夫をうしなって心残りはいくつもあるが、そのうちの一つが、動く夫の姿を動画に記録しておかなかったこと。
私自身は、自分の容姿にも声にも自信がなかったため、写真や動画を撮られるのがあまり好きではなかった。
それでも、夫と結婚してからは色々な場所に旅行して、夫とお互いの写真を撮りあった。
ただ、動画は撮っていなかった。
子供もおらず、いい年した夫婦同士で動画を撮るのが恥ずかしかったのもあるし、私が昔から動画を撮られるのを避けて来たため、逆に私が誰かの動画を撮るという習慣もなかった。
今になって、夫の動画を撮っておけば良かったと後悔している。
でも、先日、夫の遺骨を預けた納骨堂で映すための写真をピックアップするため、パソコンの写真フォルダを開いたら、夫が撮影した動画があった。
その動画は、いつの間に撮ったのか、旅先で夫が私を映したものだった。
そして動画には、夫の姿は映っていないが、私に話しかける夫の声も収められていた。
久しぶりに聞く夫の声。
それを見て、涙が出た。
夫が撮影した私は、自分で言うのも何だが、屈託のない笑顔でいい表情をしていて、弾んだ声で話していた。
私ももっと夫の動く姿や声を動画に残しておけば良かったと、後悔もある。
でも、それより、こんな私の動画を嬉しそうに撮ってくれていた夫が愛おしくてたまらなくなった。
その動画には夫は映っていないけれど、夫の私への愛情が感じられた。
仲の良い夫婦だったとは思うけど、夫が私に関する不平不満を漏らすことも多々あった。
それでも夫は誰に対しても優しいから、私に対しても他の人と同じように優しくしてくれただけで、本当は夫はそれほど私のことを愛していた訳ではなかったのかな?と淋しくなったこともある。
でも、夫が映した私の動画を見て、夫が私のことを愛しんでくれていたのが伝わってきた。
あなたが私のことを愛してくれていたのだと信じていいのかな?
あなたを映した動画はほとんど残っていないけど、あなたが撮ってくれた私の写真や動画は、あなたと私が一緒に生きた証であり、宝物だよ。
東京では今の時期にお盆の法要を行う家もある。
私の家でも、ささやかながら、お盆のお供えをした(年々手抜きになっているが)。
でも、お盆が過ぎても、夫は私のことを見守ってくれていると思っている。
夫が残した動画のように、今でも私のことを笑いながら見ていてくれているのかな。