先日、渡良瀬川で高師小僧を採取して、もっと古代のこと知りたいと思い、さきたま古墳群にやって来た。
と言っても、そんな殊勝なことではなく、明日は山に登るので、まあ、そのついで。
前から、来てみたいとは思っていたものの、近くを通り過ぎても立ち寄ることもなかった。
何しろ埼玉県、夏休みの時などは暑くて、いっときもはやくこの場を立ち去りたいというのが本音。
古墳の探索は春に限るかも。
草丈も伸びていなくて、若草色で美しい。菜の花や桜も色を添えて。
さて、一番の目当ては鉄剣の稲荷山古墳。
それをナビに入れたら、畦道のような住宅地に入ってしまった。公園の駐車場が見えているのに辿りつけない。工事をしているお兄さんに尋ねて、やっと第1駐車場に到着。
車を降りるとすぐに丸墓山古墳の階段が見えてきた。
するとこれ!石田三成が忍城を水攻めにする時に築いたもの。
こちらが頂上。結構広い。
頂上からは360度見渡せる。雲がかかっていたが、赤城山、多分武尊山、男体山などなど。
将軍山古墳 1893年に発掘
埴輪がズラリと並んでいる。
長さ132m,
お堀がある。
瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中の山古墳と並んでいる。
博物館で上映していたVTRで言ってたが、これらのものを作った人びとが暮らしていたであろう住居跡は発見されてないという。また、古墳の周りは湿地だったので田んぼだったのだろうと考えていたが、それも遺構は発見されてないようだ。
博物館に、江戸時代に描かれたこの地の古い絵があった。そのころから、ここが古墳の宝庫だとわかっていたようだ。
現在は前方後円墳が8基、円墳が1基残されているが、かつては、更に大型古墳の周りに円墳が35基、方墳が1基あったそうだ。
まさに、古墳団地だ。
また、ここの石棺に房州石が使われていたりして千葉との繋がりがある。
博物館の説明にもあったが、今の関東平野の中にあった内海は、水運に恵まれていて、港のようなものもあったらしい。
古代の人たちてすごくアクティブ。