今月はじめに開催された郷土歴史研究会の臼井城跡の散策に参加できなかった。「中世の八千代市を学習するのに、臼井城址のフィールドワークをしなくてはダメでしょう。」とメンバーの一人に言われたので個人的に巡って見ることに。
まずは、セブンイレブン佐倉臼井店と反対側の坂道を登る。
長い階段があり、3つのお宮。樹齢300年というスダジイの大木の下には、稲荷の字が見える石碑がいくつも並ぶ。
ここの前で、散策の地図を眺めていると、地元の方で、歴史散策の案内をするため下見に来たという男性からこの辺りの見どころのアドバイスをうけた。
道祖神
この公園は宿内砦と言われる臼井城の支城の一つであったらしい。
この辺りで、道がわからなくなった。公園の中に入っていったのだがわからず、グーグルマップを頼りに。
このお墓の隣には、長島茂雄選手のご実家のお墓があった。このことは、くだんの男性に教えてもらったのだが。
(後でわかったのだが、公園からこちらに降りる階段があるみたい。ぐるっと遠回りした。)
阿辰(おたつ)の墓、彼女は白い城主の子ども竹若丸の乳母。竹若丸を逃したことで胤氏に殺されてしまう。逃亡中に隠れている時咳が出て見つかり殺されてしまったことを村人が憐れみ祀ったのだという。そこから、咳の神さまになったようだ。
米本城跡にも似たような咳の神さまと言われる言い伝えがある。
なんだか、安土城や彦根城から琵琶湖を臨んでいるような感じ。
美しい風景だ。こちらから、船で攻めて来る人たちを見張れたのだろう。
写真真ん中の上辺りが、先ほどの宿内砦。ここも宿内砦もすこぶる見晴らしが良い。
古峰神社
上杉方の太田道灌の弟太田図書は、臼井城を落城させたが、ここで討死した。
そういえば、最初に訪れた稲荷神社の敷石は、雷電が寄進した石段を再利用したものだという。
天満宮、鳥居をくぐると左側に絵馬が並んでいる。
実蔵院、1903年にこの地に当時の住職が明倫館中学を設立し1942年まで続いていた。農家の子弟に中等教育を授け、農村の振興を担う後継者を育成するためだという。
実蔵院から坂道を下って来ると、急に道が開けた。こんな道標を見つけた。
かつての、メインストリートかな。江戸時代の相撲取り雷電の墓
そういえば、最初に訪れた稲荷神社の敷石は、雷電が寄進した石段を再利用したものだという。
この地の有名人は
相撲は雷電
野球は長島茂雄かな。
この辺り、歴史散歩の価値ありすぎて、とても見切れない。お腹も空いたし、ここらで本日はおしまい。
リストランテ カステッロに車で移動。
以前、どうしてここがカステッロなんだろうと思っていたが、この名前臼井城と関わっているような気がする。
そんなことを考えながら、美味しくランチを頂き、歴史散策は終了。