今月は私の誕生月だ。
歳を重ねるにつれ誕生日を喜べなくなっていたが、夫がいた時はサプライズでプレゼントをくれたりして、何だかんだ言って楽しかったな。
そんな楽しい思い出があるから、今は誕生日を一人で迎えることが苦痛でしかない。
しかも、今年はとうとう夫の最後の年齢に追いついてしまった。
私にとって夫は、年上の頼れる存在だったのに。
先週は仕事が休みの日があったので、お墓参りに行った。
納骨堂の参拝ブースで手を合わせた後、モニターに映し出された夫の写真をみつめた。
夫はもっともっと生きたかったであろうに、なんでこんなに早く行ってしまったのだろう。
そして、私なんかが、なんで生きてるのかな。
夫の最後の歳に追いついてしまい(私の中では、夫はいまでも歳を重ねていると思っているけど)、さらにその歳を超えても、私は生き続けるのだろうか。
夫の最後の歳を超えるほど生きたくないと思う。
しかし一方で、夫と同じ歳になった私の身にも何かが起こるのではないか?と恐れている。
実は最近、ちょっと気になる体調の変化があり、念のためクリニックへ行った。
検査の結果、特に異常はないとのことだった。
それを聞いて、ホッとした反面、夫はどんなに辛かっただろうと思った。
夫が体調が悪くなって病院に行き、膵臓癌だと言われたのが、6年前のこの時期だった。
病気がわかってから夫が去るまでの約1年3か月は、夫は生きていたけれど、今でも思い返すのが辛い。
夫がいなくなってからも辛かったけど、夫の闘病中の記憶の方が私の心を締め付けている。
「私は自分のことばかり考えていて、何でもっと夫に寄り添ってあげられなかったのか」という、夫に対する罪悪感がある。
あの頃の私は、夫の命が長くないことを感じ、でもそれを認めるのが怖くて、現実を直視しようとしていなかった。
夫の方が怖かっただろうに、私は自分のことしか考えていなかった。
だんだん弱っていく夫の姿を見るのが怖くて、夫をちゃんと支えてあげられなかった。
夫がいなくなってしまったら、一人でどう生きていけばいいんだろうと思うと、怖くてたまらなかった。
しかし、夫がいなくなり、一人で生きていくことがイメージできないと思っていたのに、ちょっと違和感があっただけで医者に診てもらっている自分がいる。
私は何がしたいのだろう。
生きていることに意味が見いだせなくなることがある一方で、死ぬことが怖くなることもある。
でも色々考えても仕方がないのかもしれない。
どうせ人生なんて、自分の思い通りにいかないことばかりなのだから。