前のブログで書いた、お世話になっているお坊さん。
来月三回忌法要を行うので、昨日はお坊さんにご挨拶がてらお宅に伺った。
夫がいなくなってから、そのお坊さんは私のことを気遣い、法事とか関係なくいつでも遊びに来てくださいと言ってくれている。
私も本当は法事の相談でない時に伺いたかったのだが、なかなか時間が取れず、法事のタイミングになってしまった。
私は自分の近況を話した後、将来は自分と同じ経験をした人達のために何か役立つことがしたい、仏教の勉強もしてみたいと言った。
そのお坊さんは、自宅の一角をお寺にしている。
東京郊外にある立派な住宅で、ご本尊のある仏間の他に、多目的スペースとカフェが併設されている。
今はコロナ禍で中止しているが、座禅の会をやったり、娘さんが楽器教室をやったりしている。
ご近所の一人暮らしの高齢の方々をカフェに招いて世間話することもあるそうだ。
私も将来、そういう気軽に色んな人が立ち寄れる場所が作れたらいいなと漠然と考えていた。
そして、仏教を通じて何か人の救いになることができたら。
でも、それって、結局は私自身が救われたいのだけれど。
そんな思いをありのままお坊さんに話したら、お坊さんは私が前に進もうとしていて良かったと言った。
そして、私が去年会った時とは変わったと言われた。
お坊さん曰く、去年の私は一見普通のように見えたけど、本当は大丈夫じゃないのではないかと心配だったとのこと。
私はそれを聞いて、確かに去年は心が麻痺していたと答えた。
実の親でさえ会うたびに「もう大丈夫そうで安心した」と言っていたのに、そのお坊さんは私が本当は大丈夫でないことを見抜いていたのだ。
そのお坊さんは、実家がお寺ではあるものの、お兄様もいたし僧侶になることは全く考えておらず、長年学校の先生として勤めてきた。
でも、50歳頃に、急に自分の人生を考え、先生を辞め、僧侶になったという。
僧侶になってからは、法要などの傍ら、ホスピスを訪問したり、東日本大震災の時は被災者のケアをしたり、ボランティア活動もしていたそうだ。
そのお坊さんの観察眼とコミュニケーション能力は、色々な経験により培われたのだと思う。
ただ仏教を学んで修行して得度を受けただけでは、形はお坊さんにはなれても、良いお坊さんにはなれない。
やはり人間力が必要なんだなと思う。
私は出家まではしなくても、在家で得度して僧侶になれたらと考えていた。
でも、たとえそれが叶ったとしても、良いお坊さんになれるまでには何年かかるのかと思うと気が遠くなってしまった。
先日亡くなった瀬戸内寂聴さんは、50歳くらいの時に出家されたそうなので、約50年尼僧としてお勤めされたことになる。
しかも瀬戸内さんは波瀾万丈な人生を経験されていて、作家としても活動されて、それらの積み重ねにより魅力的な尼僧となられたのであろう。
そう考えると、私のような者が仏教を学んで果てには僧侶になったとして、果たして人を救えるのか?、と思う。
でも、結局は、私が救われたいのだ。
だから、僧侶になるとかゴールを決めず、まずは仏教の基本的なことを学ぶことから始めてみようと思う。