色々あって、夫の新盆は、お坊さんは呼ばず、私だけで供養することにしました。
本来は、お坊さんをお呼びして、棚経を上げていただくべきなんでしょうが。
理由はいくつかあります。
第一の理由は、知り合いのお坊さんのご事情。
夫の葬儀もお願いして戒名もつけていただいたお坊さんとは、義父の葬儀でたまたま葬儀社が手配して来ていただいてからのご縁です。
以来、法事はそのお坊さんにお願いしていました。
でも、お盆の時期はお忙しいというのもありますが、ご家族が病気療養中とのことで、コロナウィルスを考えると、お越しいただいて大丈夫かなと思いました。
私の実家でお願いしているお坊さんに頼むこともできるのですが、前に来たお坊さんは、どう見ても仏教系の大学生のアルバイトじゃないかって母が言っていました。
だったら、無理にお坊さんにお願いしなくてもいいのかなと思ってしまいました。
第二の理由は、そもそもお盆の時期とか形式はどうするかということ。
私の実家は東京で、私は今も東京に住んでいますが、家にもよるのかもしれませんが、私の実家では7月にお盆の供養を行っています。
でも、夫の実家のある広島では、8月に行っていました。
そして、形式も違います。
東京の実家では、玄関先で迎え火をしてご先祖様の霊をお迎えし、供養が終わると送り火をしてご先祖様の霊をお見送りします。
でも、広島の実家では、お墓に行って、盆灯籠というものをお墓に立てます。
この盆灯籠、広島の安芸地方の習わしのようです。
盆灯籠
Wikipediaより
竹の棒にカラフルな紙を貼り付けた灯籠の形をしたものがついていて、これをお墓に立てるのです。
広島の安芸地方のお墓には、盆灯籠を立てるための穴が空けてあります。
お盆の時期は、コンビニなどでも普通にこの盆灯籠が売られています。
お墓中に色とりどりの盆灯籠が立てられている景色は、なかなか壮観です。
御先祖様は広島のお墓に入っているので、お盆も広島方式でやるべきなのかなと思います。
でも、夫は納骨してないし、どうするんだろう?
色々考えているうちに、あまり形にはこだわらず、夫を心から偲ぶことが何より大切なのでは、だから、お坊さんは呼ばず、お盆用のお供えはして、私が読経して終わりにしようという結論に達しました。
世間の常識からしたら、不義理なことなんでしょうね。
でも、新型コロナウィルスという未曾有のウィルスが流行して、新しい生活様式と言われている中で、宗教的な慣習も今まで通りにはできなくなるものもでてくると思います。
それに、形式にこだわりすぎて、本当に故人を偲ぶことができるのか?というのもあります。
ちゃんとやってあげられなくてごめんね。
でも、夫はきっと許してくれると思います。