今日は夫の誕生日。
もし夫が今も健在だったなら、仕事帰りに待ち合わせして、二人でキャッキャキャッキャ言いながら美味しいものを食べて飲んでいたんだろうな。
そう思うと淋しくはなるが、前ほど心が動くことがなくなってきた。
それは悲しみに慣れてしまったからなのか。
悲しみを抱えつつも、そこから気を逸らすことができるようになったからなのかもしれない。
悲しみがなくなった訳ではない。
悲しみを忘れた訳でも、乗り越えた訳でもない。
ただ、悲しみを誤魔化す術を身につけただけなのだと思う。
そしてこれからも、ごまかしごまかし生きていくしかないんだろうな。
心にできた穴はいつまでも埋まることはない。
常にその穴に氷が入っていて、心が凍りついてしまっているように感じるが、表向きは何もないかのように蓋で覆って見えないようにしている。
でも、最近、ブロ友さんとお会いする機会があり、お話ししていたら心の中の氷が溶けて暖かい気持ちになった。
私達はこれからも悲しみを抱えて生きていくしかない。
けれど、一人ではなく、同じ経験をされた方々と気持ちを共有することで、悲しみを愛しいという尊い気持ちに変換できるのかな。
ちなみに今読んでいる本があるのだが、そこにはこう書かれている。
「かつて日本人は、『かなし』を、『悲し』とだけでなく、『愛し』あるいは『美し』とすら書いて『かなし』と読んだ。
悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである。」
(若松英輔「悲しみの秘義」より)
作者の若松英輔さんは、ご自身も奥様を亡くされている。
大切な人との永遠の別れによる悲しみを尊いものに昇華させる文章は、凍り切っていたと思っていた私の心にどんどん染み込んでいった。
私もいつか「悲しみ」を、「愛しみ」や「美しみ」という尊いものに変換できるようになれることを願う。
今日はあなたの生まれた日。
あなたを愛しく思う気持ちを抱きしめるように、二人で祝おう。

