自称プレアデスのメッセンジャーという事で、本を書いたり、セミナーを行ったりされている方がいらっしゃいます。

ブログを拝見した所、私が苦手な所謂スピ系(真理は知ってるのに、現実世界にそれを落とし込む事が出来ないタイプ)だった故、「この人どうなんだろう?」と言う気持ちが沸きました。

ただ、私の友人がその方と一緒にセミナーを開く機会があったので、一度だけその方の講演を聞いてみたのですが、「真理は分かってるのに、実は自分の現実世界にその真理を落とし込めないんだなぁ」と思う所は変わらぬまま、「こういう感じが一番厄介なんだよなぁぁぁ」って言う自分なりの課題めいたものが生まれてしまったまま今に至っております。

その人を揶揄した記事を一度書いたことがあります。
人の内面は外見に滲み出る。

その方は自分の事をどう見ているのか分かりませんが、正直ダサイです。
スピ系あるあるなのですが、こういう見えない世界に没頭しない限り、友達も出来ないんだろうなぁぁと、推察してしまう雰囲気が漂ってます。

目の前にある事に真摯に取り組む事をしてこなかったんだろうなぁ。と、随分年下の私が思ってしまうくらい、人生経験が乏しいというよりも、大事な踏ん張り所を避けて通ってきた様子を感じ取りました。

そんな彼女が、自分の生き方について赤裸々にブログに記載してくれました。
それが丁度、私がずっとスピ系に抱いてた「何故真理が分かってるのに、そうしちゃうかな?」という疑念の解決がロジック的に解説出来るいい題材でした。
記事の末尾に「何か参考になればと思います。」と記載してくれていたので、彼女の言葉を引用しながら、私の中にある「どうして?」に一人ツッコミ入れて行きたいと思います。

※青文字は彼女の言葉
※黒文字は私のツッコミです。



まず最初に気になるのは、

学生時代のほうが幸せだったかもしれない?から始まるタイトルと、学生時代は、少しアルバイトをするくらいで、ほとんどの時間自分の好きなことに費やせた気がします。とか、学生時代のように楽しく生きていれば、もっと良い人生が送れたと思います。今更ですが、もっと早く宇宙の法則に気づき、自分の人生を取り戻していれば、もっと楽しい人生が送れたと思います。
とかの部分。

本文では冒頭から、彼女の学生時代の話が延々と続くのですが、とても楽しそうとは思えないのは何故でしょう。
まぁ、それぞれ楽しい事は違うのだから、それは深堀しないでおいたとして、宇宙真理を知っており、またそれをセミナーで人に伝授している立場の彼女に対し、猛烈にツッコミたいのは、

学生時代のように楽しく生きていれば、もっと良い人生が送れたと思います。今更ですが、もっと早く宇宙の法則に気づき、自分の人生を取り戻していれば、もっと楽しい人生が送れたと思います。


という部分です。

ここからは、「後悔」という二文字がどうしても浮かび上がります。
学生生活終了後、彼女の人生は納得出来ないもので、それは未だに心の解決が至っていない現状を思い浮かばせます。
彼女が認識する社会とはこういうものらしいです。


でも社会にでるとそういう訳にはいきませんので、あまりまともに続いた仕事はありません。

それよりも「私はどうして仕事をしているんだろう」と言う疑問ばかり湧いてきました。

結局生きるための手段としての仕事しか無く、全く楽しいといいものではありませんでした。

だから社会に出て絶望しました。

「よくみんな文句も言わずに働いているなぁ」と不思議なくらいです。

そして忘年会だの、新年会だの、慰安旅行だの、花見だの、もううんざりでした。

仕事以外に自分の時間を取られることに腹が立ち、そして飲みたくもないお酒を進められることが嫌で、そもそも周りの機嫌取り事態が大嫌いな性分なので、「あほらしい!」の一言でした。

私のような性格の人間は、3次元物質社会には適さないのかもしれません。



このくだりを読んだ時に、「あぁ、やっぱり。」と思いました。
これが、私が所謂スピ系の人を苦手だなと思う、「目の前の現実と向き合わない」という現状の露呈です。

結局全ての選択は、自分がしている事。
全ては自分自身の責任です。
それを実感出来ているのであれば、過去を遡った時でも、自分という存在とその現実に反省の意が生まれてくるものじゃないのかなぁと思うのです。

彼女はセミナーで「出したものが返ってくる。」という事をしきりに訴えています。
そうであれば、その彼女の言う面白くない社会人生活もあなたが出して返ってきたものに過ぎないのにと単純に思うのですが、、、。

これまたスピ系あるあるで、自分に不都合な現状は、世間とか所謂世の常識への批判にすり変わります。

そして、もう一つツッコミたいのは、彼女は「仕事」=「生活の手段に過ぎない」という貧困な発想しか持ち合わせておらず、目の前にある仕事に対し、真摯に向き合ってこなかったんだろうなぁという事実です。

