かつての印旛沼。
干拓されて、現在は新川の沿岸。
ここ現在の阿宋橋の辺りは、かつては「吉田の渡し」と呼ばれる渡し場があったという。
その辺りに、地蔵堂がポツリと。


中を覗くと

こちらは、先代のお地蔵様らしい。頭のみ。

元々は、野ざらしだったようだ。

どこまでも広がる原野。まるで、北海道みたいだ。

こんもりと木々の茂るあたりはりゅうげ城があったところ。
中世のころは、あの麓まで印旛沼が広がり、りゅうげ城は印旛沼の水運の監視場的役割を担っていたようである。

新川河岸から、対岸を臨む。
あの集落が印西市吉田。
かつては宗像村吉田だった。

ここにある阿宗橋とは、阿蘇村と宗像村をつなぐ橋なので、阿宗と名付けられたのであろう。

夏草ばかり茂っているが、昔は物流の要所で、渡し場に人が集っていたのだろう。賭場もこの近くにあったという。

水運が盛んだった頃の形跡は、どこにも見つけられなかった。
残るはお地蔵様のみ。