歴史散策のため、栃木県三毳山周辺へ。
今回の目的は.一つは高師小僧の採取。
場所は、佐野市(?)渡良瀬川の河畔。
川岸スレスレのあたりにそれはある。
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高師小僧とは、
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湿地帯のアシなどに根元に鉄バクテリアが大繁殖することで、生成される褐鉄鉱の固まり。
断面を見ると、植物の茎の痕跡が見える。

大きいものは、さつま芋のような大人の拳骨よりも大きいのもあった。
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こちらは、石に褐鉄鉱が付着して大きな塊になっているもの

私は、アシやヨシの根元にビーズのように付着していると思い込んでいた。地上に見えているものと。ところが、地中に埋まっているものが多い。大雨の後などで、水に流されてきたものは河原で拾えることもあるようだ。水の作用によって、川岸にできた高師小僧は堆積した泥に埋もれている。

なぜ、そんなものを歴史散策で探しに来たかというと、縄文時代の鉄の生産では、高師小僧が原料として使われていたらしい。
八千代市には日本最古の製鉄遺構を持つ沖塚遺跡(3〜4世紀)がある。(市民の多くはそのことを知らない。勿論、私も少し前まで)私たちの住むこの地では、早くから製鉄が行われていたことに驚く。

昨年12月に、「古代の鉄と神々」真弓常忠著を読んで古代の製鉄のあり方に大いに興味を持った。そんな時、タイムリーにもこの研究会を知り、縄文時代の製鉄について研究している方と出会えた。なんて、なんとラッキーなことか。

そんな訳で、鉄の原材料となる高師小僧の本物は、どんなところにあるのか、それを見たさにこの地までやってきた。

土手の鉄分のありそうな色のところをシャベルで掘る。掘り出すのは難しい。途中で折れてしまったり、シャベルで崩してしまったり。しばらくして、やっと、一人で掘り出せるようになった。

渡良瀬川のこの辺りは、縄文時代の頃は銚子のほうから印旛沼に続く内海だった。
この辺りにも、製鉄遺跡があるとのこと。
環境は八千代市の沖塚遺跡と似ている。

その時代、川の近くで原料の高師小僧などを集め精製して、鉄器を作っていたのだろうか?

ついでに付け足すと、この探索中に、河原で石器の破片や土器の破片を発見。この川の流れに沿って、人々が暮らしていたのだろう。
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棍棒のよう形。

前述の本によれば、その鉄作りと神さまが関係しているらしい。

発掘調査のように(したことはないのだが)高師小僧を集めたひと時だった。

もう一つの目的である神社については、またの機会に。