、わ新川沿いの八千代市保品という地と、船橋市鈴身町との交流がかつては水路を通じてあったのではと考えて、船橋市北部 新川の支流、神崎川、そのまた支流の鈴身川を辿る。

この堀と垂直に交わっているのが、鈴身川。
かつては、旧印旛沼に注いでいたという。

あれれ、こんなに荒れ果てて。

その先は昔のままののようだ。多分、右手奥が源流地点、中山CCだろう。

橋を渡るとぬかるんだあぜ道。
調べると、この辺りは、昭和28年まで、小室まで村々を繋ぐ道が無く、この年に県費で農道ができたという。谷津の端っこに沿ったこの道は、もしかして、昔の村人がそれ以前は往来したあぜ道かもしれない。

この道に沿って、鈴身神社がある。

古い神社である。狛犬さん、苔むして。
蚊もぶんぶん。満遍なく虫除けスプレーをして、階段を登る。


神社の拝殿の奥の本殿を抜けるとと、野原が広がる。
野球のグラウンドになっていて、少年達の声が響く。
谷津の上は、広い台地。昔はなんだっのだろう。
この広場の先は、八千代市。

神社のうらてに巨大なキノコ。

鈴身川沿いに下る。

昭和59年に建てられた石碑は、鈴身川エリアの土地改良の記念碑。

この原形の鈴身川ではなく、鉄柵に囲まれた水路と整然と並ぶ田んぼはこの時にできたようだ。
印旛沼から新川の竣工は昭和44年なので、この地域は、この開発からは取り残され、それから15年後、世の中は、米あまりが加速している時期に重なる。この石碑には「整然と区画された美田を望み農業振興の礎を固める」と記されているが、皮肉なことに、耕作放棄地が目立つ。

鈴身川上流に行くにつれ、田荒れているが自然は豊富。船橋市の自然観察ルートとなっているのもうなづける。
土地の人の話では、ホタルもいるそうである。


アスパラの花

これで、(おいりばし)と読む。この辺り、地名がかなり変わっている。

オモダカ

水神宮は新たなもので、ポンプ小屋の傍に。

そして、これ
行行林(おどろばやし)と読む。昭和30年に船橋市に合併される前は、行行林村だったという。読みにくいということで、鈴身町と町名変更したようだ。名前の由来は諸説あるようだが、地元の方の話では、行っても行っても林が続いてたからだろうと。

耕作放棄地のヒメガマ。美しい。
花屋で買ったらいくらかしら、なんて下賤なことを考えてしまう私。
ここは虫たちの天国。

トノサマガエルの赤ちゃん。かつての虫取り少年がカエルを気絶させて。

オハグロトンボ
子どもの頃よく捕まえたが、もう、50年以上出会ってなかったかも。美しいトンボだ。

他にも、何種類かのチョウを見つけた。、アゲハチョウの仲間も数種類見ることができた。


カラスウリの花

シオカラトンボ

第六天神社

法井寺。
無人のようだ。日蓮宗のお寺らしい。
ここでは、長い蛇に遭遇。境内をのっそりと。

この本堂の裏手
お宮や摂社が並ぶ。ここにも神仏習合の名残。

さらに上に上がると、広大な土地。畑が広がる。

鈴身川を水路と見立てての今回のフィールドワークは、結果から言えば思惑はハズレのようだ。地元の人(70代前後の方)の話では、鈴身川は小舟が通れるような川幅はなかったとのこと。
しかし、この周辺には、多くの生き物たちが生息している。神社やお寺のことは、またの機会に調べてみたい。