高師小僧(褐鉄鉱)採取の折、訪ねた3つの神社を紹介。

最初に訪れたのは時平神社。
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何故ここを訪れたかと言えば、八千代市には4つの時平神社がある。2つの社は創建は江戸時代初期。どうして、この地に藤原時平?
歴史研究会のメンバーが調べて、栃木県岩舟町に時平神社があることに気づく。
八千代市以外ではここだけ。
八千代市と佐野市との関係性は?
環境がよく似ている。
どちらも、縄文時代は内海に面していた。
どちらも高師小僧が取れる。
製鉄の跡が発見されている。
どちらも大和田、阿蘇という地名を有する。
どちらもオシドリ伝説を有する。
ただし、八千代市の時平神社の祭神は、藤原時平。しかし、ここは"あまつこやねのみこと"
だけど、この神様は藤原時平の遠祖。

本殿の側面の彫り物。
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境内には石碑、いずれも明治
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ここの代々宮司だった方がこの隣に住んでいて、お話を聞くことができた。しかし、八千代市のそれと関係する内容はなかった。その人の曽祖父が、千葉に時平神社が3社有ると言っていたという。八千代市の時平神社の1つは昭和16年分社なので、多分その頃は3社だったのだろう。
結局、明治以前の情報は何も得られなかった。

次に訪れたのは、大前(おおさき)神社。
延喜5年(905年)には神名帳に登載されているというから、創建は不明だが歴史あるお宮のようだ。
ここは磯城宮(しきのみや)と号する。と石碑に刻まれている。祭神はオオムナチノミコト。案内人の郷土史研究家はさきたま古墳群にある稲荷山古墳出土な鉄剣の銘「シキノミヤ」はここではないかと推察している。
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境内には古墳が沢山ある。本殿の石の土台も古墳だという。
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ここも古墳。
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もともとは、現在のお宮の北側400mの台地にあったという。写真の石碑は土地改良の為、それより300mほど南に移されたとのこと。
現在の地には明治12年に移転。

そして、この近辺でタタラ跡が3基発見されている。

地形は河岸段丘で、渡良瀬川の支流が流れていたとみられる。

高師小僧が沢山ありそうなところだ。
そして、タタラ跡。
ここも、鉄と関係がありそうだ。
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3つ目は、雷電神社。関東一円の雷電神社の本宮。伝承では、創建は598年。かつては、伊奈良の沼という湿地に浮かぶ小島だったという。
祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神。
徳川綱吉が社殿を再建してから三つ葉葵の紋章な使用が許された。


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社殿の立派な彫り物は、左甚五郎10台目石原恒八のものとされている。
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坂上田村麻呂の言い伝えのあるご神木の杉の木。
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社殿には立派な彫り物。
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門前にはナマズ料理の店。
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訪れたのが夕方だったので、ナマズ料理を食べ損ねた。天ぷらが美味しいようだ。
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別院に鎮座する"なまずさん"
撫でると地震を除け、元気回復、視力改善、自信が湧き出るなどのご利益があるという。
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渡良瀬川中流あたりの神社をめぐり、その立地から何れも製鉄材料の高師小僧と関係がありそう。
現地に来たことで、その環境を目の当たりにできた。

北関東渡良瀬川の中流は、東山道に面した地域。かつては、都と東北との重要な道筋だったのだろうということが認識できた。現在では、田んぼの中のような立地にあるお宮もかつては内海の海路に面した賑やかな場所であったのだろう。
今回は案内人がいたので、石碑を見たり、立地を見たりして、想像をふくらませて、古のこの地の妄想にひたった。