
虚像のものを武器にして、様々な我欲からエネルギーを吸い取る行為が始まります。
そして
互いのエゴが喜ぶ音に心奪われて、一緒に踊りだす人たちが増えていくことで、そのエゴは一気に巨大化し始めます。
そして行動はどんどんエスカレートしていくのですが、
食べても食べても満たされない、空虚な地獄を味わいます。
だから、制限のないエゴの肥大化が続いていきます。
そして気がつけば、エゴに乗っ取られた魔物のように存在が変化していきます。
その時に気がついても時すでに遅し。
周囲はその状況に「手をつけられない。」と嘆き始めます。
互いのエゴを満足し合っていた関係も忘れて。
相手を魔物だと罵り、敬遠し始めます。
最初から反応しなければ、何も起こらずに済んだこともすっかり忘れて、相手の狂気を敬遠するようになります。
そんな時どうすればいいでしょう。
千尋はとてもいい働きをしました。
①相手のエゴに反応しない。
②にがり玉を投げて逃げる。(事実や真意や真理を言い放ち、逃げる)
日常生活の場合、この時に大事なのは、相手の波動に自分の意識を合わせない事です。
以前、「自分の波動を守る法」という内容でお伝えしたことがあるのですが、波動の低い人の意識に自分を合わせると自分自身も波動が低くなります。
相手を助けようと向き合えば向き合うほど、実は自分の波動が低くなっていくので、元々は俯瞰できていたはずの物事がさっぱり俯瞰できず感情が先だつようになり、自分の言ってることも支離滅裂になっていくことはよくある事です。
気がつけば、言ってる側も言われている側も結局同じ穴の狢に陥っている事が多いわけです。
なので、言う側に立つ人は一度その場を離れ、自分自身の波動状況を高め、見直す必要があります。
すれば、見える視野は急激に増え、感情的になっていた自分の理由すら分からないようになります。
相手のエゴが肥大化を辿っていれば辿っているほど、言いたいことが溢れるかもしれません。
しかし、自分の気持ちが「言いたい」我欲に溢れている時、実は、あなたもまだ踊っている最中です。
だから、そういう時に反応するのは、互いのエゴに反応しているだけの事になるので、互いのエゴを肥大化させている行為になっているのをどうか深く覚えていてほしいと思います。
そういう時は、何もしない事が一番です。
話は、
ここの場面に戻ります。
にがり玉を投げ込んだらどうしたらいいでしょうか。
答えは
「逃げる。」
それだけです。
つまりは、反応しないという事です。
どんなに相手が追っかけてきても、
向かい合わず逃げてください。
千尋のように。
いずれ、時間が経過すれば、肥大化はなかったかのように収まり、
静かに一緒に電車に乗ることも可能です。
そして、適切な場所に導いてあげれば、
エゴは肥大化するきっかけすら見つけられず、本来の良さを発揮し直します。
エゴの肥大化のきっかけの多くは、「寂しい」から始まります。
心が満たされずに泣いており、それを埋める何かを探す行為から始まり、それが適切な反応ではなく、我欲を満たす側の反応に応じてしまうことで、エゴが肥大化していくだけの事です。
そして、自分のエゴを肥大化させず生活していく為の心得は二つあります。
一つ目は、自分の我欲を見極め、我欲の糧になりそうなものには、反応しないこと。
餌を出されても、
餌を出されても、
反応しないこと。
反応を防ぐためには、
自分の名をしっかり覚えておくこと。これが二つ目。
肩書きや役割などで、本来の自分の名前を失ってしまわないこと。
普段の生活ではそうみせないようにしながらも、
絶対に、絶対に覚えておくこと。
あなたの名前にはあなたが生まれてきた意味が書かれているはずです。
自分の名に忠実に生きれば、我欲に反応できなくなっていきます。
エゴというのは時として、自分でもコントロールしきれないくらい肥大化してしまう性質を持っています。
常に魔物のように肥大化している状態が永続している事は考えにくく、我欲の隙間で小さく生息しながら肥大化する機会を待っています。
そして、タイミングが巡ってきた時に、凄い勢いで肥大化していきます。
エゴが肥大化している状態の時、他人にはその状態はよく伝わるものですが、自分自身は気が付きにくいものです。
なので、「エゴが肥大化してしまっていると思う人に遭遇した時の対処法」と「自分自身のエゴの肥大化を防ぐ方法」の二つをここに書いておきます。
この分野に関して、何よりの教材となるのが「千と千尋の神隠し」です。
これは現代社会に蔓延る我欲の顕在化をファンタジーという世界観の中で極めて的確に描いてくださっていると私は思います。
ということで、今日は千と千尋の神隠しを使って説明していきます。
エゴは「カオナシ」とよく似ています。
