3月13日から、マスク着用は個人の判断に委ねられることになった。



ただ、私は、できれば今後もマスクを着用し続けたいと思っている。



感染が怖いのではなく、顔を晒すのが怖い。



マスクをしてないと不安になる。



コロナ禍が収束するのはもちろん喜ばしいことだが、コロナ禍で生まれた新たな習慣は、正直、私にとってはありがたいものが多かった。



マスクもそうだし、ソーシャルディスタンスで人と適度に距離を取ったり、煩わしいリアルの会合がなくなる一方でオンラインでの交流が一般的になったり、ステイホームで引きこもったり、アクリル板の置いてある店で人目を気にせず一人で外食したり。



夫をうしない心身ともにダメージを受けて、世間のスピーディーな動きについていけない、楽しそうな人達を見るのが辛い、これからどう生きていけばいいのか?と思っていた。



でも、こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、夫がいなくなった直後にコロナ禍に突入し、世の中も自粛で忙しない動きが止まり人と交流できない環境になり、私だけではないと安心できた。



コロナ禍を言い訳に何もできなくても許された時間が懐かしい。



しかしこれからは、いよいよ今まで停滞していたものを取り返すため、世の中の人はみな、徐々にマスクを外して、活発に動き出すのだろうな。



一方で私は、いつまでもマスクも手放すことができない。



まるでライナスの毛布のようだ。