前のブログでネガティブなことを書いてしまいましたが、皆さまから温かいお言葉をかけていただき、救われました。ありがとうございました。
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前のブログで全然前に進めてない、周りからどんどん置いていかれると書いた。
前のブログだけでなく、何回も同じようなことを書いてきた。
夫がいた時も自信はなかったが、夫がいなくなってますます自信を失っていった。
私は夫がいないと何もできない人間なんだと思い、そんな自分がみじめで情けなくて嫌になった。
でも、皆さまからコメントをいただき、私は前に進めなくても何もできなくても、生きているだけで十分頑張っているんだと思うことができた。
そして、頑張ってる自分を労うにとどまらず、もっと自分を誇りに思っていいのでは?という気がしてきた。
最愛の夫を見送っただけでなく、その後のあらゆる手続きとか人生の転機とか、本来なら夫と共に向き合ったであろうことに、一人で向き合ってきたのだから。
夫婦はいつかは片方が先立つが、単純計算でいえば半分の人は先立つ側になり、半分の人は見送る側になることになる。
どちらになるかは50%の確率だが、私は先立つ側になりたかった。
夫に見送られて死にたかった。
夫も同じことを考えていて、まだ元気な頃からしょっちゅう「俺より先に死なないでね。俺を看取ってね」と言っていた。
うちは夫の方が年上だったし、男女の平均寿命を考えても、夫婦で長生きしたとしても私が見送る側になる確率は高かったかも知れない。
それに、女性に比べて男性の方が妻に看取られて死にたいという願望が強い気がする。
そりゃ、一人で死ぬより、伴侶に看取られて死ぬ方がいいよね。
そういう意味では、私は夫の望みどおり、夫を看取った。
振り返ると、夫の病気が発覚してから、泣きそうになりながら一人で夫を支え、一人で夫を看取り、一人で葬儀を執り行い、一人であらゆる手続きをした。
今までは夫に任せていたり夫と協力してやっていたことも自分一人でやった。
もちろん周囲の助けもあったけれど、自分で考えて自分で行動した。
私、これだけでも強い人間だと誇りに思っていいんじゃない?
夫婦の半数は同じ経験をするのだから、誰しも経験しうる当たり前のことと思う人もいるかもしれない。
見送る方も辛いけど、先立つ方も辛いだろうと言う人もいるだろう。
同じような状況に置かれたら誰でもやらざるを得ないことかもしれない。
でも、私の夫はもし私が先立っていたら、私と同じことができただろうか?と思う。
あんなに辛い経験を一人で耐え、一人で生き抜いている自分は、他のことはできなくても、前に進めなくても、誇りに思っていいのでは。
少なくとも、夫に見送る側の辛い思いをさせなかったことだけでも、自分を誇りに思う。
私は夫をうしなってから、周りの人達から淋しい人だと憐れみ見下されているのでは?と思い込み、自分で自分をみじめな人間に仕立て上げていたのかもしれない。
悪いことをしたわけではないのに、どこへ行っても申し訳なさそうに振る舞い、身を屈めていた。
でも、もっと胸を張っていいんじゃない?
それどころか、「私は夫に先立たれても一人で生きてて強い人間なんだ!」と拡声器で主張したいくらいだが、同じ経験をしたことのない人に言ってもドン引きされそうだから言わない。
でも、ここでは言いたい。
私たち、もっと自分を誇りに思っていいよね!