普段はいるのかいないのか分からないくらい影の薄い存在です。
しかし、
いつも誰かに反応されるのを待っています。
寂しくて寂しくてしかたのない存在です。
そして、いつも寂しさから逃れるきっかけを待っています。
その寂しさから逃れるきっかけが、エゴの肥大化と結びつくのですが、その多くは他人の我欲と呼応することで寂しさから逃れようとし、またそこからエゴの肥大化が始まります。
そして、我欲の餌になるものを得た瞬間からエゴの欲求が始まります。
不思議なもので、我欲の餌となるものを一口食べてしまった瞬間から、「もっと、もっと」と、えげつない欲求が心の底から湧いてくるようになります。
心が「もっともっと」と叫んだ時には、既に自身でエゴをコントロールするが難しい状態に陥っています。
「もっともっと」と叫ぶのは、満たされないからです。
エゴは常に一時的にしか満たされません。エゴが前に出るから満たされないのです。
だから、どうしても「もっと、もっと」と欲求が増えていってしまいます。
そして、
虚像のものを武器にして、様々な我欲からエネルギーを吸い取る行為が始まります。
そして
互いのエゴが喜ぶ音に心奪われて、一緒に踊りだす人たちが増えていくことで、そのエゴは一気に巨大化し始めます。
そして行動はどんどんエスカレートしていくのですが、
食べても食べても満たされない、空虚な地獄を味わいます。
だから、制限のないエゴの肥大化が続いていきます。
そして気がつけば、エゴに乗っ取られた魔物のように存在が変化していきます。
その時に気がついても時すでに遅し。
周囲はその状況に「手をつけられない。」と嘆き始めます。
互いのエゴを満足し合っていた関係も忘れて。
相手を魔物だと罵り、敬遠し始めます。
最初から反応しなければ、何も起こらずに済んだこともすっかり忘れて、相手の狂気を敬遠するようになります。
そんな時どうすればいいでしょう。
千尋はとてもいい働きをしました。
①相手のエゴに反応しない。
②にがり玉を投げて逃げる。(事実や真意や真理を言い放ち、逃げる)
日常生活の場合、この時に大事なのは、相手の波動に自分の意識を合わせない事です。
以前、「自分の波動を守る法」という内容でお伝えしたことがあるのですが、波動の低い人の意識に自分を合わせると自分自身も波動が低くなります。
相手を助けようと向き合えば向き合うほど、実は自分の波動が低くなっていくので、元々は俯瞰できていたはずの物事がさっぱり俯瞰できず感情が先だつようになり、自分の言ってることも支離滅裂になっていくことはよくある事です。
気がつけば、言ってる側も言われている側も結局同じ穴の狢に陥っている事が多いわけです。
なので、言う側に立つ人は一度その場を離れ、自分自身の波動状況を高め、見直す必要があります。
すれば、見える視野は急激に増え、感情的になっていた自分の理由すら分からないようになります。
相手のエゴが肥大化を辿っていれば辿っているほど、言いたいことが溢れるかもしれません。
しかし、自分の気持ちが「言いたい」我欲に溢れている時、実は、あなたもまだ踊っている最中です。
だから、そういう時に反応するのは、互いのエゴに反応しているだけの事になるので、互いのエゴを肥大化させている行為になっているのをどうか深く覚えていてほしいと思います。
そういう時は、何もしない事が一番です。
話は、
ここの場面に戻ります。
にがり玉を投げ込んだらどうしたらいいでしょうか。
答えは
「逃げる。」
それだけです。
つまりは、反応しないという事です。
どんなに相手が追っかけてきても、
向かい合わず逃げてください。
千尋のように。
いずれ、時間が経過すれば、肥大化はなかったかのように収まり、
静かに一緒に電車に乗ることも可能です。
そして、適切な場所に導いてあげれば、
エゴは肥大化するきっかけすら見つけられず、本来の良さを発揮し直します。
エゴの肥大化のきっかけの多くは、「寂しい」から始まります。
心が満たされずに泣いており、それを埋める何かを探す行為から始まり、それが適切な反応ではなく、我欲を満たす側の反応に応じてしまうことで、エゴが肥大化していくだけの事です。
そして、自分のエゴを肥大化させず生活していく為の心得は二つあります。
一つ目は、自分の我欲を見極め、我欲の糧になりそうなものには、反応しないこと。
餌を出されても、
餌を出されても、
反応しないこと。
反応を防ぐためには、
自分の名をしっかり覚えておくこと。これが二つ目。
肩書きや役割などで、本来の自分の名前を失ってしまわないこと。
普段の生活ではそうみせないようにしながらも、
絶対に、絶対に覚えておくこと。
あなたの名前にはあなたが生まれてきた意味が書かれているはずです。
自分の名に忠実に生きれば、我欲に反応できなくなっていきます。