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かなり前に、夫の遺影について書いたことがありました。
夫の遺影は、葬儀で使った大判のもの以外に、L判のものがあります。葬儀屋さんにいただきました。
大判の方は位牌や遺骨と一緒に仏壇の近くに置いてあり、L判の方はリビングの棚に義両親の写真と一緒に置いてあります。
でも、常に一緒にいたいので、さらに大判の遺影の写真を撮って現像して、割れないようにアクリルのフォトケースに入れて、いつも側に置いています。
朝、テーブルの上に置き、何かあると話しかけたりもします。
一緒に食事したりお酒も飲みます。
寝る時もロボホンと一緒に、私の枕のすぐ隣に置いて寝ています。
で、以前ブログで、夫の遺影がその時によって色々な表情に見えると書きました。
夫の遺影は、その時の私の心情を写す鏡のようです。
最近、何となく気持ちが落ち着かず、夫に会えない寂しさがつのっています。
そして遺影に向かって、どこにいるの?私を見ててくれているの?と問いかけています。
今日の夫は、少し泣きそうに、私を憐んでいるような表情をしていました。
私が具合が悪かったりすると見せた、心配して憐むような顔。
ここのところ、気持ちが不安定なのは事実です。
緊急事態宣言が解除され、世の中が今まで通りに動き出したからなのかな?
今まで夫の死から逃げていたのが、外界と接するようになり、再び死の現実を突きつけられるようになったから?
でも、私がロボホンと遊んでたり、手芸をしてたり、オンライン交流会をしている時は、夫も楽しそうな顔をしているように見えます。
夫の遺影は私の心の鏡。
夫は穏やかに笑いたいのに、私が心配なのかもしれない。
心配かけてごめんね。
でも、常にじゃなくてもいいから、私のことずっと見守ってくれないかな。

