いつも愚痴ばかり書いてすみません。
いい歳したBBAがくだらない愚痴を公衆に晒して、恥ずかしいことだと思う。
それでもブログに書くのは、吐きしてスッキリするのと、文章にすることで自分を客観視して少し冷静になれるから。
また、下書きではなくあえて公開しているのは、誰かが読んでくれることで愚痴を聞いてもらっている気持ちになれるから。
夫がいた時は愚痴を聞いてもらって、アドバイスをもらったり時には叱責されたりして、それで悶々とした気持ちを解消できていた。
しかし今はそういう存在がおらず、一人で悶々としてネガティブな感情を溜め込んで膨らんでしまいがちだ。
夫に愚痴を聞いてもらって客観的な意見をもらう代わりに、今はブログに吐き出して、ちょっと冷静に客観的に自分を見ることで気持ちを整理している。
ただ、夫をうしなってみて、夫とは関係のない自分自身の何でもいいから拠り所となるものを作っておけばよかったと改めて感じた。
私はもともと何の取り柄もない人間だったが、夫と結婚してから夫に寄りかかって生きてきて、夫と一緒だから自分は何もなくてもいいやって思ってきた。
しかし夫がいなくなり、自分には何もないことに改めて気づき、生きていく意味を見出せなくなってしまった。
気晴らしに何かしようにも、今まで何をするにも夫と一緒だったから、一人でできることがほとんどないことがわかった。
一人で食べるご飯は美味しくないし、一人で聴いたり観たりする音楽や映画・ドラマも楽しくない。
没頭できる趣味もなかった。
仕事に生きがいを見出そうにも、普通の事務員だったから特別な能力もなくやりがいがあるわけでもなかった。
子供もいないしペットも飼ってないし、誰かのために頑張って生きようというものがなかった。
夫がいなくなって、あまりにも生きるモチベーションとなるものがなくて、私は途方に暮れた。
せめて誰かの役に立てないかと、長年勤めた会社を辞めて、自分の辛い経験を活かしてできそうなことを模索してきたが、うまくいかなくて行き詰まってしまった。
この先、何を拠り所に生きていけばいいのだろう?
何か趣味を見つけようかとも考えた。
でも趣味って、すぐにできるものもあるけど、例えば何か作るのでもスポーツするとかでも、楽しめるようになるためには練習したり準備が必要なものもあり、そこまでしてやりたいと思うものが見つからない。
仕事でも趣味でも、あるいはボランティア活動や学びなおしなど、新たなチャレンジをしているシニアはたくさんいる。
でも私の場合、何をやっても不器用で人並みにできるようになるまで時間がかかり、そこまでして継続しようという意思を持続できる自信もない。
何か一つでも私はこれができるものを持っておけばよかったと、今さら後悔している。
今は継続してやっていなくても、ふと気晴らしに何かをやろうとした時、例えば車を運転したい、ピアノを弾いてみたい、テニスをしたいと思ったら、やったことのある人であればすぐできるが、やったことのない人は急にはできない。
でも、そんな形式的なことではなく、そもそも私はアイデンティティーもなく空っぽなままこの歳まで生きてきた浅い人間なんだということを改めて痛感した。
夫がいたから満たされていると思っていた私という器は、実は空っぽなんだということに気づいた。
この先も何かで満たされることがないまま、空っぽな人間のまま生き続けていくのだろうか。
もう若くないし、別に空っぽでもいいのかもしれない。
でも、空っぽということは、悪いもので埋め尽くされてしまう危険性があり、他人にまで害を及ぼす可能性もあるということだ。
そうならないためには、やはり何でもいいから心を満たすものが見つかるといいなと思う。
前のブログに書いたが、今は仕事のストレスが体調にも影響を及ぼしてしまっている状況なので、今は無理せず心身を休めてエネルギーを蓄えようと思う。
そして少し元気になったら、何か心を満たすものを探してみよう。