前のブログで、私の知らないところで、夫が私のことを自慢し、私との暮らしが幸せだと言っていたと書いた。



でも、夫は、私と二人きりの時は、そんなに私のことを褒めたことはなかった。



むしろ、私が仕事の愚痴を言ったりすると、説教された。



そして、私の話はあまり聞いてもらえず、気がつけば夫の自慢話や仕事の愚痴を私が聞いていた。



夫は、外では、自慢しないし、強く主張をしないし、他人の悪口も言わない人だった。



でも、そのストレスを私に吐き出していたのだと思う。



そして、私にだけは甘えていた。



一方で、誰よりも私から認めて欲しい、頼られたいと思っていた気がする。



だから、私が夫のことを頼ったり褒めたりすると、機嫌が良くなるのがわかった。



でも、それはお互いさまだった。



私も夫に同じことを求めていたから。



夫に甘えたいと思う一方で、夫から認められたい、頼られたいと思っていた。



夫の病気がだんだん悪くなって、夫はどんなに怖かっただろうと思う。



でも、夫は私には怖いと言わなかった。



それは、私が支えになっていた部分もあったかもしれない。



でも、私を不安にさせてはいけない、私を遺して死なないという、夫としてのプライドがそうさせていたのが大きいのではないか。



だから、夫は私に甘えていた一方で、最後まで私から頼りにされたいと思っていた気がする。



頼りにされることで、自分を奮い立たせていたのかな。



最後まで甘えっぱなしでごめんね。



私は本当に夫がいたから生きてこられたんだな。



その支えがなくなって、今まで通りスタスタ前に進めるわけがない。



時間薬というけれど、それは辛さや悲しさとの向き合い方が変わるというだけで、昔の状態に戻れるわけではない。



周りの人達は、私が元通りになるものだと思っている気がする。



いつまでも辛い、悲しいと言ってはいけない、早く立ち直らなきゃいけない、という、プレッシャーを感じていた。



でも、夫という支えがなくなって、今までみたいにスタスタ歩けなくなって、つまづいたり、なかなか前に進めなくなっても、仕方ないのではないか。



夫という支えの代わりなんて、そんな簡単に見つかるものではない。



でも、どんなに遅くても転びながらでも、今の自分のペースで進んでいけばいいのではないか。



前みたいにスタスタ歩こうとしなくてもいいのかな。



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近所の公園では八重桜が咲いています。


天気が良かったので、お昼はベランダで食べました。

ちょっと暑かったけど、気持ちよかったです。