確かに私も新幹線でカタカタパソコンを鳴らし、忙しなく働いてるビジネスマンを目撃する度に、「あぁ可哀想だなぁ。」と思うようになりました。

でも、あんな風に働いていた自分の時間を無駄だったと思うことは一度もありません。

どんな環境でもどんな仕事でも、真摯に向き合い一生懸命にやる事で、学び得る事は沢山あるし、そのおかげで今の私があると、心から感謝出来るのです。

私だって、決して自分のやりたい事ばかりを仕事にしてきた訳ではなく、年齢が上がるに連れ、「やりたくない事」が「私の仕事」に変わっていきました。

だいたい、みんなのやりたくない事が私に回ってくるみたいな部分もありました。
でも、それをやり通した結果、全部やって良かったなぁに変わりました。

やりたくなかったあれもこれも、それでも受け止めて一生懸命やった事で、身に付いた知識、経験が沢山あるのです。

それは、私自身で選ぶ枠組の中では、絶対に行動の範疇に現れないものばかりなので、辛い経験も多かったけど、それがあったからこそ、私の器は大きく広がる事ができました。
また、あの時は「どうして私がこんな事?」と思うような仕事も、今思い返せば、その仕事こそがアセンションをする上でとても重要な知識であり、経験だったりしました。
だからこそ、私にそのような仕事と課題を与えてくれた上司や会社には感謝、感謝です。

それに、彼女の言葉を見ていると、仕事だけでなく、その会社での人間関係もかなり希薄だったんだろうなぁと思います。

楽しくするかしないかは、自分次第で出来ます。
せっかく生きているのに、自分の時間を楽しくしようとする努力もせずに、愚痴を並べている彼女が「宇宙真理」を人に教えている現実にかなりの違和感を感じます。

「出したものが返ってくる」事をその時は知らなかったのかもしれないけど、大体の人は、なんとなくやってるものです。
所謂コミュニケーション上手で、自然と友達が集まってくるタイプの人は、「出したものが返ってくる」を実践していて、不思議とその周りは楽しくなるものなのですけど、、。

彼女は、三次元物質社会に適さないと自分で判断してますが、果たしてそうでしょうか。

人はみな、自分の生まれる環境を選んで生まれてくると言います。
そして、そこと向き合う事で学び、進化するのではないでしょうか。

三次元物質社会に適さないのに、何故彼女はわざわざ三次元に生まれたのでしょう、自分で選んだはずなのに、本当に自分の使命は果たしてるんでしょうか。

私は、単純に彼女は彼女の課題を乗り越えていないだけにしか見えません。
そのトラウマに似た鬱積した感情をスピリチュアルという精神世界に求めているように見えて仕方ありません。

私がいつもスピリチュアルに没頭している方に疑念を抱くのはここの部分です。
自分の好き嫌いの多くや良し悪しの多くは、後天性の情報や常識に因果している事が多いです。
また、自我を強くする為の教育を受けてきた私たちは、大我との結びつきも甘い故、自分も含め多くの人が語る「好き」とは、「エゴ中心に見えている世界の上での好き」が多いように思います。
だから、それだけでは、自分の器の広がりに制限が生まれるように思います。
どんなに好きな事をしていても、それに没頭している過程の中で、人は皆苦労や苦難に見舞われる事があります。
私は彼女のセミナーを受けてひしひしと感じたのですが、彼女が「好き」という今の仕事も素人のお遊びにしか見えなかったです。
真摯な部分は見つけられませんでした。
彼女は「自分の好き」に忠実な、器の小さい排他主義に映りました。
彼女の説法には調和もなければ、高い視点の愛も垣間見る事も出来ないのですが、それでも彼女は「宇宙真理」を語り、「愛」を語ります。

私は、やっぱりまずは受け止める事だと思うのです。
目の前にある事は、自分が生み出した縁起です。

自分の都合に合わない事を否定したり、やっかみしたりしながら、「自分の好きなことをしてワクワクしましょう!」というのは、「なんだか違うんだよな。」って、やっぱり思います。

どんな事でも真摯に向き合う事で、開ける扉があります。
その扉を開けた時、自分の器が大きく広がり、達観したり、俯瞰したり出来るようになり、大きな視点で愛というものが分かってくると思うのです。

それ以外の方法があるのかもしれません。
彼女は違う方法で、その扉を開いてるのかもしれません。

でも、もし本当に彼女が「宇宙真理」が分かって、体得しているのであれば、過去の自分を振り返って、こういう文章にはならないんじゃないかなぁと思います。


彼女は、世間や親戚から「ダメ人間」というレッテルを貼られ、また自分からも「あなたこそ可哀想なダメ人間」というレッテルを貼り返しているそうです。

また彼女は現在の自分を「自分が好きなことをしていることが素晴らしいと思います。」と結論付けながら、それが分からない人を「可哀想なダメ人間」と認識していますが、この行為こそが、排他主義の最たるもので、彼女がセミナーで訴えている「調和」とは大きくずれているような気がします。

よくスピリチュアルに没頭している人は、その世界を知らない人を卑下したり、馬鹿にしたりする様子を目にします。

でも、スピリチュアルに生きて「宇宙真理」を会得しているのであれば、全ては自分の因果で起こっているもので、少なくとも「ダメ人間」の貼り返し作業は、彼女自ら率先して行っていると思えるのですが、、、。

彼女は、そこに快適さを覚えているのかもしれないけれど、彼女の周囲で巻き起こる不愉快な現実の連続に、彼女の宇宙真理学に対して疑念を沸かざる負えません。

そして、やっぱり目に前に現れる現実としっかり向き合っていくこと、そこを楽しんでいく技術を身につけていく事、調和を保つ努力をしていく事が大事なんだなぁと、確信していくに至っております。

という訳で、私が所謂スピ系が苦手だと思う部分はこういう所でした。