石巻で街歩きしていたら東日本大震災のことを、もっと学んでいくべきかなと感じた。
石巻は沢山の犠牲者がでたとこだ。まだ見つかっていない人も沢山いる。
なんとなくそんな気分になり、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」と門脇小学校を訪れることにした。
旧北上川の堤防をひたすら歩く。
あの山が、震災の時に大勢避難した日和山だ。

かつての街並みは微塵も感じられない。

南浜津波記念公園
かつての街跡
保育園の礎石があった。
みんな、日和山へ逃げた。

震災の時にこの工場ともう一つの工場の従業員は殆ど亡くなっていない。
亡くなった人たちは組織に属さない家庭にい人がた多いと伝承館のスタッフが語った。助かった人たちは、避難訓練のマニュアルを身につけていた。だから、家庭でも、緊急時のことについて話あってほしいと。
空き地には、松の木が沢山植えられていた。
防潮林にするのかと、スタッフに伺うと、荒れ地に育ち安いからだと。落葉樹も混ざって植えてあるとのこと。来年は花壇も作り、市民の憩いの場のようなことを考えているのだと。
津波は、この街を飲み込み内陸5kmほどまで被害を及ぼした。

津波伝承館


震災のモニュメント

神社の祠

見晴らしの丘に上る。

前面太平洋が広がる。

街の跡には、建物は伝承館のみ。
伝承館の中は、動画を見ることができ、パネルが並ぶ。希望する人には、無料で案内説明をしてくれた。

丘の上には、ここは避難場所ではないと表記されている。
この辺りの高いビルの上には、津波マークがあちこちについている。「それより高く逃げよ」と日頃から知らしめているようだ。

この広大な空き地を、ルンバのような芝刈り機が動き回っている。
この緑地の芝が叢にならないのは、この無人の芝刈り機のの活躍。
門脇小学校
ここは、津波の後火災に。
津波に流されてきた燃え続けている建物がここに突っ込んできたのだという。
火災の要因はプロパンガスのボンベらしい。
子どもたちは、すでに避難していて無事だったが、市民の避難してきた人達などは逃げ遅れ、すんでのところで知恵を絞り日和山に逃げのびたと語っていた。


津波と火災にあった校舎

旧校舎は、震災遺産として公開されている。
動画も多くあり、その中で当時のことをありありと語る人々。
スタッフの人もそうだが、みんな何食わぬ表情をしているが、それぞれ身近な人たちを失っている。
聞いている私のほうが、ぐっときてしまう。
日和山に逃げた人々は、
津波が家や人を呑み込む様子をこの上から見ていた。
それにしても、ビニールシートを持参して逃げた門脇小学校の職員はすごい。そのシートがその後、子どもたちを寒さから守った。
門脇小学校を出て、歩いているとお地蔵様があった。
このお地蔵様も、流されずに残ったのだろうか。
石段を進む。標高56m.
なかなかキツイ。
摂社
12年ほど前に、復興支援とか言って南三陸を訪れた。あのときも、語り部を頼んでお話を聞いた。
そのときとは、また、異なる衝撃を今回受けた。
報道された内容と自分で見たものは違う。
お気楽ブラリ旅が、なんだか感慨深いものとなった。
私一人が訪れてもどうなる問題でもないだろうが、また、来よう。
そういえば、日和山て芭蕉も曽良と訪れていた。