ひょんなことから、歴史散策に参加することに。
主催は歴史研究会
集合場所は京成大和田駅
最初は小板橋時平神社から。
家々が建て込んでいるため大規模な発掘調査もされてない。
道路が大変入り組んでいて、更に坂道で迷路のよう。
今風に言えば、日当たり良好、水運近し、といった交通の便も良い住宅地て感じだろうか。
この近くには薬師寺
応仁の乱の頃の創建だという。
この寺の入り口に成田街道の石碑
右側は成田の文字が。
現在の成田街道が曲がりくねっていて、この前を通っていたのではないかと。
ここらがかつて宿屋が10数軒あったと言う大和田宿。
かつては人力車が150台も常駐していたのだと言う。
成田詣は江戸から3泊4日くらいの日程だったらしい。ここはその中間点。大にぎわいの宿場町だったのだろう。
初代市川団十郎の成田詣がきっかけで、江戸で成田詣がブレイク。その人気にあやかって、富岡八幡の別当で秘仏特別公開をしたことから深川不動尊ができたようだ。
しかし、京成電鉄の電車が通るようになり、宿場はしぼんでしまった。
いつの世も、科学技術の進歩が人々の生活を一気にかえてしまうんだなあ。
大和田時平神社を経由して円光院へ。
真言宗豊山派の円光院は立派なお寺である。
墓地の一角には、出羽三山詣の碑がいくつも並んでいる。一番古いものは江戸中期頃のものも。
円光院の向かいにあるのが長妙寺。
こちらも日蓮宗の由緒あるお寺とのこと。
うちの子供が小さい頃、この近くにある焼き肉屋に度々来ていた。その前にあったのがこの寺で、門前に『ぢ』のおまじないか何かの看板があり、子どもたちがいつもそれを見てはニヤニヤ。
そんな記憶しかなかったのだが、立派なお寺でびっくり。
ここから、成田方面へ少し進むと
今の習志野駐屯地に天皇が来て、ここにあった名主のお家でお休みしたとか。
この後は、萱田時平神社。
そして、運動公園へ。
大和田宿を解説付きで歩いてみると、この街の歴史の深さを一層感じた。
一緒に参加した方が、この地元の方で、
「親父にもっと色々聞いておけばよかったなあ。だけど、あの頃はみんな生活することに忙しく、そんなこと考えなかった。今では、古い家は建て替えられ、それに伴って、古い古文書なども処分されてしまい、わからないことばかり。……」
と言っていた。
私もこの地に住んで30年。仕事をリタイアするまでは、地域の歴史なんて全く関心を持たなかった。
こういった事て、時間に余裕があると考えるようになるのだろうか。
今日の参加者もシルバー世代ばかりで若い人は一人もいなかった。