今日は秋分の日。
東京は朝は小雨が降っていたが涼しく、やっと秋らしくなった。
お彼岸だというのに何もしていなかったので、近所のスーパーにお花を買いに行った。
休日のスーパーは、夫婦や子供連れのお客が多かった。
みな、お彼岸にお仏壇にお供えしたりとかお墓参りとか無縁の人達に見えた。
スーパーの売り場には、あちこちに「ハッピー ハロウィン!」と書かれたオレンジ色のポスターやステッカーが貼られていて、その明るさを避けるように端のスペースにひっそりと仏花が置かれていた。
他の夫婦や家族連れの客は楽しそうに「今日なに食べようか?」と話しながら買い物をしていたが、私は仏花を買い物かごに入れながら一人分の食事を探していた。
同じ空間にいながら、私一人違う世界にいるように感じる。
他の人達はハロウィンのポスターのごとく明るい色の人生を歩んでいて、かたや私は墨染色の世界に生きている。
でも、以前は休日のスーパーは苦痛で仕方なかったけど、今はだんだん何も感じなくなりつつある。
夫がいなくなって3年あまりが過ぎ、今でも淋しいけれど、だんだん一人でいることに慣れつつある。
慣れるというか諦めつつある。
同年代の人達は夫婦で仲良く暮らしていているのに私はひとりぼっちになってしまったという淋しさややるせなさも、それが私の人生のデフォルトなんだと諦めている。
そもそも夫と出会う前の私の人生は、楽しいことなんかほとんどなかった。
夫がいなくなって、楽しいことなんてない状態に戻っただけだ。
でも、夫がいなくなった直後は、それを受け入れられず、あんなに辛い思いをしたのだから、その代わりに別の良いことがないと納得できないという気持ちがあった。
夫と一緒だった時に比べたらそれ以上幸せと思えることなんてないけど、せめて心が満たされるものはないか探し続けていた。
けど、最近、だんだん色々なことを諦めつつある。
前にも書いたが、年老いるにつれ色々なものを失っていく。
これからは、得るものもあるかもしれないが、それより失うものが増えていくことを受け入れざるを得ない。
欲しいものがあっても諦めざるを得ない。
でも、諦めると言うとネガティブな印象だが、仏教で諦めるとは、明らかに観る事、現実をありのまま観察する事を意味するのだそう。
(日蓮宗ホームページより)
https://www.nichiren.or.jp/glossary/id129/
ものごとを観て真実を知り、それをありのままに受け入れられるようになれば、煩悩から解放されて、ちっぽけなネガティブな感情もなくなるのだろうか。
これからの人生は、俗世に生きながら出家した僧のごとく、ひたすら悟りを開くために修行する運命なのかな。
夫がいなくなるという経験は辛いけど、そのおかげで、何かを悟り、人間として成長できるのかもしれない。
でも、本心は、悟りを開かなくてもいいから、煩悩まみれでもいいから、できればこの歳でこんな修行したくなかった。
墨染色の世界で生きるより、ハロウィンのような楽しげな鮮やかな色の世界で生きたかった。