最近ずっと家でゴロゴロしながらテレビを観ているが、やたらお葬式とかお墓のCMが多い気がする。



特に、○刈正雄が出てる、アフターライフレジデンスとかいうCM。



よくあるマンション式の納骨堂らしいが、アフターライフレジデンスときたか。ものは言いようだな。



そしてそのCMは、○刈正雄と奥さんらしき女性が、「俺の方が先」「いいえ、私の方が先よ」などと会話していて、最後は腕を組んで仲良く歩いていくというもの。



そんな話が普通にできる歳まで夫婦ご健在でよろしいことですね。



でも、私が以前見学に行った納骨堂も、ほとんどは夫婦揃って両方とも健在のうちに購入しているらしい。



今は夫婦で入れて子供に負担をかけない永代供養のお墓を買う人が多い。



自分達の精神の拠り所というか、安心を買うというのもあるのだろう。



そこには死への意識はあるのだろうか。



お墓も、死を意識しないで買うのと、死を意識して買うのとでは全然違う。



私のように、まだお墓のことなんて考えるはずもない年代に、大切な人をうしなって、必要に迫られてお墓を探す人なんて少ないんだろう。



私だって、もっと年老いてから、夫と二人で手を繋いで楽しくお墓見学に行きたかった。



思えば、去年はよく一人で納骨堂見学なんか行けたな。



やっぱり去年の方が感覚が麻痺してて、辛いのかどうかもわからなかったのかもしれない。



今は、とても納骨堂見学になんて行ける自信がない。



先日、癌患者遺族の会の案内が届いたのだが、それも入会したものの、結局一回しか参加していない。



他の方々の体験談を会報で読んだり会合で聞くのが辛くなってしまった。



今になって、夫の病状がだんだん悪くなった時のことを思い出してしまう。



あの時の夫のことを思い出すと、かわいそうでたまらなくなる。



また、それなのに、どうしてもっとケアしてあげられなかったんだろうと後悔の念が湧き出てくる。



去年よりむしろ辛いことを実感することが多くなった気がする。



でも、それは、少しずつ冷静さを取り戻して普通の感覚が戻ってきたからなのか。



果たして喜ぶべきことなのだろうか。



ずっと感覚が麻痺してて現実を受け入れられないままでいた方が良かったのではと思ってしまう。